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BSRで小倉百人一首歌物語

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第55首 滝の音は(佐助と政宗。ちょっと伊達佐寄り)



 月が煌々と輝く夜。その輝きから姿を隠すように、佐助は木々の間を縫って駆け抜ける。枝から枝へと跳び移るその動きは、かつてと何ら変わるところがない。
 戦乱の世は疾うに過ぎ去り、まして密命を受けているわけでもないのだから、本来ならばこんなことをする必要はない。それでも佐助は、今なお堂々と街道を歩くことができなかった。街道が苦手と言うよりはむしろ、闇の中を疾駆する方が、不思議と落ち着くのだ。
 目的の場所を目指して走る佐助の耳に、静かな夜には不似合いな怒声が届いた。何事か、と一本の梢の上で立ち止まり、生い繁る葉の隙間から様子を窺う。人相が悪い男が数人と、それに囲まれたいかにも弱々しそうな老婆が一人。野盗だ。やれやれ、と佐助はため息を吐く。まったく、こんな奴等をのさばらせておくなんて、あの領主様は何やってんだ。
 やや的の外れた責め文句を心の中で呟きながら、佐助は気配を殺して男たちの背後に降り立つ。気づく様子もなかったので、まずは首謀らしき男を殴り、昏倒させる。ようやく彼らが気が付いたときには、もう遅い。軽やかな身のこなしとは裏腹に、一撃で気を失うほどの攻撃を叩き込む。事はまさに、一瞬間のうちに終わった。動かない男たちを冷たく見下ろして、生かしておいてやっただけありがたく思いなよ、と心中で呟いた。
 「あの…」
 離れたところから掛けられた声に、佐助はようやく囲まれていた老婆のことを思い出す。そうしようと思ったわけではないが、結果として佐助は老婆の恩人になった。彼女が少し怯えているように見えるのは、佐助の戦う様を見たからだろう。
 「大丈夫?駄目だよ、こんな遅い時間に出歩いちゃあ」
 そう言っていかにも優しそうに笑うと、ようやく安心したのかしきりに礼を言う。それをやんわりと押し留めながら目的地を尋ねると、どうやら行き先は佐助と同じらしい。
 「奇遇だね、俺もそこへ向かってたんだ。よかったらお伴するよ?」
 そう申し出ると、先刻の件で随分参っていたらしい彼女は、是非に、とそれを受ける。街道を歩くのは嫌だったが、かといって彼女を放っておくわけにはいかない。
 道中、佐助は彼女に問うた。
 「ねぇ、何でそこに行かなきゃならないの?」
 すると彼女は眩しい笑顔でこう答えた。
 「仙台様の御霊力で、病を治してもらうんじゃ」

 「そんなこと言うんだもんだからさ、笑いを堪えるのが大変だったよー」
 佐助が腹を抱えて笑うのを、政宗は憮然とした表情で聞いている。聞き流しているようで、手元を見ればさりげなく地図に印を付けている。ああ、この男はどこまでも領主様なんだなあ、と佐助は呆れと感心を込めて見つめる。
 老婆を城下の宿まで送り届けた後、佐助はすぐに政宗のもとに向かった。幸村からの書を届けるためだ。天井裏から現れた佐助を見て、政宗は「昼間に門から入ってこいって言ってるだろうが」と呆れた。もっともなことだと佐助も理解はしていたが、もうずっとこうして政宗のもとにやってくるのが習慣になっているので、今さら妙に改まった訪問の仕方をするのが嫌だったのだ。
 「ねえねえ仙台様」
 揶揄い半分に呼ぶと、思った以上に冷たい視線が飛んでくる。
 「今すぐ追い出して欲しいのか?」
 「冗談だって。でさ、独眼竜」
 「何だよ」
 かつての通り名で呼んでやれば、ようやく態度を和らげる。せっかく機嫌がよくなったところ悪いけど、と佐助は胸中で前置きしてから、尋ねる。
 「アンタいつから病気なんて治せるようになったのさ?」
 今度は最早怒る気さえしないようで、大袈裟にため息をついて額に手をやる。
 「治せるわけねぇだろうが。でもあいつらが来るから、話は聞いてる」
 「それで?」
 「それだけだ。病は気から、っていうだろ?」
 「うわー、ひっでぇお殿様」
 「ひどくなんかねぇさ」
 そう言ってのけて笑う。ああ、確かに病気なんてどうでもよくなりそうだな、と佐助は思う。要するに彼らは、敬愛する殿様に「大丈夫だ」と言ってもらえるだけで、きっと満足なのだ。
 「なんかすっかり落ち着いちゃったね、竜の旦那」
 「そうか?」
 心外そうに政宗が言う。
 ふと、これが本来のこの男の姿なのだろうかという思いが頭に浮かぶ。平穏を愛し、民をひとしく愛でる今の姿が。
 「そうだよ。でも今の方が、前よりは好感持てるよ。ほんのちょっとだけね」
 「アンタに気に入られても、別に嬉しくねぇんだけどな」
 言って、挑発するようににやりと笑う。昔と同じやり取り。やっぱり今もこの人は苦手だなあ、と佐助は苦笑してから、暇を告げる。
 「何だよ、ゆっくりしていけばいいのに」
 「うーん、何かさ、アンタの世話になりたくないんだよね」
 政宗が返事をする前に、素早く天井裏へと姿を隠す。そのまま退出しようとしたが、何となく気になって、そっと室内の様子を窺う。政宗は佐助の消えた天井を睨むように見つめている。
 「なあ、まだいるんだろ」
 佐助は返事をしない。気配で悟られているのだろうが、あくまで居ない振りをする。
 「俺のことを落ち着いたなんていうけどな、アンタは昔よりずっと人間らしくなったと思うぜ。…またいつでも来い、猿飛」
 苦手どころじゃない、やっぱり大嫌いだ。妙に人を見透かしたような態度も、変なところで優しさをみせるところも。
 天井裏を後にして、佐助は夜の闇をひたすら駆けた。政宗の声を振り切るように。執拗に佐助の姿を照らそうとする月影を、これほどまでに鬱陶しいと思ったのは随分と久しぶりだった。


 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟