BSRで小倉百人一首歌物語
第58首 有馬山(サナダテ 死ネタ注意)
耳元で、草のそよぐ音が聞こえた。随分踏み荒らされた筈なのに、なんと生命の強いことか。その音に誘われるようにして、幸村は目を開ける。暫しの間、意識を失っていたようだ。どうやら血を流しすぎたらしい。仰向けに地に転がる幸村の上には、暮れかけた空が限りなく広がっている。空の青と夕陽の赤が見事に混じる光景は、霞んでよく見えない目にも美しく映った。
「起きたか」
短く掛けられた低い声に返答しようとするが、声の代わりに喉から出たのは苦しげな呼吸音だけだった。声の聞こえた方になんとか目を向けると、そこにあったのは宿敵の姿であった。彼を象徴する弦月の兜は今は無く、普段はそれに隠れてはっきりとは見えない表情が露になっている。その表情は、喜びとも哀しみとも判じることのできないものだった。
宿命の対決は、政宗に軍配が上がった。貫いた刃に躊躇いはなく、幸村を越えたいという政宗の切なる願いが伝わってくるようであった。
何故止めを刺さなかったのだろう、と幸村は思う。あれほど躊躇のない一撃を加えたのだ。すぐに首をはねられてもおかしくはなかった。そうしなかったのは、何故か。その表情に喜色以外のものが混じるのは、何故か。
「俺の勝ちだな」
困惑する幸村を余所に、政宗が呟く。その声色からも、やはり感情を窺い知ることはできない。たぶん、意図的に隠しているのだろう。そういうことには長けた男だから。
「…そのようだな」
何とか声を搾り出す。口内に鉄の味が広がる。きっともう、すぐに息絶えてしまうであろうことを幸村は悟る。だが、不思議と悔いはなかった。師の作る世を見届けることができないのは少しばかり心残りではあったが、全力で挑み、そして敗北したのだ。
政宗が横たわる幸村をまたいで膝をつき、その刀を真っ直ぐに幸村の首許に向ける。ようやく首を落とす気になったらしい。その手が僅かに震えているように見えるのは、己の視界が霞むためか。生が終わる前に、一つだけ伝えなければならない。消え行くこの身が、愛しい宿敵のためにできる、ただ一つのことを。
「政宗殿」
名を呼ぶその声は、自分でも笑えるほどにか細い。幸村の呼び声を聞いた政宗は、刀を構えたまま静止している。幸村が遺そうとする言葉を全身で受け止めるようなその真摯な面持ちに、不思議に気力が沸き上がってくる。
残る力を振りしぼって政宗の心臓のあたりに手を伸ばし、触れる。分厚い胴鎧に阻まれているはずなのに、幸村には政宗の鼓動がありありと感じられた。幸村の行動に驚いたのか、政宗は僅かに身を引こうとしたが、すぐに動きを止めた。そうして幸村の手に自らの手を重ねる。
「忘れないでくだされ、政宗殿」
一旦言葉を切る。どのように言えば思いが伝わるだろうか、と考える。だが、結局のところ幸村にできるのはまっすぐな言葉を投げることだけだ。そして政宗もまたそれを望んでいるだろう。短くも濃密な二人の日々が、幸村にそう告げるようだった。
「某の肉体は失われても、この魂だけは貴殿の中で生き続けよう。貴殿が望む限り」
飾らない言葉に応えるように、政宗は幸村の手を強く握る。そうして、何かを堪えるように、ほんの一瞬目を閉じる。そして目を開いた時には、いつもの不遜な笑みを浮かべていた。その表情に、幸村は安堵する。やはり政宗には、この表情がよく似合う。自身の弱さも悲しみも越えて、強くあろうとするこの笑みを、何よりも気高いものだと思って止まなかったのだ。出逢った時からこの瞬間まで、ずっと。
「All right、幸村。アンタの魂、確かに受け取った」
そう言って、政宗は刀を振りかぶる。ほんの一瞬、その刀身に幸村の顔が映る。その顔が穏やかに笑んでいることに気付いて、幸村は自分のことながら驚く。
死は恐れていなかった。死して後、この魂が誰かの、出来るならば大切な人の中で生き続けることができれば、それで構わないと思った。そして叶うならば、次の世で再び巡り合えれば良い。だがそれは告げない。この場にふさわしいものではないと思ったからだ。代わりに、今生で告げなければならない最期の言葉を、何とか吐き出す。
「政宗殿と巡り合うことができて、幸せだった」
「…俺も、アンタとやりあうことができて幸せだったぜ」
政宗の言葉に無上の喜びを感じたところで、幸村の意識は跡切れた。
有馬山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟