BSRで小倉百人一首歌物語
第10首 これやこの(慶次と政宗。ちょっとだけサナダテ)
「ねえ、独眼竜は関所を見たことがあるかい?」
慶次の問いに、政宗は顔をしかめる。関所を見たことのない国主など、いるはずもない。だから政宗には、慶次の問いの意図が分からなかった。後ろで控えている小十郎も同じようで、政宗とまったく同じ表情で慶次を睨んでいる。当の慶次は、二人の冷たい視線を気にかけた様子もなく、呑気に茶を啜っている。
慶次は時折こうして奥州を訪れ、各地で見聞きしたことを楽しそうに語る。初めこそ鬱陶しがっていた政宗も、最近では慶次の土産話を秘かに心待ちにするようになっていた。滅多なことでは奥州を離れることのできない政宗にとって、遠い四国の海の話や暖かな九州の話は胸の躍るようなことばかりだった。
「そりゃ関所は見たことあるが、それがどうした?」
怪訝そうに尋ねる政宗の声の調子で、ようやく自分の意図するところが伝わっていないことに気付いたらしい。慶次はぽんと膝を打って、話を続ける。
「ただ通ったとかそういうことじゃなくってさ、関所をずーっと眺めてたこと、あるかい?」
「あるわけねぇだろう」
慶次の問いを、冷たく切り捨てる。そんな酔狂なことを、この男以外に誰がしようというのか。政宗のそんな思いに同意するように、小十郎も頷く。
慶次は、そんな二人を見て声を上げて笑う。
「何が可笑しい」
「いや、悪い悪い。お二人さんがあんまりそっくりな顔するんで、何か可笑しくなって」
笑いをかみ殺しながらそう言い訳をする慶次に、政宗は心の底から呆れる。どうやらこの男は、些細なことに面白味を見出だすのが得意らしい。慶次のそういうところが政宗は嫌いではなかったが、時たま理解できなくて少しだけ苛立ちを感じるのだ。
「でさ、さっきの関所の話だけど」
ようやく話を先に進めようという気になったらしい。政宗は黙ったまま慶次の話に耳を傾ける。
「関所眺めてるとさ、当たり前だけどいろんな人が通っていくんだ。故郷を出てきた人とか、家族のところに帰る人とか、いろんな事情があるんだなって思うと何となく関所って面白いと思わない?」
「…アンタってほんと変わり者だよな。まず関所眺めてるのもわけわかんねぇし、そんなこと考え付くのも妙だしな」
「うーん、そうかな?」
政宗の言葉について、慶次は何故か真剣に思案しているようだ。難しい顔をして唸っている。政宗も、慶次の言ったことを考えてみる。確かに慶次の言ったことは間違ってはいないが、それは街でも同じことではないだろうか。そう尋ねると、慶次は全然違うといきり立つ。
「だって、街で会う奴っていうのは同じ土地に住んでるわけだろ。だからまた会うこともあるわけだ。関所ですれ違う人は違う。関所にいる人たちって、もう会わないだろ?」
「まあ、確かにそうだが」
興奮ぎみに身を乗り出して語る慶次に気圧されて、政宗はとりあえず同意してみせる。慶次は茶菓子に出された饅頭を掴んで、勢いよくかじりつく。殆ど咀嚼せずに飲み込んでから、湯呑みを一息で空にして、叩きつけるように置く。随分熱が入っているようだ。
そんな慶次とは対称的に、政宗はごく冷静に、空になった慶次の湯呑みを小十郎に渡す。小十郎は何も言わずに一度頷いてから、冷たくなった政宗の湯呑みも手に取って、席を立つ。
「俺が言いたいのはね、独眼竜。人の縁ってのは不思議だなってことだよ」
「人の縁?」
「そう。もう二度と会うことはないかもしれないけど、そこですれ違った人とは縁が生まれる。そうやって人ってのは繋がっていくんだ」
「随分とromanticだな」
「ろまんちっく?」
「夢想家」
なるほど、と慶次はしきりに頷く。どうやら自覚はあるらしい。それを悪いことだと思っていないのは、その態度から明白ではあるが。戦乱の世に似つかわしくない人間ではあるが、彼の考え方を政宗は嫌ってはいなかった。ただ、あまりに理想的に過ぎるというだけで。
「そうだ、最近あの甲斐の若虎とはどうなの?」
「真田?」
話題の飛躍についていけず、政宗は首を傾げる。このところ武田と交戦してもいないし、他のことで忙しいらしく幸村が奥州に乗り込んでくることもない。それを口にすると、慶次は目を細めてその話に耳を傾ける。
「やっぱり、あいつの話をする時のあんたはいい顔してるよ」
「そうかい」
なんとなくこそばゆくて、短く返す。幸村が他の人間よりも特別だということを、政宗は自覚している。幸村と刃を交えているときだけは、ただの一人の人間に返ることができる。それが必ずしも良いことだとは思っていないが、今の政宗には幸村は不可欠な存在だった。どうやらそのことを、慶次にはすっかり見透かされているらしい。
「顔を会わせた人間同士には、何かしら縁ってものが生じる。あんたには、それを大事にしてもらいたいんだ。天下を獲ろうっていうなら、なおさらね」
「前田?」
慶次の表情が僅かに曇ったのを、政宗は見逃さなかった。気遣うようにその名を呼べば、慶次はいつもの軽薄そうな笑みを浮かべて政宗を見る。
ちょうどそこへ小十郎が戻ってくる。慶次は話を切り上げて、立ち上がって大きく伸びをする。先の様子が気にはなったが、何となく問い質すことはできなかった。
「もう行くのか?」
「ああ。おかわり持ってきてくれたのに悪いね、右目のにいさん」
そう言って、小十郎に向かって軽く手を挙げる。小十郎も席を立つまでとは違う雰囲気を感じ取ったらしく、怪訝な顔をする。だが慶次はそれに気が付かないように、また来るよ、と言って去っていこうとする。
「前田」
思わず呼び止めると、慶次は驚いたように振り返る。その表情が可笑しくて、政宗は小さく声を出して笑う。
「また来いよ」
これもアンタの言う縁ってやつだろ。そう言ってやれば、慶次は破顔する。笑うことの多い男だったが、これほど嬉しそうに笑うところを、政宗は見たことがなかった。
慶次の後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、政宗は小十郎の持ってきた茶に手をつける。
「まったく、鬱陶しい男だ」
「ですが、それほど嫌ってはいないとお見受けいたしますが」
「分かるか?」
小十郎の言葉に、政宗はにやりと笑む。ただ明るくて浮わついているだけの男ではない。辛い経験も重ねてきているはずなのに、慶次は彼なりの理想を捨てない。それが好ましいのだ。
「ま、鬱陶しいことに変わりはねぇが、な」
そう付け加えて、今度こそ声を上げて笑う。
次にあの男がここを訪れるのはいつ頃になるだろうか。来訪に思いを馳せながら空を見上げれば、一片のちぎれ雲が、青い空をゆっくりと流れていった。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟