BSRで小倉百人一首歌物語
第1首 秋の田の(政宗といつき)
収穫の季節を迎えた田に、秋の涼風が吹きわたる。その風に吹かれ、夕陽に映える金の稲穂がざわざわと音を立てて揺れる。見る者が思わず感嘆の息を漏らすような、美しい光景だった。
「今年も豊作みてぇだな」
そんな田の様子を畦道から眺めて、政宗は満足そうに、傍らに立ついつきに声を掛ける。いつきは誇らしげに頷いた。
村の衆が一揆を起こしてからというもの、何かにつけて政宗は村を訪れるようになっていた。再び一揆を起こされないようにという監視の意図もあったのだろうが、それ以上に、村の様子を気にかけてくれているからなのだろうといつきは感じていた。政宗がそれを直接口にしたわけではないが、訪れたときの様子からそれと知れる。現に今も、政宗は柔らかく慈しむような眼差しで耕地を見つめている。第一監視だけが目的ならば、使者を立てればいいだけのことなのだから、やはり政宗はここに住む者たちのことが気がかりなのだろう。
いつきはそれを嬉しく思った。今までは自分達を搾取するだけの存在だと思っていた侍が、身近に感じられる。農民の生き方を見てくれている。それで生活が楽になるわけではないが、大切に思われているということが何よりの希望になった。
「政宗、ありがとう」
感謝の言葉が口を衝いて出る。その言葉が意外だったらしく、政宗は目を丸くしていつきの方を見た。
「礼を言うのはこっちの方だ」
と政宗は無愛想に言い放つ。いつきはにっこりと笑う。それが政宗の照れ隠しだということは、何度か訪れるうちに分かるようになっていた。
「政宗が来るようになってから、みんなの気持ちも、ちょっと変わったんだ。昔からこの仕事には誇りを持ってたけど、もっと前向きになった。政宗がこっちをちゃんと見てくれてるから、おらたちも応えなきゃいけねぇって」
「…そうかい」
そう言って、政宗はふいと顔を逸らす。口を引き結び、僅かに眉を寄せるその凛々しい横顔を、いつきは頼もしく見上げた。
一際強い風が、山の方から吹き降りてくる。遮るもののない田園の風は、きっと城下よりも強く冷たく感じるだろう。政宗が少しだけ肩を震わせたのを、いつきは見逃さなかった。
「政宗、寒いだか?」
「Ah?馬鹿にしてんのか?」
からかわれたと思ったのだろう。むきになって睨み付けてくるので、いつきは声を上げて笑う。
「政宗は童っこみてぇだなあ」
「ガキにガキ呼ばわりされる筋合いはねぇ」
そう言ってまたそっぽを向く政宗は本当に子供のようで、いつきは暖かい気持ちになる。侍といえど、自分達と同じ人間。政宗と親交を深めるにつれて、いつきはそれをひしひしと実感するようになっていった。初めて農民を同じ人間だと言ってくれたのは政宗だし、いつきにとってもまた、政宗は初めて同じ人間だと認められた侍なのだ。
いつきは隣に並ぶ政宗の手を何気なく見た。六本の刀を振るうその手はごつごつとしていて、痛々しい。自分の手を目の前にかざしてみる。鍬や槌を握ることもあって、いつきの手は同じ年頃の少女のものに比べれば、随分まめや傷も多いし、皮膚も厚い。だが、この手はいつきの自慢の手だ。農作業に精を出したり、みんなを守ってきたりした思い出が、この手にはしっかりと刻まれている。
自分の手をまじまじと見つめるいつきを不思議に思ったのだろう。政宗はいつきの手を軽く取って、じっとそれを見つめる。政宗の思いがけない行動に、いつきは驚いて身を強ばらせた。
「いい手じゃねぇか」
いつきの想いを汲み取ったように、政宗は短く、だが優しく告げる。
「おめぇさんの手も、いい手だよ」
困惑しながら、何とかそれだけ言う。政宗は何となく寂しそうな顔で笑って返事をする。
「俺の手はすっかり汚れちまってるがな」
「そんなことはねぇ!」
いつきが突然大声を出したので、今度は政宗の方が驚いて、いつきの顔を見つめる。いつきは怒りに体を震わせながら言葉を続ける。
「その手はおらたちを守ってくれる立派な手だ!汚れてなんかいねぇだよ!」
今にも泣き出しそうな痛切な声で訴える。
いつきはかつて一揆を起こした時のことを思い出していた。自分達の暮らしを守るためとはいえ、人を傷付けるのは心が痛んだ。政宗だって、侍とはいえ人間なのだ。きっと自分と同じように感じているはずだ。だからせめて、農民を守っているのだということを誇りに思ってほしかった。
政宗はそんないつきを宥めるように、その頭に手を置いた。
「そうだな。いつきの言うとおりだ」
政宗の声に、不思議と心が落ち着く。たぶん政宗は、いつきの言葉に納得したわけではあるまい。しかし、必死に自分を庇おうとするいつきに、彼なりの謝意を示したのだ。
「いいか、いつき。おめぇらの仕事は、この田畑を守り育てることだ。それ以外のくだらねぇことは、俺らに任せればいい」
「政宗」
「もう少し待ってろ。必ず、おめぇらが何の心配もしなくていい世の中を作り上げる」
早くそんな世がくればいいのに、といつきは思う。そうすればきっと、政宗もこんなに寂しそうな顔をしなくてすむのに。そんな考えが浮かんだことに、いつきは内心で驚く。あんなに憎んでいた侍に、こんなに優しい感情を抱くなど、ほんの少し前までは想像もしてみなかった。
「政宗様」
不意に背後から掛けられた声に、二人は同時に振り向く。畦道の向こうから、小十郎が歩いてくるのが見えた。
「いつきも一緒だったか。久しぶりだな」
強面を少しだけ柔らかくして、小十郎はいつきにも声を掛ける。いつきもその言葉に頷く。
「政宗様、そろそろ刻限です」
「もうそんな時間か」
日は既にその姿の半分以上を山の向こうに隠している。薄暗くなった空には、もう星がその輝きを放ち始めていた。
「いつき、たまには屋敷にも来い。うちの連中も喜ぶだろうぜ」
「ああ。あいつら、刀ばかり握ってて農作業もろくにできやしない。おめぇからも言ってやってくれ」
二人の言葉に、なぜか涙が零れそうになる。誰かに自分の生き方を認められることが、これほど嬉しいことだとは思いも寄らなかった。政宗は、いろいろな気持ちをいつきに教えてくれた。
「うん、必ず行く!」
涙は見せず、明るく笑って言う。それにつられるようにして、政宗と小十郎も笑う。
明日からはまた別々の空の下で、それぞれの為すべきことを全うする生活に戻る。だが、いかなるときでもその気持ちは繋がっている。そのことが、何よりも嬉しく感じられた。
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟