【FY】詰め合わせ
フレーバーに埋まる
「……疲れた」
疲れた、ひどく。
なぜか運行時間中に突然呼び出された会議室にはなぜか都営が勢揃いしていて、なぜか唐突に「メトロと都営を合併する話が持ち上がっててね」と銀座が言い出し、果てにはなぜか話し合いはメトロ対都営の麻雀大会になっていた。
麻雀が打てない訳ではないので仕方なく加わったが、しかし銀座の揃えた役の有り得なさと言ったらなかった。あれはもう、空気が読めていないと言っていいレベルだ。仮にも合併の話が出ている相手との勝負に出ていい役ではなかった。
「しかも言うに事欠いて『巻き上げる程お金に困ってない』、って」
そもそも麻雀で賭け事を行うのはいけない事だった気がするのだが。
まあいい、深く考えるのはよそう。合併の話なんて結局の所路線である自分や銀座が決められる事ではない。嫌だと思っても社の意向に沿わぬ訳にはいかないし、難しい事をあれこれと考えても頭と胃が痛くなるだけだ。
廊下の向こうにある共有スペースからは、誰かしらの談笑の声が漏れ聞こえてくる。そこに混じって温かい紅茶でも飲めば、心身の疲労も少しはマシになるだろう。そう思いながらドアへ手を伸ばした、その時であった。
「っ、副都心!?」
ノブを捻ろうとしている有楽町の手首を、ぐっと副都心の手が掴んでいた。
「先輩はこっちですよ」
開きかけたドアの向こうからは南北の自分を呼ぶ声がする。なのに副都心はそのまま有楽町の手を取ったかと思うと、すたすたと一直線に同じフロアにある自分の部屋へと向かっていった。
一体何がどうしたと言うのだ。昼過ぎまでは一緒に仕事をしていたが、その後は銀座に呼ばれたせいで一度も顔を合わせていない。だからこそいつ彼の地雷を踏んでしまったのかが分からなくて、有楽町は自分よりも少し高い位置にある上にある副都心の顔を見上げるのが精一杯だった。
そう、気のせいでなければ、怒っている。
「ふくとしっ……!」
副都心の部屋のドアが開いて、押し込むように中へと入れられる。その乱暴な扱いに目を剥いた有楽町は、しかし文句はおろか後輩の名すら最後まで言う事さえ出来なかった。
「ん、っ………!」
覆い被さるように顔が近付いて、唇を奪われる。ここ玄関なんだけどとか、そもそも急に何なんだとか、色々と言いたい事のある有楽町の口から、副都心が全てを奪ってゆく。言葉も、酸素も、余裕すら。
「お、まえ、いきなり何………」
「今日、銀座さんに呼ばれてどなたと会ってたんですか?」
「……え?」
足りなくなった酸素を取り込もうとは、と荒い息をする有楽町の頬を、するすると副都心の手が滑ってゆく。額に垂れる髪を一房とって梳くように撫でながら、副都心はさらりと言葉を続けた。
「タバコの匂いがします」
「……ああ、都営の人達と会ってたんだよ。何か合併する話が持ち上がってるとか何とかで」
「へえ」
「三田線が吸ってたから、その匂いが移ってたんじゃないかな」
ちゅ、と軽い音を立てて開いた額に口付けられる。そのままキスを落とされた箇所に舌が這って、うわ、と有楽町は身を竦ませた。
「ほんとにどうしたんだよ、お前」
「吸ってない銘柄の匂いがするのは癪です」
「………はあ?」
「都営さん流のマーキングですかね、何か凄い気に食わないんですが」
はい、と促されると言うよりも有無を言わせぬ感じで、二人掛けの小さなソファに座らされる。隣に座るのかと思いきや副都心はスラックスのポケットへ手を突っ込み、慣れた手付きでタバコに火を付けると、そのままぎしりとソファの端を軋ませて有楽町の足の間へ膝をついた。
タバコを一吸いしてから、口付けられる。絡められる舌はいつも感じるバニラの甘ったるいフレーバーで、確かに三田から香った匂いとは違う気がした。三田はもっと重いものを吸っているらしく、漂う煙は隠しようのない濃いタバコの匂いがした。こんな風に、毒気を隠すような甘い匂いは一つもしていない。
「………ん、」
息継ぎの為に離した唇を、ぺろりと舐められる。酸素の行き届かない頭に副都心のいつも吸うタバコの匂いがしみ通ってくらくらするのに、彼のタバコを持っている方の肘を支えるように掴んでいる自分の手が不思議で仕方がなかった。
喫煙もキスも身勝手な行動全てを許してしまっている自分は、ニコチンに毒される副都心の肺と同じで、きっともう彼自身に毒されてしまっているのだろう。
「灰、落ちる……」
「そうですね」
視界の端でちかちかと明滅する赤はもう大分白い灰の奥に隠れてしまっている。このまま放っておかれたら自分が火傷してしまいそうなので一言だけ言うと、副都心は軽く頷いてまだ長さの残るそれをソファ前に置かれたテーブルの上にある灰皿へぎゅっと押し付けて消してしまった。
「それじゃあ、これから先は先輩に集中する事にします」
「はっ……ん、ふくと、し、ん」
また家具の軋む音がして、キスの前にシャツの前をくつろげられる。緩くなったネクタイのお陰で呼吸は楽になったが、感謝を言う場面でもないのでそこは黙っておく事にして、有楽町は観念したように目の前の首へ腕を回しながら、キスの合間に後輩の名を呼んだ。
「何ですか?」
「お前ほんとに、唐突で、意味が分からない、それ」
唇を触れ合わせたまま喋るものだから、声が振動を生んで有楽町の背を震わせる。軽く目を伏せたまま文句になっているか分からない言葉を呟くと、ゼロに近い距離で副都心の目がにんまりと弓の形を描いた。
「知りません? 独占欲って言うんですよ、これ」
睦言にしては苦い言葉を吐かれて、ダージリンを飲みたかった口は自分では吸いもしない嗜好品の匂いにまみれて、それからの事はもう、おしまい。
(20090904)