孤独な彼との数ヶ月 5
――五ヶ月目の初め――
『かれを窒息させる方法』
夜中、ふいに目が覚めて、燐は、ぼんやりと浮上する意識の端に、わずかばかりの異変を感じた。
ちいさな呻き声に誘われるように目を開くと、視界いっぱいに、自分を抱きしめる同衾相手の胸が見える。
首を上に傾けて、呻き声のぬしの顔を確認する。
眉間にしわを寄せて、たいそう寝苦しそうにしている。
(またか……)
燐は、かれの眠りの妨げとならぬよう、なるべくそっと、かれの体に腕をまわす。
すっかりなじんだお互いの体温を感じながら、かれの背をあやすように撫でてやれば、しばらくののち、かれの呻きは、すうすうという静かな寝息にとって代わった。
虚無界の夜は騒がしいのが通例だ。しかし、この呻き声のぬしの意向で、少なくともこの城の周囲は、夜、物音も少なく、なにもかもが、まるで死んだように静まり返る。
周囲のさみしいばかりの静寂。
燐はじっと息を殺してあたりを窺った。
しだいに、なんとなく心細くなってきて、燐は目の前の男に意識を向けた。
世界から切り離され取り残されたかのような夜のしじまのなか、雪男のかすかな寝息だけが、ちいさく聞こえる。
それさえも、よくよく耳を澄まさねば分からぬ。
ときたま、かれが生きているのか不安になるほどのちいさな息。
燐には、すぐ隣にあるかれの命の温度だけが、唯一の、頼るべきよすがであるかのように感じられた。
今夜のように、雪男がなにか物思いにふけっている日に、悩みを無理矢理に散らそうとするかのようにまぐわうとき、かれは、燐の体を獣のように貪ると、たいていの夜、その後は燐に腕枕をして、近すぎずちょっとだけ顔をはなして、どこか茫洋とした顔で燐の顔をじっと眺める。なにかを探るように、求めるように。
そして、それが済むと、その一連の行動に対する燐の反応などおかまいなしに、ひとことも言葉さえかけてくれず、さっさと休息を求めて、やがて泥のように眠る。
かれは、なにか考え事があるとき、閨では、あまり燐の機嫌を気にしない。
だから、燐はそういう時、置いてきぼりにされたような寂しい気持ちになる。
そして、そんなふうな悩み事のあるときは、ほんの時折、今日のように、うなされて、寝苦しそうにしている夜があるのだ。
どんな夢をみているのか、かれは、けっして口にしない。
今では、尋ねることさえやめてしまったが、気になってはいる。
思えば、かれは、秘密の多い男だ。
かれは、燐を作った、燐のあるじ。
燐は、かれに作られた、生き人形だ。
そんな燐のことを、ふとしたはずみに、雪男は、兄さん、と呼ぶ。
そして、ああ呼び間違えた、などとうそぶくのだ。
これは燐の勘でしかないのだが、かれは、たぶん、呼び間違えてなどいない。
燐は、なぜ自分が兄と呼ばれるのか分からない。
分からないけど、なんとなく体がその呼び名を覚えている。
兄さん、と不意打ちのように呼ばれても、燐の体は、名前を呼ばれたときと同じように反応する。
かれの声が、どこか甘さを含んで燐の名を綴るより、兄さん、と幾分、硬い声で叱るように呼ばれるほうがしっくりくるなんて、おかしな話だ。
おかしいが、だが、実際そうなのだから、しかたがない。
作品名:孤独な彼との数ヶ月 5 作家名:吉田祐子