人魚
まさか話しかけられると思わなかった。エドワードは目を丸くして、それでもそう答える。
するとふたりはぱあっと顔を綻ばせて、はっしとエドワードの手を取った。そしてぐいぐいと引っ張って行く。
「えっ…」
「あのね、チーズのパンがね、おいしいの」
「ちょこもおいしいよ!」
「あとね、あとね」
「あ?え?う、うん?」
すっかり子供に気に入られたエドワードと、取り残されたロイ。おかしな光景だった。
「…あらあらあら」
どうしたものか困っている少年の背後に、朗らかな声がかかったのはその時だ。エドワードが振り向くより、子供達が彼の手を話す方が早かった。
「おばあちゃん!」
女の子が嬉しそうに声を上げる間に、男の子は現れたその人に飛びついている。きゃあ、と嬉しそうな声を上げて。
「マーサもジェミーも、お兄ちゃんを困らせては駄目でしょう!」
「ごめんなさい」
「…ごめなしゃ」
めっ、と「おばあちゃん」にすごまれ、子供達は素直にエドワードに頭を下げた。
「え?え、いや!全然!困ってない困ってない!」
そんな殊勝なさまに、エドワードこそうろたえてしまった。何度も首を振り、そんなことはないと示す。すると、店主なのかもしれない老婆が微笑みを湛えて礼を述べる。
「ありがとう、坊や」
「ぼ…!」
しかしあまりの呼びかけに絶句してしまう。そんなエドワードと対照的に、ロイは背を折って笑いを堪えているようだった。後で殴ってやる、とエドワードは心に誓った。
結局マーサのお勧めだというチーズのパンと、ジェミーのお勧めだというチョコのパンを買い、後はロイが食べたそうにじっと見ていた(幼児とやることが変わらない)カスタードのパン、それからバケットをい一本買って、彼らはその店を後にした。なんで菓子パンばっかり買ってるんだ…とエドワードは少し頭を抱えたが、まあ、目的のある買い物でもなかったしいいだろう。
パンの入った袋を抱えながら、さてどうしようかと思っていたら、唐突に手を捕まれた。
「…なにすんだよ」
払いのけようとするのだが、片手がふさがっているので勝手がよくなかった。
「さっきの子供達とは繋いでたじゃないか」
「……。あれは不可抗力だろ」
繋いだのではなく繋がれたのだ。それに、相手はまだきっと五歳にもならないくらいの子供だ。そんな子供とどうして比較できるだろう。エドワードは、呆れた。
「ずるいよ。差別だ」
「……。差別って」
「第一、デートは手を繋ぐものだと言ったのは君じゃないか」
「そんな風には言、っ、て、な、い」
アホか、とエドワードはにべもない。
だが、ロイにはその手を離す気配がない。
「………。じゃあ、もう、…帰る?」
はぁ、と諦めの溜息と共にエドワードは握られた手を握り返した。
「帰るんだったら、繋いでもいい」
「……」
「オレ疲れてるから。引っ張って」
ぐったりと肩の力を抜きながら、エドワードはぞんざいに言った。すると、一瞬驚いたように見開かれたロイの目が、嬉しそうに細められる。
「お安いご用だ。なんなら、抱き上げて運ぼうか」
「それは過剰サービス!」
行き過ぎな提案をぴしゃりと撥ね付けるエドワードに、ロイは残念そうな表情を浮かべたが、すぐに折り合いをつけたらしい。妥協点で満足したというか。
「なら、帰ろう。…一緒に」
「はいはい」
ロイはしっかりと小さな手を握り直し、機嫌よく例の家まで歩き始めた。
―――昼間の住宅街には、幸い、珍しいことに人が出歩いていなかったようで…ふたりが誰の目にも留まらずに家まで帰りつけたことは、本当に「幸い」であったに違いない。
「ところで、私のはマナーじゃなくて何だと言おうとしたんだい?」
「……。まだ覚えてたのかよ…どうでもいいだろ、そんなこと」
「よくない。何事もうやむやにするのはよくないと思うぞ」
「……。じゃあ、…怒らないか?」
「怒るようなことなのか」
エドワードは難しい顔をした。
「わかんない」
「…とにかく言ってみてくれ。気になって仕方ない」
はぁ、とエドワードは溜息一つ。
「―――あんたのあれはマナーじゃなくてただのタラシだって話」
…結果は如何ほどに?