そらとら その2
部屋に入って、買い物した荷物を置くや否や、そういう流れになったのも、まあ、おそらくは自業自得というやつなのだろう。
「おい……、待てってば。おい、バカ、聞いてんのか」
こちらの体をソファに縫いつけるようにのしかかってきてじゃれつく様子は、まさに大型犬そのものだ。
しかしながらこの大型犬は、飼い主の手に噛みつくような真似はしないものの、甘噛み程度のことは平気でする。許されることがわかっているからだ。
(きちんと躾られねえのは、俺が悪いのか……?)
そうなのだろう、という理屈は理解できるが、いまいち釈然としない気もする。
「聞いているよ。きみの声は心地よくて、こうしてすぐ側で聞いていると、ふわふわとした気持ちになるからね」
「あのなあ………」
こういうとき、こちらがどれほど困っているのかなんて、彼はわかっていないだろう。
言ってやりたいことは山ほどあるのに、そんな台詞を当たり前のように恥ずかしげもなく投げて寄越されては、途端に何も言えなくなるではないか。
それとも、いい年をして、この程度の直球をかわせない自分の方が悪いのか。
「そうか、なるほど。きみが言っていたことが、少しだけわかった気がするよ」
「は?」
「君のそういう顔、他の誰かに見せるのはイヤだな。すごく、イヤだ」
そう呟いた瞳の青に、ハッとして意識を奪われる。
次の瞬間、するりと伸びてきていた指が顎を捕えて、口づけられた。
我に返ったときにはすでに逃れられない体制で、さらに言えば自分自身も後に退けないところまで追い詰められていることに、遅まきながら気がつく。
(くそったれが……。何でこんな簡単にほだされてんだ、俺は)
温かいものがすぐ側にあれば、それに縋ってしまいたくなる。
けれど自分からは手を伸ばせない、ずるくてダメな大人だからだ。
そのとき、ふいにドシン、と何かが勢いよく腹の上に落下した。
正確に言うなら、虎徹の腹の上にいる、彼の背中の上に。
「うおっ!?」
「ジョン!!」
わふっ、と舌を出して、彼の肩越しに愛犬がひょこりと顔をのぞかせる。
愛嬌がありすぎてどこか間抜けなその表情に、虎徹は自分のおかれた状況を忘れ、思わず吹き出した。
「ダメだよ、ジョン。今は私が甘やかしてもらう番なんだから!」
背中にジョンを背負ったまま、がばっと体を起こして、彼が憤然として主張する。
しかし、背中にしがみついたままの彼は、わふわふと嬉しそうに、飼い主の頬をしきりに舐める。遊んでくれると思って、喜んでいるのだろうか。
彼は、そうじゃないんだと言い聞かせようと、愛犬を背中から降ろそうとするのだが、どうにも上手くいかない。もたもたと絡み合う様子は、まさに犬同士がじゃれあっているようで、虎徹はシャツの襟元をはだけさせたまま、たまらず笑ってしまった。
「あはははっ!お前の負けだな、キース」
「虎徹くん!」
彼にしては珍しく口を尖らせて、詰るようにこちらの名前を呼んだ。
そんな子ども染みた彼の表情に、ふと、今この瞬間は、彼にとって本当の意味でのプライベートなのかもしれない、という考えが過った。
「いいじゃねえか。こっちはずーっとお留守番だったんだもんなあ、ジョン?」
おいで、とジョンに向かって両手を伸ばせば、ジョンはあれだけしがみついて離さなかった飼い主の背中をパッと飛び降り、一目散に虎徹の腕の中に飛び込んできた。
よしよし、とそれを撫でてやっていると、ジョンごと抱きしめるように、彼ががばっと飛びついてきた。
勢い余って、ふたたびソファの上にひっくり返った虎徹は、当然ながら文句をつけた。
「お前まで乗るんじゃねえよ、重いだろうが!」
「だって、きみたちばっかりズルい!そしてズルい!」
全力で主張する彼は大真面目で、泣きべそをかきそうなその顔を見て、虎徹はどうしようもない何かがふつふつと込み上げて、かすかな笑いとともに息を吐く。
(………まあ、たまにはいいか)
そんな風に思う、休日の昼下がり。