曜日男・他
-曜日男-
「おはよー、阿部! 水曜日だね!」
大講堂の入り口手前で、水谷くんは阿部くんに声をかけました。二人は学部は違いましたが、まだ一年生なので一般教養の講義でかぶるものがあるのです。
「おー」
眠そうな声で阿部くんが返します。今日が特別眠いという訳でなく、阿部くんは割といつも眠そうにぼーっとしているのです。
水谷くんは、阿部くんを頭のてっぺんから爪先まで眺めて、「水曜日だなあ」と呟くと、へらっと笑いました。
そこで予鈴が鳴ったので、二人は少し急ぎ足で講堂に入っていきます。大学生活の、いつものなんということはない一幕です。
「阿部ー! 金曜日だね!」
また別の日、水谷くんが講義室の中で先に座っていた阿部くんを見つけて言いました。阿部くんは飲んでいたペットボトルの蓋を締めながら、ちょっといぶかしげに眉を寄せます。
「なんでいっつも曜日がくっつくんだ?」
考えてみれば、大学入学してしばらく、水谷くんは会うたび阿部くんを見るたび、名前のあとに曜日を続けていいます。高校の頃は、水谷くんにそんな癖があった覚えがないから、なおさら不思議です。
「えー。だって、阿部、金曜って感じじゃん」
「こないだは水曜日って言ってただろ」
「水曜日は水曜日の阿部だったもん」
「意味ワカンネェなあ」
そこで本鈴。お勉強の時間。やっぱりなんということはない、いつもの大学生活の一日です。
次に会った時、水谷くんは、「阿部、月曜日……」と言ったところで目を丸くしました。
「え? 今日、月曜日だよね? え、え?」
すっかり慌てた様子で、ばたばたとジャケットを叩いて携帯電話を取り出すと、日付を確認しています。
「あ、やっぱり月曜日だ」
「たりめーだろ。なにぼけてんだよ」
ちょっとバカにしたみたいな顔で言う阿部くんに、水谷くんは、だって、と抗議します。
「阿部が水曜日じゃん」
「あ?」
「それ水曜日の服じゃん! 月曜のやつはどうしたの?」
「月曜のやつー?」
「ほら、黒のTシャツと!」
そう、阿部くんの服装は、一週間で綺麗なローテーションを描いていました。
月曜日の服、火曜日の服、水曜日の服……。
一応、毎日違うものを着ていますが、その組み合わせが曜日で決まっているのです。
「あー……」
阿部はぼんやりと、部屋にかかったままの洗濯物たちを思い出して言いました。
「なんか、ここんとこ忙しくてちょっと洗濯溜めちまったんだよな。したらこの雨だろ」
発達した梅雨前線は、勢力を増して依然停滞中。ここ数日は、ずっと雨続きです。
なるほどだからかー、と事情に納得はしたものの、それでは困ると水谷くんは訴えます。
「駄目だよ! 阿部見て曜日確認してる人たくさんいるんだよ!?」
「は? 何言ってんの。そんなやついるわけねーだろ」
「いるよー! 絶対いるって! 少なくともオレ!」
「少なくとも水谷でそれ以上にはいないんだろ」
二人のすぐ側に座っている人たちは、聞こえてくる会話を耳にしながら、「いや実は俺も……」「私もあの人見て確認してた」と心の中で思っています。
阿部くんは、阿部くん自身がまったく頓着しないところで名物男になっていました。
「これは一大事だよ。一刻も早く、ローテーションを戻すべきだよ」
「めんどくせー。大体、別に月曜があれとか火曜があれとか決めてたわけじゃねーし。考えるのがめんどくせーだけで」
「明日は何着るのさ」
「あー……、なんか、乾いてる、上の方にあるの」
「そんなんじゃだめだよおおおおおおおおお」
火曜日に火曜日じゃない阿部なんてもやもやするんだよおおお! と水谷くんは訴えます。
「るせーなァ。つっても、乾かないんじゃ、しょーがねーだろ。生乾きでも着てりゃ乾くだろーけど、お母さんにそれだけはすんなって昔すんげー怒られたし」
「乾燥機使えばいいじゃん!」
「んなもんねェ」
「阿部のマンション、一階がコインランドリーだったじゃん!」
「ほっときゃ乾くのになんで乾かすために金払わなきゃならねーんだよ」
二人の会話は平行線です。水谷くんも、これ以上は無駄だと悟りました。
というわけで、阿部くんの服は、水谷くんが預かって乾かしてあげることになりました。洋服大好きな水谷くんは、一人暮らしの自分の部屋に、ちゃんと乾燥機も持ち込んだのです。
おかげで、翌日からまた、阿部くんの服装は美しいローテーションが守られるようになりました。一安心。
こんな調子なので、特定の曜日にしか阿部くんに会わない人は、阿部くんはいつも同じ服を着ているものだと思っています。それで、「阿部っていつも同じ服着てるよなー」と言って、阿部くんに「は? 着てねーし」と、心底、何言ってんのコイツ? って顔で返されたりしてます。
その年の阿部くんの誕生日は、阿部くんの現状を見かねた西浦の仲間たちから、それぞれ一着ずつ服を贈られました。
阿部くんは「なんで布ばっかなんだ? まあ、サンキュ」と受け取ってはくれましたが、服が増えてもローテーションにバリエーションが増える訳ではないのが阿部くんです。
基本的に、洗濯→しまう→上にある服を取る、という行動規範なので、一度下の地層に埋もれてしまった服は、ローテーションに参加することができないのでした。
そんな阿部くんの習性を熟知した心優しい友人たちは、阿部くんの家に遊びにいくと、そっとその地層をひっくり返してあげるのでした。
そうして、曜日男として密かに大学の名物キャラになりつつも、今日もマイペースに、元気に過ごしている阿部くんなのでした。