人魚
エドワードは一瞬辛そうな顔をのぞかせたものの、こくりと頷いた。
「あれな。…あれなー、…まーなんつーの?いわゆるひとつの…不祥事?」
「―――――――――は?」
困ったように苦笑いしながら、ヒューズは頭をかきつつそう言った。少年は、ぱちぱちと数度の瞬き。
「いや、どうもな…当時演習中でな。武器弾薬の説明してたらしいんだよな。それが、どうしたことだか、ふっ飛ばしちまって、…ドカーン!…てわけ。らしい」
歯にものが挟まったようなヒューズの説明を理解するのには、少々の時間を要した。…しかしその言葉が脳にまで到達すると、エドワードは体中から力が抜けるような気がした。
「……中佐」
「…おう」
「言ってもいいか」
ヒューズは黙って頷いた。かなり渋い顔をして。
「……軍人て…バカなのか?なぁ。バカの集団か?それとも群れてよりバカに磨きがかかるのか…?」
エドワードの声はひたすらに低かった。まあ、無理もないと思ったヒューズは、何も言わず聞いていた。実際、彼もまたそう思わずにいられない時がある。
「そのおかげでこっちは…!」
あー、と奇声に近い声を発し、エドワードはごろごろとソファの上、背中側に突っ伏した。
「…よくわからないが…」
と、そんな少年に代わり、事件のもうひとりの当事者である男が声を上げた。
「あ?」
「つまり、解決した、ということでいいのか」
「…原因究明は終わった、ってのが正しいんだろうな。…おまえさんの記憶喪失とやらが治らない限りは、ほんとの解決とは言えねぇわけだから」
ロイは腕を組み、なにやら考え始めた。
「…爆発のショックで、頭部を打って一時的に記憶を喪っている…というのが今の自分の状態だ、と聞かされたが」
「そうだな」
「…同じ衝撃を再現できるようなことでもないしな…」
考え込みながらの台詞は非常に自然なものだったので、ヒューズでさえ一瞬流しそうになった。が…。
「あたりまえだろ!」
一瞬遅れて気付いて、ぎょっとする。
「おまえ、死ぬだろが、そんなんやったら!今回は運がよかったんだぞ、それでも」
「…そうだろうな…」
ヒューズは深く長い息を吐いた。なかなか我が友人ながら、…たいしたヤツ、と。
「…そういう危険な手段はやめてくれ。こっちの心臓に悪い。…まあ…ここんとこ休みなく働きどおしだったらしいしな、いい休養だと思うしかないだろうな」
それから苦笑して、な、とロイを見る。ロイは…やはり苦笑を浮かべて、確かに焦っても仕方がない、と答えた。
住宅街の一角から遠ざかっていく男は、次第に、笑顔からきつめの顔に表情を変えていった。
「……出迎えご苦労」
彼は、数分も歩いた場所で、目立たぬよう停められていた車に歩み寄ると、極自然にドアを空け、乗り込みながらそう言った。ルームミラー越し、運転席の男が目礼で答える。
「いえ。…少尉、出して頂戴」
ヒューズが乗りこんだ席の隣に元から座っていた女性が、運転席の男に淡々と告げる。
「―――どうでした?ふたりの様子は」
女性、…ホークアイ中尉は、ヒューズにもまた淡々と尋ねる。すると、男は肩を竦めて苦笑した。それに「んー…」と濁しながら首の後ろを叩いていた男は、なんとも複雑な顔で笑ってこう答えた。
「新婚家庭みたいだった」
その表現に一瞬目を瞠った中尉だったが、そうですか、と答える声には、取り立てて刺があるわけでもない。
「…事情は、打ち合わせ通りに」
「ありがとうございます」
「いや。…俺だって、ほんとのところは言いたかねぇよ。…呆れて開いた口が塞がらないって気分だ」
ヒューズは疲れきった様子でぼやく。それに、中尉も少尉もただ頷いた。彼らも同じ気持ちだったからだ。
…エドワード、並びにロイにヒューズが説明した事件の顛末は、公式記録に残る事実であり、真実とは少し違う。それこそ百年も経てばそれは真実になっているだろうが、現実にそれが起こって数日しか経過していない現時点では、都合よく曲げた事実でしかない。
真実、つまりあの手榴弾騒ぎの真相とは、ヒューズが説明したような、演習中の事故が原因ではない、というものである。
では真相とは?といえば―――。
「…やだねぇ、ボンボンてやつはさ―――」
ヒューズは溜息混じり、そう言った。
…軍法会議所まで動かして、あんな情けない事故の捏造をやらされることになるとは、と幾分苦いものを味わいながら。こちらは親友を亡くすかもしれなかったというのに。まったくもってお偉方の考えることは下らない。
「中佐。…エゴン中佐は…」
「―――病気療養のため退役、…とかそんなとこになるんじゃねーのかな。記録上は」
あの事故の真相。
それは、軍高官を親類に持つ男の、いわゆる「嫉妬」が原因だった。
エゴンという最近東方に配属になった中佐は、七光り中佐などと影では評される、…端的に言えばそういうタイプの男だった。だがえてして、そういう人間は無駄に自分に自信を持っているもので、彼もまた例外ではなかったのだ。彼は当然、若くして、しかしコネもなく成り上がったロイを面白く思っていなかった。初めはその程度だったのだろうが、とうとう頭を押さえつけられるのにも我慢ならなくなり、身勝手な嫉妬心、敵愾心を燃やしていたようだ。もっとも、ロイ本人があまり他人に気を配るタイプでもないから、そこにも多少の原因はあるのかもしれない、しかし…。
特に戦績もなく、業務上有能ということもない。できることと言ったら、実家なり親類なりの権を恃んでの傍若無人くらいのもので…、結局彼はいくつも失態を犯し、その度一応は上司格であるロイに叱責を食らったり或いは宥められたりしていた。そうしたことがどんどん彼の重荷になっていき、とうとうエゴン中佐は精神の均衡を失った。そして、とうとう、殺してやる、とあの事件に踏み切ったらしい。要するに逆恨みの八つ当たりだ。
ただ、どうも、まだ捜査が詳細に進んでいない時点でさえ、彼が事件を起こしたときどうやら幻覚剤に手を出していたらしいことも判明しており…叩けば埃が出るのだろう、というのは想像に難くない。が、埃を出す前に、彼は親類の軍高官によって、軍から遠ざけられてしまった。
要するに、向こうもけじめをつけてきたということだった。多分、その男は一生をやさしい監獄で過ごすのだろうから。だからこれで手打ちにしろと、それが問題の軍高官の意向なのだということははっきりしていた。それを汲んでやるのは腹立たしいことこの上なかったが、やはり飲まざるを得なかった。軍もまた組織であるから。だから、苦々しくも貸しひとつだと思いつつ、ヒューズは、ホークアイは、最低限それでもロイに利するよう動いた。
…ロイに休暇を与えること。
復帰に際して、最大限の優遇措置を与えること。
せめて、彼らがロイの為に勝ち取れたのはそれが限度だった。しかし、それでも何も得るものがないよりはましだろうし、ある意味彼には何よりの贈り物になるうるのではないか、とも思われた。そしてその思いは、今日あのふたりの様子を見ていて、確信に変わった。手放しで喜べる状況ではないが、悲観することばかりでもない。
「中央に帰る前に、奴さんの様子が見れて良かった」