孤独な彼との数ヶ月 １
――― 一ヶ月目 ―――
『神さまも追いつけないくらいに！』
悪魔であることを理由に処刑されることが決まり。
手紙を書いた。
生まれてはじめて、遺書を。
『雪男へ
これをお前が読むころ。おれは、もうおまえのそばにいない。
お前のこと考えたら、死ぬのも怖くない。というのも、ほら、おれ、
ばかだから。むずかしいこと考えないから、たぶん、いいんだろう。
ほかのやつが、こんなふうに死ぬことになったら、たぶん、おれは止
めるけど、でも、おれは行く。むずかしいから、あんまり考えないで
きたけど、なあ、悪魔のおれが、
そばにいて、しあわせになれる人ってどのくらい、いるんだろう。
おれ、人を不幸にするくらいなら、べつに生きていないくていいよ。
雪男がおれのせいで、たくさん、きずついてきたって、最近になって
知ったけど、お前、いままで、しあわせだったか？
小さいころの、ましょう、のせいで、苦労させてごめんな。
というか、おれのことどう思う？
むずかしいこと聞いたな。うーん、 おれといるの、たのしかった
か？おれは、たのしかったけど、お前のこと考えたら、もっと、べつの
せんたくしってやつが、あったのかもなあ。わるかった。
おれは、お前がたのしかったって言ってくれたら、たぶん、うれしい。
うれしいけど、やっぱり行くのはやめないだろうな。お前がたのしくても
ほかのやつもたのしいとは限らないもんな。
なあ、すごく、ありがとう。ありがとう。お前がいてくれて良かった。
兄弟で、良かったよ。
なんか、思いつくままに書いたら、ひらがなだらけだし、改行がおかしい
ことになった。
笑ってくれていいぞ
さよなら
燐より』
これがおれの遺書。
それを、メフィストに雪男へと渡すよう頼んで、この世にさよならを言う最後の時間をうしなった。
（手紙、もっと書けばよかった）
足どりが重い……。だが、想いが、足をとどめさせなかった。
処刑が決まってしまった以上、とにかく、ここで、大人しく死ななければならない。
逃亡をはかって弟に迷惑はかけられない。
一度だけ振り返りたい衝動に駆られたが、背後の銀の刀剣がそれを許さなかった。
しかたなく、隣りのメフィストに話しかける。
「神さまって、残酷だな。とりあえず、おれにとっては……」
メフィストは、ふふふ、と唇を哂いにふるわせた。
「神は平等です。誰にとっても手厳しいだけでしょう。まあ、本当にいれば、の話ですが」
「信じてねえの？」
すこしでも気をまぎらわせたい。
死が……こわい……。
震えるゆびを握りこんで、こぶしを作る。
手錠が、かしゃりと、小さく鳴った。
あかりが行く先に見える。暗いトンネルの向こうに。
あのあかりの下に着いたときこそ、ついに永遠の別れ。愛するものを置いて先立つ。
（だれも恨まず……）
だれも憎まず、と燐は心の中でだけ、つぶやいた。
悪いのは、自分か世界か、もうよく分からない。
生まれることが罪ならば、なぜ、この世界は自分が生まれてくることを止めてくれなかったのだろう？考えてもしかたない。答えはない。どこにも。そして、こんなむずかしいことを考えるのは弟の役目だ。
（雪男……）
愛するものの名を、心の内で呼ぶ。
声にはならない、魂の呼びかけ。最後に、かれの名を、口にしてみたい。本当にはしないけど、たぶん、今、一番したいことだ。
愛する者の名を呼びたい。イエスの名を叫びながら死んだ、ジャンヌダルクのように。
メフィストが冗談で言っていたのだ。『昔の聖女が、火刑のさい、愛する主の息子の名を呼びながら死んで逝ったのです。似たように、愛する者の名でも呼んでいれば怖くないかもしれませんよ』と。
怖くない、と強がることが、なぜか今はできない。
出頭したときは、なんとも思わなかったのに。なぜだろう……？
外の光が近づいてきている、もうすぐ、もうすぐ、自分は死ぬ。
祓魔師たちに殺されて。
この後に、救いがあると、いい。自分にも、弟にも。そう願う。
願い事をするのは、誰にすればいいんだろう。唐突にそう思う。
燐は悪魔で、神の愛する生き物ではない。
願い事さえできない。嗚呼……。
外の光がまぶしい。ついに、芝生が生えた処刑場についてしまった。
真ん中に罪人を縛り付ける、太い銀の杭がある。
あれに縛り付けられて、そして……ああ、いやだ……。
嫌なのに、足はとまらず、一歩一歩、大地を踏みしめる。
杭が目の前に迫り、そして、聖具でそれに縛り付けられる。
杭に手が触れると、銀の清めで触れてしまったほうの手が焼けた。
前方に、処刑人が来た。
処刑人が弓をかまえる。
真っ直ぐに飛んできたするどい切っ先が、胸を突いて、吸い込まれるように刃が心臓を射抜く。
痛みを感じない。ただ、傷口が焼けるように熱い。熱い！
ああ！ゆきお！ゆきお！ゆきお！
あい し て る ・ ・ ・ ・
作品名：孤独な彼との数ヶ月 １ 作家名：吉田祐子