人魚
5th day[saturday]:construction of this trouble
「よーっす、おっじゃまー!」
呼び鈴の存在を無視し、やたらと陽気な男がやってきた。―――そう。あの男が、遂に。
出迎えた少年は、まずぽかんとした顔をした。
それから深く、深く溜息をついて、頭痛を抑えるような表情で玄関の柱に寄りかかった。
「…そうだよな…中佐が来ないわけないよな…」
エドワードは、朝から素晴らしいハイテンションで来訪した男―――マース・ヒューズを前に、噛み締めるようにそう呟いた。はは、という乾いた笑いとともに。
リビングへと言ったのに、ヒューズは、エドワードにくっついてキッチンまでやってきた。そしてさっさとダイニングテーブルにつく。そんな来訪者に物言いたげな顔をしたエドワードだったが、どうせ言っても聞きはしないだろう、と結局溜息をついただけだった。
「中佐は朝食ったのか?てか、いつ来たんだよ?」
「俺は卵は半熟が好きだな!」
「……………。中佐、コーヒー飲む?違うのがいいか?」
「コーヒー、いいねぇ。さっきからいい匂いがしてるもんな」
「…砂糖は」
「んにゃ、ブラックで」
「…了解」
エドワードはもはや諦観の境地で、ヒューズに朝食用に落としていたコーヒーを一杯注ぐ。
「トースト?バケット?…それともパンケーキ?」
「パンケーキ?…おいおい、エド、おまえなんか、あれだなあ…」
感心したような呆れたようなヒューズの表情に、エドワードは小首を傾げる。
「なんか、あれだな。奥さんみたいだな!」
そして、油断していた少年に、ヒューズの笑顔一杯の攻撃が繰り出された。…途端にそれは致命傷に。
「………………………………………っ!」
「で?旦那はどうしたよ」
エドワードはぷるぷると震えながら、きっ、と眦を吊り上げた。
「朝っぱらからアホなこと言ってんじゃねえ!」
「なーぁにがだよー?」
ヒューズはにやついてはいなかった。確かに口調はオーバーだったけれども、ごく不思議そうな顔をして、エドワードに問い返す。
「なにがって、なにがってあんた…っ!」
しかし、対するエドワードは頭でもかきむしりそうな勢いだ。
「…なんだ?誰か来てい…」
と、そんな中に暢気な声が割って入ってくる。タイミングがいいのか悪いのか…ロイだった。
「よぉ!記憶喪失だって?」
遅れて登場した親友に、ヒューズは気負いなく片手を上げて挨拶した。
「おっと、一応自己紹介しとくか?おまえさんの人生の大先輩にして大親友、マース・ヒューズだ」
「………………………………………」
ロイは―――複雑な顔をして言葉を失っている。信じていないとかそういうことではなくて、もっと色々複雑な葛藤がありそうだった。多分「大先輩」「大親友」あたりが引っかかっているのだろう。
「おまえ、いいヨメもらったなぁ」
「…は?」
ロイはきょときょとと何度か瞬きして、やはりわからない、というように首を傾げた。
「…つかぬことを聞くが…私は既婚者だったのか?」
そして、難しい顔で問いかける。ヒューズは一瞬目を瞠り、それから額を抑えて笑い出した。
「違う違う!エドだよ、エド。立派な朝食じゃねーのよ、え?ここまでやってくれる子はそうそういねぇぜぇ?」
ヒューズはカップを持ったまま、テーブルの上を示した。
グリーンサラダ、ポテトサラダ、きちんときれいに使われているプレートが並べられ、焼かれるばかりになっているベーコン、それからオムレツでも作る気なのか卵も溶かれている。コーヒーも飲むばかりになっているし、パンだって焼くばかり。それどころか、パンケーキまで作ろうかと尋ねてきた。
…新妻だってここまでやれる娘はそうそういない。
まあうちのグレイシアには負けるだろうが、とこっそり思ったというのはまた別にして、ヒューズは真実エドワードのその手並みに感心していたのである。まして、彼は少女でさえなく、少年なのだから。少なくともヒューズには同じマネは出来ないし、はっきり言ってロイに至っては、もはや仮定を立てることすら馬鹿馬鹿しい。
「…なっ…に言ってんだよ、この親バカ中佐!」
「親馬鹿!親馬鹿最高だね、最高の褒め言葉だ」
だってうちの子は地上に降りたエンジェルだもんね〜、と答えるヒューズには、もはやその方面で何を言っても無駄であろう。エドワードもそう覚らざるを得なかった。
「…そうか、なるほど…」
しかし、エドワードとヒューズのやり取りを他所に、妙に感心している男が一人。それに遅ればせながらも気付いて、友人は軽く眉をひそめる。
「ロイ?」
「なるほど、あまり深く考えたことはなかったが、確かに素晴らしい環境だとは思っていた。ありがとう、エドワード」
ロイは真面目な顔でそう礼を述べた。調子が狂うこと甚だしい。
…ヒューズにとっては、気分的には青天の霹靂だった。恐る恐る呼びかける声にも、そのことがにじみ出ていた。
「……おまえ…エドのこと名前で呼んでんのか」
「…?おかしなことを言う。名前以外、何で呼ぶんだ」
それとも何か他に呼び名でも?と彼は重ねて問う。
ヒューズは、黙ってエドワードを見た。その視線に応え、少年は苦笑して肩を竦めた。
「…ほんとに記憶喪失なんだなあ」
そのリアクションに目を見開いて、それから、ヒューズもエドワードに倣って肩を竦めた。
「…エドワード?」
「あー、いや、何でもないって。…それよりあんた、今朝は?今朝もパンケーキ?」
いい加減飽きるだろう、と呆れ気味にエドワードは話題を変える。ロイもそれで心得えたのか、いや、と首を傾げる。
「パンケーキで構わないが」
「…あっそ…」
「おいおい、おまえそんなん朝から食うのか?」
「食べるが。何か問題が?」
驚きの表情で尋ねるヒューズに、ロイは片方の眉を上げてやり返す。いや問題はないが、とヒューズもいささか疲れたような声を出す。
「…問題はねぇけど、…絵面的にはいまいちなぁ…」
その言葉には、エドワードもうっかり頷いてしまっていた。
朝食を済ませると、三人は食後のお茶を持ってリビングへ移動した。
「エド、おまえ料理うまいなあ。やってたのか?」
「いや…ちゃんとしたことはなかったけど、なんかこの家やたらとその手の実用書が揃ってたさー」
ついつい、本だと思うと読んじゃって、作るもんだと思うと挑戦したくなるんだよねー、と少年は笑う。そっか、とそれに頷きを返しながら、ヒューズは、さて、と話題を切り替えた。
「…今回の事件…ていうか、まあ、事件…だな。一応解決したんで、その報告に来た」
「え?!…早くないか?いや、早いのはいいんだけど、…なんで中佐が?」
色々納得いかない、とエドワードは眉をひそめる。ロイはといえば、己に関することとはいえいまいちぴんとこないので、黙って二人のやり取りを眺めていた。
「ああ、だっておまえ、ロイが記憶喪失だって言うじゃねぇか。そんなの自分の目で確かめねぇ手はないだろ?」
「…………………………………」
少年は呆れて絶句する。
つまり、…面白半分?芸人でもあるまいし、そんなことで体を張るのはやめてほしい。エドワードはそう思わずにいられない。
「まぁ、聞けって。手榴弾がいきなり飛んできただろ?」
「…うん」