【FY】詰め合わせ
無声恋慕
「地下鉄」と言えども、ずっと地下に潜っている路線ばかりではない。用地や他の路線との兼ね合いから、地上を走る区間のある路線だって沢山ある。東京メトロ有楽町線もそのご多分に漏れず、路線の両端でその車両の姿を日の下に晒す事となる。
新木場は、半地下で壁もあるからまだマシだ。だが、もう片方の和光市となると話は別だった。
東武東上線との接続駅であるそこは、いたって普通の地上駅なのだ。当然ながら吹き込む風は新木場の比ではないし、冬の冴え冴えとした日光は、見ているだけで身が縮こまる。
それは端を同じ和光市とする自分とて同じ事で、オフホワイトのダウンジャケットを着て寒い、と叫ぶ先輩に、副都心は白い息をホームに浮かべながら口を開いた。
「今日はまた冷えますねぇ」
始発直後と言うのもあって、休憩室に置きっぱなしのダウンジャケットを纏っても、寒さは服の隙間から染み入ってくる。ちらりと横目で窺う分では、彼は自分と比べて、この冷えに相当に堪えているらしかった。
勝手にお揃いで買ってきた焦げ茶のダウンのポケットに手を突っ込み、開封済みの使い捨てカイロを取り出して投げ渡す。すると有楽町はカイロを外気に晒されている手でをしきりに擦りつつ、ああ、と途方に暮れた様子で空を仰いだ。
「毎度思うけど、ここはキッツイよなー……。オレ、地上走りっぱなしのJRじゃなくてよかったよ」
「東西先輩なら兎も角、先輩も僕もマトモな地上駅はここだけですしね」
うう、と首を縮こませる有楽町を抱きしめてやりたい、と副都心は思うのだが、それを実行したら、早朝から彼に殴られる羽目になるだろう。そこまでいかないとしたって、確実に腕は振り払われるに違いない。
ならば、と首に掛けたものを手に取って、そっと有楽町の背後に回る。よほど寒いのか、有楽町はカイロに夢中になっていて、副都心が後ろにいる事など気付いていないようであった。
(……それはそれで、悲しいですけど)
きっと有楽町は、副都心が彼に対しているのと同じ程は自分を見ていないのだろう。気を配ってくれているのも、他人と比べてうんと自分に目をやってくれているのも痛い程分かる。だが、一緒にいる間ずっと自分を見つめている訳ではない。
副都心と有楽町の想いの種類に差異はないが、その重さも意味も確実に違うだろう。副都心がそんな事を思うのはいつもこんな時なのだが、まあ、その事は今は取り敢えず置いておくとしよう。
「えいっ☆」
「うわっ!?」
手に持ったものをかぱりと彼に宛てがい、その肩に手を置いて後ろから覗き込む。すると驚いて振り向きかけた有楽町と丁度目があって、え、とその黄金の双眸が丸くなった。
「何だよ、いきなり」
「あったかいでしょう、それ」
「ああ、確かに」
恐らく聞こえにくくなっているであろう有楽町に、副都心は片耳を指しながら言ってやる。ん、と一瞬眉を顰めたものの、何が起きたか自覚するや、有楽町は耳を覆うそれを片方だけ掴んで浮かしながら、こくりと細い顎の先をを綿の詰まったジャケットに埋めた。
「しっかしまた派手な柄の耳当てだなー。ヒョウか? これ」
「可愛いでしょう?」
茶と金の混ざった柄につい手が伸びたのは黙っておいて、副都心は有楽町の顔の横を飾るフリース地ににんまりと口を吊り上げさせた。染められた金の髪に、ヒョウ柄が驚く程見事に馴染んでいる。
「かなり寒そうですし、貸してあげますよ、それ」
早朝の和光市はまだ閑散としていて、朝のラッシュが始まる時間までは大分余裕がある。ふんわりとした布の感触が気に入ったのか、子供のような装いに少しだけばつの悪そうな顔をしつつ、有楽町はじゃあちょっと借りるわ、と言ってホームの先の方へと歩き出した。
時たま、その背が遠く感じる事がある。毎日と言ったっていいくらいにしょっちゅう抱きしめている背中なのに、手を伸ばしても届きはしないのではないかと、ふと馬鹿みたいに不安になる時があるのだ。――たとえば、今、みたいに。
「愛してますよ、先輩。だから、どこか行ったりしないで下さいね」
和光市と新木場の間、許せても乗り入れ先の東上と池袋の路線上まで。そこまでしか副都心の腕は届かないから、その間をうろうろぐるぐる、行ったり来たりを繰り返していて欲しい。じゃないと、有楽町を捕まえていられない気がするのだ。
(本当は、どこにいたって僕の事を思ってて欲しいんですけど、ね)
「……おい、副都心」
らしくない感傷に浸る副都心の頭に、有楽町の鋭い声が突き刺さる。何事かと俯きがちにしていた顔を持ち上げると、耳当てを付けっぱなしにしていたせいで平素より大きな声で名を呼んだ有楽町が、鼻先を赤くさせた渋面で副都心を見つめていた。
「お前今、恥っずかしい事言っただろ」
「………え?」
呟いた声は本当に小声で、有楽町とて耳当てを付けて向こうを向いていたのだから、俯いていた副都心の唇の動きなど読み取れるはずもない。なのに有楽町ときたらやけに確信を持った言い方でそう怒るものだから、つい副都心はくす、と笑みを零してしまった。
「何で分かったんですか?」
「うっわ、マジで言ってたのかよ! ………何か、お前が何か言った気がしたんだよ」
「わあ、先輩ってばエスパー」
うげ、と悪くない造作をしている顔を存分に崩しながら、有楽町が耳当てを外しながらこちらへ大股で近付いてくる。
「うっせ、何年お前の先輩やってると思ってるんだよ」
舐めんなよ、と言いながら、かぽりと耳当てを付けられる。耳に触れるフリースには有楽町の体温が僅かに残っていて、未だに顔を顰めたままの彼に、副都心は厚い布越しの己の耳にも届くような声で、はっきりと「流石僕の先輩です」と返すのであった。
(20100214)