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離婚調停(途中)

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「ああ、疲れる」
 肉体的な疲労よりも精神的な疲労が大きかった。砂砂砂、どこを歩いても砂! どれほど無責任に堕落すればあのうつくしい星をこんなにも悲惨な状態に出来るのだろう。責任の一端は私にも無いとは言えないことがどこまでも悔しい。だってこれはもはや、悲惨を通り越して凄惨ですらある。いたましく、むごたらしい。
 私はカピカピの地面に四つん這いになってその砂礫を注意深く掬った。歩いてみなければ分からないことというのは確かにあるもので、どうやら地球の黄土色を形成するものには大きく分けて二種類があるらしいのだった。
 カピカピと呼ぶにふさわしいのはその大方を占める砂で、ときに流体的な性質を示しながら、しかし不動の確かさで大地をひび割らせているものである。その上には動物の骨がごろごろと転がっていることが多く、植物は幹の白い樹木と仙人掌が疎らに立っているのみであった。強風が吹くと砂が舞って目に入るのでたいそう煩わしい。
 そしてもう一つは、わずかな生命を孕んだ粘土質のそれである。黄土色のカピカピに比べて暗褐色の重たげな見た目をしているのですぐにそれとわかる。まれに地衣類の緑色植物が自生していることもあり、地球のカピカピをどうにかするにはこの暗褐色が鍵になるだろうと私はひとり頷いた。ただ構成粒子が細かすぎてかたくなってしまうことが問題と見える。
 資産運用ってこんなに神経を使うものだったかしら。そもそもこうなるまで放っておかなければ面倒はなかったのに、やはりあの男がすべて悪いのだ、と思考が堂々巡りをはじめる。もうすぐ他人になるあの男。今どこにいるのだろう。
 頼りなくふらつき始めた足元、それはもちろん肉体疲労などではなくて、男の情けなさに涙ぐむかわりの可視的な顕れなのであったが、それが乾いた地面に絡め取られて縺れる。もういやだわ、と独りごちたとき、まるで湧きいづるように、私の眼前に小さなジューススタンドが現れた。
「いらっしゃい」
 淡赤色の眸と髪を持つ少女がスタンド脇の切り株に腰掛けて茫然とする私に云った。新潟に入って人に会ったのはこれが初めてだった。世界人口はもはや十億人を切るほどに減少したうえ、都市の過疎化と陸地の拡大によって、人間は集合することをやめてしまったので、こんなことがあるのだ。人に会うことはよいことだ、と私は思った。
「あなたの店?」
「うん。今年最後の巨ポンカンジュースはさっき出ちゃったから、もう来月までアロエのぞうすいしかないけど」
 少女はそう云って笑うと、疲れているなら一杯どお、とスタンドの中に駈け込む。お腹は減らないけれど、おいしいものを食べたいとは思う。わりにやっかいな身なのだ。
「いただこうかしら。でもいくら。私あまりお金は持っていないのよ」
「大丈夫、安くしておきます」
 そういう間にもアロエの透明ゼリーを木製の器に絞りだし、もう注文を受けた気でいる。日本人はけっこうたくましいようだ、こういう気質も、この国を支える要因のひとつなのかもしれない。だってやっぱり、大地はカピカピなのだ。
「この間から水が大幅に値下がりしてね。コスト激減で大助かりなの」
 すでに炊いてあったらしい米をタッパーから器に移し、ゼリーを混ぜる。うすくスライスしたアロエの外皮をちょこんと乗せてアロエぞうすいは完成らしかった。
「えらく簡単なのね」
「自慢の新潟魚沼産コシヒカリを使ってるの。おいしいよ」
 新潟魚沼産というけれどそれは米というより黍に近い形態の穀物で、じゅるじゅるのゼリーの底で生成り色に濁っている。水田などという贅沢な栽培はもはや世界中のどこでも行われてはいない。だからこうした乾燥に強い穀物が主流になってきているのだ。
 それにしてもこのご時勢に水の値下げとは。カピカピの地球では、水は宝石よりも価値のあるものである。よほど良心的な人間が売っているのか、あるいは単にデフレーションがすすんでいるのか。どちらにせよ少女にとっては有り難いの一言に尽きるに違いない。
「あ、本当においしい」
 甘みがほどよく利いている。雑炊というよりなにか新しいタイプのデザートでも食べているみたい。穀物に糖分を混ぜるのは西洋の文化であると思っていたのだが、海が干上がったからなのかどうか、その文化も複雑に混じり合っているようだった。
 少女はスタンドの中から微笑して見せ、少女らしからぬ指先を伸ばしてきたかと思うとグラスに入った冷水を私の前に置いた。グラスの外側に水滴がみるみる浮かんで、木製カウンターに丸いしみを作る。
「リッター百円になったからね。このお水はサービスです」
 それはつまり。
 私は哀しくなって少女が置いたグラスを急いで煽った。それはつまり、以前は冷水さえ有料だったということなのだ。喉元を潤す恵みはそれだけでかつての地球の価値を思い起こさせる。私たちはそれを、失ってしまったのだ。
「ね、どこから来たんですか?」
 少女は生命力にあふれた大きな瞳を耀かせて尋いた。見も知らぬ女の出自を知りたがるのには彼女なりの理由があるらしかったが、私はそれを知る由もない。何処から来たのかという問いにはいずれにせよ応えられないので、東から、とだけ、ひとりごとのようにこぼした。
 しかし少女はそれを待っていたように口角をあげたのだった。
「東って、あっちね」
 驚くほど大人びた輪郭がくいと持ち上がり、目映いばかりの指先はまっすぐにブラジルの方角を示す。まるで私の存在を予め知っていたような確信に満ちた直線が黄土色の景色の中に描かれた。どきりとする。まさか、そんなはずはないのだけれど。
 花がしぼむようにつつましく、少女は伸ばした指を腕を懐に仕舞った。お水のおかわりは如何ですか。上機嫌に尋ねるけれど私がそれに応えるより早く、意識は別のほうを向いてしまっていた。
 遥か東方の。ブラジル。其処は因果の地。
作品名:離婚調停(途中) 作家名:宮田