Grateful Days
またしても順応せざるを得なかったのは健二の方だった。もう、開発者がそうだというならそれでいい。そんなことを突いていても前には進めない。
「それは、わかりました。…で、どうして僕らの意識はこういうことになってるんですか? 元の僕らはどうなってるんですか?」
「…さあ。…倒れてる、とか?」
「倒れて…!」
リスは短い腕を曲げ、極端に小さな手を口にやって叫ぶ。
「そ、そそそそんな…! えっでもどうしてそんなことできるんです…?」
「…仮説と言うか、まあプロトタイプの欠陥だったんだが」
侘助は渋々という様子で話し始めた。
「例えば血圧測定みたいな感じで脳波のパターンを読み込ませるとか、そういうことを試したプロトタイプもあったんだ。で、そこから思考展開させてどういう風になるかってのを見る実験もやった。でもまあそれだと器具が必要になるだろ? だから、例えばモニタ上から網膜とか虹彩を読み取って、そっから個人情報を取れないかなー、と思ったのがあいつの基本設計というか、だな」
リス健二は無言で頭を抑えた。わけがわからない。もっともらしいことを言って…るようにさえ聞こえない。そんなのファンタジーでなければB級映画だ。
「だから、こうしてる俺たちは本体から切り取られた思考の一部、ってことだとは思う」
しかし続いた侘助の台詞には光明が含まれていた。救いがあるなら、もうぶっちゃけた話ファンタジーだろうがB級映画だろうがクソゲーだろうが構わない。
「本体じゃない…、ってことは、僕ら自体は無事、ってことなんでしょうか…」
「そりゃそうだろう。…ただ、これも欠陥なんだが、読み取る時にこう、インパクトがあるから、ぶっ倒れるくらいはするんじゃないかと思うんだよな」
「え」
そういえば、と健二は大事なことを思い出した。
「理一さんが、侘助さんと連絡が取れないって言ってました。…ちょ、侘助さん! どれくらい倒れてるんですか?! 無事なんですか…?」
「腐乱死体になってたりして」
いひ、と笑うのに、ひい、とリスは悲鳴を上げる。そんなスプラッタ、ごめんだ。
「じゃあ僕らは本体から切り離された思考パターンってことだとして、ほっといたら本体は目覚めるかもしれないけど、ショックでぶっ倒れたままかもしれない、ってことですか?」
「そうだな」
「そういうの、こっちからはわかんないんですか?」
「君、わかるか? 今」
リスはしょんぼりとうなだれた。
「わかりません…」
「そういうこと」
「…なんで、あのゴーストはアバターを食うんですか?」
開発者ならわかるだろう、と顔を上げないままにリスは呟く。
「ラブマシーンと同じ理由ですか?」
今度は答えはすぐに返ってこなかった。そろりと顔を上げのぞきこめば、アバターは無表情だった。
「…侘助さん?」
「…寂しい、んじゃないか」
「え?」
寂しい。
確かにゴーストの表情はよるべない子供のそれで、寂しいというのは理解できないこともない。だが反面、ラブマシーンのプロトタイプということはAIであって、感情もまたプログラムでしかない。それが暴走して他のアバターを取り込むのだとしたら、いや、今回の侘助や健二のようにこんな風に取り込まれてしまうのだとしたら、厄介なんてものではない。今のところアバターを食うという噂はあるものの、今の健二たちのようなケースは話題に上っていないから、今のうちに何とかしなければ本当に大変なことになるだろう。
ここが、水際だ。
ぱちん、とリスは大きな顔を小さな両手で叩いた。アライグマの洗顔に似てしまったことは否めない。
「…食い止めましょう、侘助さん」
「は?」
「これが広がったら、大変です!」
少年型アバターの黒い目が、ぱちぱちと瞬いた。かつての自分のアバターとこんな風に向き合うと言うのは不思議だったが、今はその不思議さに驚いている場合ではなかった。
「…ああ、うん。まあ。そうなんだけどさ。…どうやって?」
聞きたいのはこっちだ、とは健二は言わなかった。諦めたらそこで終わりなのだから。
「まず、侘助さんの本体にはどうやっても目を覚ましてもらいます」
「ああ」
腐乱死体でも? なんて無駄なことはさすがに言わず、侘助は頷いた。
「それで、もう一回ゴーストを解体なり封印なりしてください」
「まあ、妥当な線だ」
「それしかないでしょう」
「だろうな。…で、問題はどうやって目を覚ますか、だ」
「本体の侘助さんはどこにいたんですか?」
アバターは腕組みして難しそうな顔をした。
「たぶん…アメリカ」
「アメリカって、…大雑把なっ」
どれだけ広いと思っているのだ。もはや東京ドームを何個使っても例え切れない広さではないか。
「いや。空港だ。――日本に向かう飛行機に乗るはずだった」
「え?」
アバターの瞳の奥に夏に見た侘助の表情を思い浮かべてみようとするものの、あまりうまくいかない。健二はじっと、少し前まで自分の分身だったものの顔を見上げていた。
「搭乗手続きをしていたところまでは覚えてる。…いや…、違うな。チェックインをしていた時だ、ディスプレイに『あいつ』が出てきた…」
「…空港で、ですか…?」
侘助、が頷く。
「――君は信じないかもしれないがな。ラブマシーンの時は故意に逃がしたんであって、本来は開発データを流出させるような間抜けじゃないんだぜ?」
健二はどこか間が抜けた今の自分のアバターの表情をこの時ほどありがたいと思ったことはない。端的に言えば、侘助の発言を完璧には信じ切れなかったということだ。だが顔は常にだらっとしているので、多分表情にそれが出ることはなかっただろう。
「――誰かが、盗んだ、いや…逃がしたのか」
それはデータの管理が完全ではないということではないんだろうか、と健二はちらりと思ったが、結局口には出さなかった。その場の雰囲気に飲まれていたからだ。
「…誰が、そんなことしなくちゃいけないんですか…」
健二の呆然とした質問に、少年型のアバターは振り返り、侘助らしいにやりとした表情を浮かべた。不思議だと思ったが、それ以上に血縁の神秘を感じたのは、侘助の台詞である。
「ちょっと、言えないようなとこ」
それって理一さんも同じ事を言ってた(話の前後を考えるまでもなく、指しているのは別の場所だろうが)、と健二は妙に感心してしまった。あんまり似てない気がするけど、やっぱり血縁なんだなあ、と。
「…わかりました」
暫しの間を置いて、健二は重々しく頷いた。実際はさっぱり何もわからなかったが、了解ですという意味の「わかりました」だ。
「とにかく、助けを呼びましょう」
「太助? …助けか」
はい、と健二は頷く。頭が重すぎてふらついてしまった。幸いだったのは、つん、と押されなかったことだろうか。
「侘助さんを探してもらうためには、僕らがまず助けてもらわないといけません。情報が、まとまらない」
「…本体の方が目覚めてたとしても? 『今の』俺達が助からなくちゃいけないって?」
作品名:Grateful Days 作家名:スサ