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窓辺には夜の歌

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寒くないのかと訊ねられて即答できなかったのは、答えを出すまで考える時間が必要だったからだ。

 座り込んだ床と背を預けた壁から伝わる温度、裸足の爪先。そういえば指先も上手く動かない。答えを待ってじっと見つめてくる彼から目を逸らした。動かした視線の先に窓があって、それが強い風にがたがたと揺れている。自分の着衣に目を落とす。明かりを落とした廊下には熱を発するようなものはなく、コートもローブも羽織らないこんな格好では寒いに違いない、うん、確かに。ようやく結論が出たので、彼を見上げて、寒いと思う、と答えた。彼は頷き、彼の部屋のドアを大きく開けた。じゃあ、入るか?少し考えて、その魅力的な申し出を丁重に断るためにぶんぶんと首を振った。だめだ、中には入れない。なぜ、と彼は問うた。当然だ。けれどあたまとからだをぐるぐると巡るいくつかの考えを彼に上手く説明できるとは思えなかった。火花のしっぽのようにすり抜けるそれを捕まえることもできないのに、てのひらの上に乗せて彼に見せることはできそうになかった。けれど何かの解答を示すまで、彼が引き下がるとも思えなかった。彼は夜の淵に突如現れた得体の知れない迷い子をじっとみつめていて、彼にしては驚異的な忍耐強さで答えを待っていた。考えた挙げ句、君の部屋は南向きだから、と答えた。我ながらその答えの不条理さに苦笑が漏れた。

 何が可笑しいんだよ、と彼が唇を尖らせるから、
 だって訳が分からない、と言い返した。ばかばかしさに笑いがこみ上げた。

 わたしのことは放っておいて、君はそのままドアを閉めてベッドに戻りなさい。教師の口調でやんわりと命令すると、彼は小さく笑って腰に片手を当てた。守らなくては減点されますか、プロフェッサー?このまま抱えて部屋に引きずり込むこともできるのですが?口調は軽いけれど本気だと分かるから、ゆっくり首を振った。君の部屋は南向きだから、ね。自他共に認めるこの上なく不条理な理由をもう一度口にする。彼は一歩踏み出しかけてやめ、何か言いたげな口を結局噤んだ。おやすみ、と言ってにこりと笑いかけると、彼はむっとした顔でこちらに人差し指を突きつけた。怒鳴りつける形に口を開いて、けれど何も言わずに再び口を閉じた。突きつけていた指で長い髪をがしがしと掻き回して、長く息を吐く。呆れられても仕方ないなと思いながら、窓に目を転じた。窓の外では強い風に星がちらちらと揺れる。きし、と微かに床が軋んで、足音が去った。壁を隔ててばさばさと布の音がした。おやすみ、と唇で呟く。勘の良い彼を起こしてしまったことをとても申し訳なく思う。こんなところに座り込みながら言えることではないのだけれど、どうかこのまま朝まで彼が深い眠りにつきますように。できればこのばかばかしいやりとりを夢だと思ってくれますように。朝が来れば、夜が明ければ、きっと満足した気持ちで自室に引き上げることができる。彼が起き出す前に部屋に戻って支度を整えて、いつもの顔で彼におはようといえる。何か訊かれても、そんなことは知らないと、きっと言える。馬鹿げたことだと分かっている。けれど彼は部屋に戻れとは言わないでいてくれた。これが意味のないことでも、結局自分の満足のためにここに来たのだから、自分の中の何かが満足するまで心ゆくまで座り込んでいればいい。

 部屋に戻ったところで、どうせ眠ることはできない。

 夢を見たかどうかも覚えていない。ふと目が覚めて、ベッドから降りて裸足のまま暗い廊下に出た。ぺたぺたと歩いて彼の部屋の前に立った。それはとても自然で、当然のことに思えた。焼けつくような焦燥が体内を駆けめぐっていて、それを鎮めるために何をすればいいか、考えるより先に答えが手の中にあった。呼吸ほどの無意識さでドアノブに手を伸ばした。わずかな光を律儀に反射する金属のかたまりを掴んで、途端その冷たさに脳が目を覚ました。
 瞬きもできないまま、ドアを開けることについて考えた。握りしめた金属に体温が移っててのひらのとの境目が分からなくなるまでさんざん考えた。彼が変わらずにそこにいると確認して安心することは、ドアを開け彼の名を呼んで騒ぎ立て、肩を揺さぶってその静かな眠りを破ることよりも重要なことなのか?心情的にはきっぱりとイエスだった。かつえるような焦燥は脳が目覚めた後も変わらずに脈打つ早さで流れていて、薬は言葉通りの意味で手を伸ばせば届くところにあった。麻薬的だと思った。劇的な効果とおそらく低くない中毒性。怖い夢を見た子供じゃあるまいしと3回呟いて、ゆっくり手を離した。窓まで歩いてそこに座り込み、壁に背を当てた。頭を預けるとほんの少し呼吸が楽になった。何をしているんだか、と思いながら、座ってしまうともう立ち上がることはできなかった。自嘲気味に微笑んだとき、ドアが開いた。
 逃げる暇も隠れる場所もなかった。
 ぴたりと照準を合わせてくる瞳を見つめ返して、こんなところで何を、とか、こんな時間に何を、とか、そういう当然の質問に対する答えを何も用意していなかったことを反省した。けれど彼は少し考えたあと首を傾げて、こんばんは、と言った。
 こんばんは?
 仕方ないので、こんばんは、と挨拶を返した。すると当然されるべき質問の前に、寒くないのか、と彼は質問した。


 かたかたと窓が鳴る。月のない夜は闇が澄んでいて、星が綺麗に見える。
 ドアを開けなかったことはやっぱり正しかったんだ、と思う。彼を起こしてしまったことが今こんなにも心苦しい。膝を抱え直して、その上に顎を乗せる。無事に夜が明けるのをここで見届けたい。何事もなく平和にいちにちが始まる、その瞬間を確かめたい。彼が変わらずにそこにいるのだと、守ることができるのだと、これからは。夜深い見張り台の上で膝を抱えることに意味があるとしたらそれ以外にない。

 がたんと何かが倒れるような音がした。ひたひたと足音が近付く。こんなふうに音を立てるのは彼以外にいない。ベッドに戻りなさいと言ったでしょうと文句を言おうと振り返った視界が塞がれた。火の匂いがする空気にくるまれたあと、ばさりと布が肩に掛かった。もぞもぞと手を伸ばして見つけた隙間から顔を出すと、額をぺちんと叩かれた。それについて文句を言う間もなく、窓際は寒いんだよ覚えとけ!と怒鳴られる。寒くなんかないと反論するには肩に掛かった布は暖かくて、だからもう何も言えなくなってしまった。かわりに叩かれた額をさすりながら彼を睨み付ける。そうする間にも毛布が肩や背を覆っていく。最後に剥き出しだった爪先をくるんで、彼はどかりと隣に腰を落とした。掛けられた毛布の端を持ち上げて彼の肩にも掛けようとしたが、彼が目でそれを固辞したので、彼の足先に掛けるに留めた。
 寒いでしょう、と言うと、俺はお前ほどばかじゃないからな、と彼は羽織っていたカーディガンを自慢げに見せた。君までここにいなくてもいいのに、ベッドに戻りなさいって言ったのに。ぶつぶつと文句を言う頬を彼はぎゅうとつねって黙らせ、ばーか、とだけ言った。
 ああ、確かにばかだったな。
 ベッドに戻れと言われて彼がおとなしく従ったことなど、学生時代から一度もなかったじゃないか。
作品名:窓辺には夜の歌 作家名:雀居