【FY】詰め合わせ
機嫌悪いだけ、とさらりと付け加え、有楽町は肩を竦めてみせた。どうやら有楽町は副都心の不機嫌さに心当たりがあるようで、となると池袋としては顰め面を作らざるを得ない。
「貴様らの痴情の縺れをこちらに持ち込んでくるな、汚らわしい」
「何その言い草!?」
むすっとした副都心の横で有楽町が予想通りのリアクションを返してくるが、池袋はそれに手で払うだけで何も言わなかった。
手の動きを見てむ、と口を歪めた有楽町が、再び肩を竦めて踵を返す。彼が手に持っているものが月次の報告書であるのは分かっていたし、だとしたら自分だけではなくこの駅に詰めている駅員にも渡さなければいけないはずだ。
いいからとっとと行け、と手で示して、池袋は斜め向かいにいる副都心へ視線を移す。
「貴様、有楽町に何か吹き込まれたな」
「……何かって、何ですかね」
視線を逸らし気味にしていた副都心の目が、二人きりになった事でようやく池袋の方を向いた。茶色の目は紙袋越しに見ていた時と変わる事のない挑戦的な色を纏っていたが、それでも今日はどこか勢いが足りないように感じられた。
「わたしとあれの事だ」
「ああでも一応僕の先輩なんで、『あれ』とか言わないで下さいよ」
「………は、随分とご執心のようだな」
「ま、僕と先輩は元からセット扱いみたいなもんですからね」
今日は話の矛先が少し違うだけで、この程度の舌戦もいつもの事だ。細かい所にまで目くじらを立てる辺りは流石と言うべきか、そこまでの執着を見せるべき相手がいなくなってしまった池袋は鼻で笑う事しかできなかった。
「で、その片割れの知られざる過去を聞いて、有楽町を誘惑したわたしを殴りについて来た、と言う訳か?」
「そうじゃないですよ、ちゃんと仕事で来たんです。自惚れないで下さい」
「……ふん」
ああ言えばこう言う、とはこの男の為にあるような言葉だ。眼差しも見た目も、おまけに喋る内容まで全く可愛くないのに、有楽町はこの男のどこがいいのだろうか。
(ああ、だが「新線」だった頃はまだマシだったか)
有楽町はあの時の今よりまだ純真そうだった瞳に騙されてしまっているんだろうか。それとも、紙袋を取って様変わりしてしまった、自分がずっと面倒を見てきたはずの「男」に絆されてしまっているのか。
どちらにせよ、他社である池袋としてはどうでもいい事だった。副都心が気にしているらしい事だってたったの一度きりで、池袋自身すら今日の違和感を感じ取るまで久しく忘れていた出来事である。
「……ああ、でも、仕返しって言うのはアリですね」
「は?」
――下らない嫉妬は辞めたらどうだ、所詮振り返る事しか出来ない過去の事ではないか。
慈悲の心を見せて、そう池袋が諭してやろうとした瞬間である。ぐっとワイシャツの腕が伸びてきて、濃紺の制服に包まれた池袋の肩を乱暴に掴んで引き寄せた。
「むっ……!?」
少しだけかさついた唇が近付いてきて、貪られる。押し返そうとすぐ近くにある胸へ腕を伸ばすが、憎らしい事にびくともしなかった。
言葉を紡ごうと開きかけていた口の中へ、熱い舌が入ってくる。押し入ってきたものはぬるりと唾液の感覚を残しながら歯の裏や上顎を舐めていって、気持ちがいいとか悪いとか言う以前に湧いた困惑と嫌悪感で池袋の眉間に皺が寄った。
「きさ、ま……!」
「先輩にしたキス、返してもらいましたよ。……でも」
呼吸が苦しくなってきた辺りでやっと胸についた腕が用をなして、ぜえぜえと荒くなった息もそのままに怒鳴りつける。しかし眼前の男ときたら怒声も何のそので、池袋に対して勝手な事をのたまいながら、更に無礼な事にごしごしと手の甲で唇を拭いていた。
「するもんじゃないですね。大分こう、やっちゃった感が」
「そちらから勝手にしてきたのだろうが!」
「そう言う事気にしちゃうなんて、池袋さんも案外ピュアですねー」
ピュアとかそう言う問題ではない気がするのは池袋の思い違いなのだろうか。
「……もう、いい。貴様らのあれこれに巻き込まれるとロクな事にならん。大体にして、わたしに八つ当たりをするのが見当違いなのだ」
折良く、駅務員室から出て来た有楽町がこちらへ早足で向かってくる。
このままやられっぱなしと言うのも堤会長に面目が立たない。段々と大きくなってくる有楽町の足音と、横をすり抜けていく自社の6000系の通過音をバックに、池袋はにやりと口の端を吊り上げて笑ってやった。
「知っているか、副都心」
「何です」
「あれは確かに誰にでも優しくし、傷ついた人間を放っておく事など絶対にせぬ、馬鹿みたいに人のいい男だが」
そう、だからこそあの日の有楽町は自分に手を伸ばしたのだし、そうするだろうと分かって池袋もあんな事を口走ったのだ。
だが。
「有楽町は、他と比べて、貴様にだけは容赦がない」
それがどれだけの意味を孕んでいるか、果たしてこの若輩者は分かっているのだろうか。
八方美人でお人好しの有楽町が、ただ一人にだけ余裕をなくしてみせる、そこに含まれている何かを完璧に自覚出来ているのだろうか。
思い出し、副都心にならって口を拭う。キスの余韻のすっかり取れた唇は、目の前の若い男の浮かべる表情から察するにひどく上手に笑えているに違いない。
「貴様もまだまだ青いな、副都心よ」
(20091025)