あなたにあいにゆく
プラットホームに滑り込んできたのはコーヒーの色をした車体だった。ずいぶんレトロな列車に当たった、とリーマスは思う。きちんと手入れされていて汚れてはいないが、あちこちに見え隠れする小さな綻びが全体の雰囲気を綻ばせ、それが彼が働いた期間の長さを感じさせていた。レトロな列車はレトロな音を立てて止まり、レトロな恰好をしたリーマスを迎えた。
お似合いだ、と思っておかしくなる。
最新型の、なにやら名前もよく覚えられないような、そんな車体が音もなくスムーズにドアを開けてくれるより、この方がずっと親近感が沸く。懐かしい友人の家に遊びに行ったときのような気持ちで、リーマスはそっと足を踏み入れた。
車内はがらんとしていて、乗客はところどころにしか見えなかった。どこでも好きな席に座れた。リーマスは適当に歩を進め、空いている席をひとつ選んで腰を掛けた。座席はほどよく硬く、少しだけよそよそしかったが、列車が動き出すとすぐに馴染んだ。背中を預けてほっと息を吐く。ゆっくりと列車は加速度を上げて、見慣れた町を抜けてゆく。
たたん
たたん
たたん
車輪が刻む等間隔のリズムは眠気を誘う。車窓の景色を覆っていた重たい雲が、ついに雨粒を落とし始めた。ぴたぴたと窓ガラスに張り付いては、すいと後ろに流される。斜めに水滴が横切るさまを眺めながら、リーマスは窓枠に肘をついて頬を乗せた。学校や郵便局や公園や細い路地や、彼の町は細い雨に濡れ、ひっそりと肩を寄せ合って並んでいた。
この列車に乗ることは、言わずに来た。
いきなり顔を見せたら彼は驚くだろうか。それとも怒るだううか。リーマスは想像する。まずぽかんと口を開けて驚いて、それからどうしてなにも知らせなかったかと詰め寄り、それか ら、───いや、違う。遅かったなと言ってにっと笑い、乱れるのも構わずに髪をぐちゃぐちゃに掻き回す。少しは驚いたらいいのに、と髪を撫でつけながら文句を言うと、お前の考えな んかお見通し、と言ってまた笑う。───ああ、こっちだ。きっと、彼はそうやってわたしを受け入れる。彼がわたしに対してずっとそうしてきたように。彼にすべてを見通せる千里眼があると本気で思っているわけではないけれど、自分のことなら見抜かれても仕方がない。一種の諦めは、けれど不快なものではなかった。シリウスに関しては多少なりとリーマスにも見通せる自信があった。それと同じだ。
窓の向こうに森が見えた。リーマスはゆっくりと瞬きをした。雨が視界を狭めていて、目を凝らしても森の終わりを見ることはできなかった。雨にかすれる森の色だけがもやもやとうごめいている。それをぼんやりと眺めているうち、じわりじわりと瞼が下りてきた。眠るつもりはないのだと自分に言い聞かせて、リーマスは頭を振った。
たたん
たたん
たたん
入ってはいけませんと言われれば入ってみたくなるのが少年の性というものだ。けれど真っ昼間でさえ暗い森に入ってみようと言い出したのは間違いなく自分ではなかった。冒険心だけ は旺盛な子供は、瞳を輝かせてリーマスを誘った。わざわざ行く理由もなかったが、断る理由もなかった。そんなふうにして集まった浅慮な子供たちは連れ立って暗い場所に足を踏み入れた。そしてそれなりに痛い目に遭った。這々の体で森から逃げ出せば、ここには二度と足を踏み入れまいとだいたいの人間が誓うはずだ。けれどシリウスは違った。大声でげらげらと笑ったあと、やっぱすげえな、と心からの称賛を送った。
「すげえな、って何が」
訊ねると、彼は上気した頬のままで、だって、と言った。
「こんな面白いとこ、そうそう無えよ。あぶねえよなー、油断したら死ぬって。俺もいろいろ見てきたと思ってたけど、まだまだだった」
10年ちょっとしか生きていないのに、どんなものを"色々見てきた"んだろうと気にはなったけれど、リーマスは追及はしなかった。人にはそれぞれの人生というものがある。
そうだね、と曖昧に賛同すると、ジェームズが感心したように言った。
「森もすごいけど、君も案外すごいね」
「…なにが?」
「僕たちはそれなりに怖がったり慌てたりしたけど、君はずっ と落ち着いてた。いちばん冷静だった」
「そうだった?」
「そうだよ!全然怖くないみたいだった」
いちばん怖がっていたピーターが力説する。
「そんなことない。すごく怖かったよ」
リーマスは嘘を吐いた。本当は森の何も怖くなどなかった。なにしろ当時の彼が怖れていたものは自分自身と夜空の月のふたつきりだったのだ。森の中に巣くう怪しげな罠や魔力や生き物や、そんなものは少しも怖くなかった。驚かされはしたけれど、それだけだった。
「じゃあ、次はいつにする?」
シリウスが不敵に微笑むと、ジェームズがにやりと笑って隣に並んだ。
「そうだなあ、来週あたりリベンジと行くか」
「ええっイヤだよう、もう来たくないよ!」
「なに言ってんだ、負けっぱなしでいいのか」
「いいよ!勝てないっていうか、勝たなくていい!」
「お前は欲がないなあ…リーマス、お前はどうだ?」
不意に向けられた視線が見透かすようでリーマスは焦る。焦りながら、なんとか表情を繕って答えた。
「もうこりごり。僕も勝たなくていい」
「じゃ多数決で"勝たなくていい"に決定、と」
「なんでだよ同数じゃねーか」
「ピーターとリーマスが行かないって言ってるんだ。僕も行かない。これで3票」
「ひっでえ!この裏切り者!」
しかしそれ以上の異を唱えることはなく、シリウスはあっさりと多数決に従った。食堂から部屋に戻るときのような簡単な口調で、じゃ帰るか、と伸びをする。ピーターは森から滑り出てくる気配に怯えてジェームズのローブを掴んだ。ジェームズはもう大丈夫だよと微笑み、ピーターの背を庇うように歩き出した。2人を追うようにリーマスも歩き出すと、すいと手首を掴まれた。
「…なに?」
「怖かったんだろ?」
「怖かったよ」
「それならば手を握っていてあげようではないか」
前時代的な物言いに、リーマスは思わず吹き出した。
「ああ、ありがたきしあわせ」
棒読みでそう言って、2人で顔を見合わせて笑った。
自分の嘘がすっかり見抜かれていたとリーマスが知るのは、もう少しあとの話になる。
それから4人でたくさんのものを見た。たくさんのものを感じた。たくさん笑って、たくさん泣いた。4人で作った記憶はそのまま彼らの財産となった。それが些細なものであるほど、 長い間リーマスを暖めた。
あの森はどうなっているだろう。リーマスは思う。今も暗いまま子供たちを惹きつけているだろうか。足を入れた子供たちをてのひらで転がすような罠を仕掛けているのだろうか。彼らの光にあふれた時間を閉じこめて続けているだろうか。なくしてしまった時間は、そこに行けば取り戻せるのだろうか。
たたん
たたん
たたん