BSRで小倉百人一首歌物語
第9首 花の色は(政宗と家康)
「すまんな、独眼竜。すっかり遅くなってしまった」
縁側で煙管を吹かす政宗に声をかけると、政宗は手招きをして、隣に座るように促す。素直に従って隣に腰かけると、政宗は煙を吐き出してから、灰吹きにゆっくりとした動きで灰を落とす。悠然とした動きが、かつてとは違った余裕を感じさせるなと、胸中で考える。煙管を仕舞ったところを見計らって、家康が口を開いた。
「どうにも忙しくてな…。すっかり花も散ってしまった」
家康の指摘するとおり、このあたりではもうすっかり葉桜が目立つようになっていた。この伊達屋敷の桜も例外ではない。とはいえ陽光を受けてみどりに光る葉桜も、それはそれで風情のあるものだが。
政宗は江戸に屋敷を置き、時折滞在している。ちょうど桜の頃には、毎年欠かさず訪れ、庭に一本植えられている桜を愛でるのが恒例となっていた。ある年、それを知った家康が独眼竜と花見をしたいと言い出してから、この奇妙な関係が現在まで続いている。
「構いやしねぇ。それより、いいのか?天下の将軍さまが、こんなところで油売ってて」
家康の顔を覗き込みながら政宗が尋ねると、家康は苦笑を浮かべながら答える。
「急ぎのものは終わらせてきたから、少々構わない。まったく、毎年同じことを言うな、お前は」
「悪かったな。年を取るとどうにも説教臭くなっちまうもんだ」
「はは、まだ老け込むような年じゃないだろう。お互いにな」
「ああ…そうだな」
家康が関ヶ原の戦いで勝利し、天下を治め始めてから、随分と長い年月が過ぎた。家康の治世が優れていたこともあり、大きな乱れもなく世は平和への途を着実に歩んでいる。乱世をともに駆け抜けた武将たちは、今は与えられた領地を治める事に専心している。政宗とて例外ではなく、仙台に居城を遷してからはかつての野心は影を潜め、善政を敷いていることで民草からの支持も厚い。
黙り込んで目を伏せる政宗を、家康はじっと観察する。実際の年齢よりは若く見られがちではあるものの、やはりその目元や眉間には年齢相応の皺が刻まれている。積年の苦しみが刻まれているかのようなそれを目にして、家康の心はちくりと痛む。対等を約束しておきながら、今はこうしてこの竜を従えている。それは彼自らの意思とは言え、それを言外に強いているのは、他でもない自分なのだと思うと居たたまれない気持ちになる。一方で自分も彼も、戦の無い世を望んでいる以上、このような形になるのは必定であったとも思える。
それでも申し訳なさが先立って、家康は少し躊躇ってから、口を開く。
「独眼竜、その、…申し訳ない」
「Ah?だから遅れたのはもういいって…」
「そうじゃない、そうじゃないんだ。おまえには、何と言うか、苦労をかけてばかりで」
言葉が上手くでてこなくて、もどかしい。こんな時にまで素直に思いを吐き出せない自分を呪う。
そんな家康の心を見抜いてか、政宗は家康の肩に手をぽんと置いて、言う。
「アンタが気に病むことじゃねぇ」
「しかし…」
「確かに気苦労がねぇって言ったら嘘になる。だがそれは、別にアンタのために背負った苦労じゃない。俺は俺がやりたいと思ったことをやって、苦い思いもした。だから俺の苦しみは、アンタとは一切関係ねぇし、ましてアンタに詫びを入れられるようなもんでもねぇ」
一息に告げてから、優しく笑んでみせる。その言葉に何だか気の抜けたような思いがして、家康も力なく微笑みを返す。
「まったく、おまえは器の大きな男だな。いつになってもおまえには敵う気がしないよ」
「Really?」
「ああ。最近になってますます、おまえにはもう恐れるものなんてないんじゃないかと思うようになった」
「hum…だが、俺にも恐いものくらいあるぜ?」
「そ、それはなんだ?」
思わず前のめりになって訊く家康に苦笑しつつ、答える。
「このまま、年を取っていくこと」
「…何?」
「今に不満があるわけじゃねぇ。むしろ今の世こそが、望んでた世だからな。それでも、俺がなすべきことは、これなのか?これが正解だったのか?その答えが見いだせないまま時間が流れていくのが、俺には怖ろしい」
「独眼竜…」
「だから、アンタが進むべき道を違えたら、その時は…」
言葉を切った政宗の瞳を見て、家康はぎょっとした。その瞳は紛れもなく、乱世で己が理想のために戦っていた竜が見せた目、そのものであった。目を逸らすことができない。少しでも気を抜けば、喰われてしまうのではないか。緊張から、家康はごくりと唾を呑んだ。だがその瞳は、すぐに穏やかなものに戻った。
「まぁ、今更そんなことはないと思うが、な」
「…肝に銘じておこう」
葉桜の合間に僅かに残った花弁が、風に吹かれて散り流れていく。さて、次の年も、こうしてともに並んで桜を眺める事ができるだろうか。
花の色は 移りにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに
作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟