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BSRで小倉百人一首歌物語

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第52首 明けぬれば(サナダテ)


 
 月が綺麗だ。隣に座る男がぽつりと呟いた。
 頻繁な逢瀬の叶う間柄でもないので、こうしてのんびりと月を眺めながら酒を飲むという取るに足らないようなことですら、幸村には代えがたいものと感じられた。共寝をすることが幾度になろうとも、この一時の幸福や満足の価値は変わりそうにもない。
 隻眼の横顔を眺めてそんなことを考えていると、男は何やら不満げな様子で眉を寄せた。恐らく、月などちらりとも視界に入っていない幸村のことが気に入らないのだろう。既に酔っているらしい男は、いつもより幼く、少し我儘だ。一方の幸村は酒にはかなり強く、それ故普段とは違う男の姿を見られることを、密かに喜んでいた。
 とはいえ幸村の方も、先刻からうとうとと眠気に誘われていた。夜も更けた時分だということもあるが、昼間の手合わせが思いの外堪えているようだ。
 男が何も言わないので、幸村は男と同じように月を眺めてみた。なるほど、確かに男の言う通り、美しい満月である。月影は辺りを白く照らして、二人のいるこの部屋に仄かな明るさを与えている。その薄明かるさが男の肌の白さを際立たせるようで、幸村にしてみれば、こちらの光景の方がよほど美しい。
 「何だよ、さっきからじろじろ見やがって」
 幸村の視線がまた自分に戻ってきたのが不満だったのか、男はぽそりと呟いた。
 「も、申し訳ない。つい見とれてしまっておりました」
 「…アンタってほんとstraightだな」
 呆れたように言うが、生憎幸村には男の発する南蛮の言葉は理解できなかった。もっとも、誉められたわけではなさそうなことは感じられたのだが。
 幸村が言葉を返さずにいると、男は大きく欠伸をする。少々はしたないとは思ったが、これも男が気を許してくれているからなのだと思うと、幸村はそれだけで嬉しくなる。
 「今日はこのまま寝ちまうか」
 男がころりと横になる。咎めた方が良いのだろうがそんな気にもなれず、幸村も男に倣って、隣に寝転がる。そのまま畳の上をもぞもぞと移動して、背中から男を抱きこんだ。
 「まったく、甘えやがって」
 言葉こそ呆れたように放たれたが、くすくすと笑っているところを見ると、どうやらお気に召したらしい。幸村の腕の中で器用に体の向きを変え、向き合う形になる。
 「こうしていると、暖かいでしょう」
 「ああ、そうだな」
 それきり言葉は交わさず、心地好い微睡みに身を任せる。月明かりが薄く照らす部屋には、二人の静かな息遣いの音だけが空気を震わせていた。
 その静寂を破り、不意に男が口を開いた。
 「夢を見たんだ」
 「…それは、どのような?」
 尋ねると、少しだけ口ごもってから続ける。
 「アンタが死んじまう夢を」
 「某が…?」
 幸村は、言葉を継ぐことができない。掛けるべき言葉はいくらでもあるはずなのに、男の無感情な口振りに、どう反応すべきか掴みかねたのだ。
 そんな幸村に構う様子もなく、男は消え入りそうな声で告げる。
 「幸村…俺以外のヤツに、簡単にその首、くれてやるんじゃねぇぞ…」
 切れ切れにそれだけ言うと満足したのか、男は静かな寝息を立てて眠り始めた。
 幸村は心に炎が灯るのを感じた。今までの柔らかく暖かいものではない。ともすれば、互いの身を焼き尽くしてしまうような激しい炎。その心のままに、幸村は小さく、だが力強く呟く。
 「その言葉、そのままお返しします」
 貴殿の首を取るのは俺なのだ、と。
 そしてその壮烈な言葉とは裏腹に、ひどく優しい手つきで男の髪をそっと撫でた。
 魂を喰らい合うような闘いの中にあるものこそが、二人の関係の在るべき姿なのだ。互いにそう思っていることを感じられた、そのことが幸村にとっては何よりも悦ばしい。そしてまた、それと同じほどに、この腕の中の温もりが愛しい。
 互いに同じ気持ちを抱いていることを確かめられたこの夜が、永久に続けばよい。叶わぬことと知りながら、幸村は微睡みの中でそれだけを強く願った。

 
 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら  なほ恨めしき 朝ぼらけかな



作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟