人魚
4th day[friday]:golden drop
「…一体全体蜂蜜なんか何に使うんだ?しかも大瓶って」
困惑なのか呆れたのか…、まあでも彼の心理はごく真っ当なものだったろう。
定期報告と必需品の調達のため、最低でも一日に一度は司令部から必ず誰かが様子見に来ることになっていた。たまたま、今朝の当番に当たったのはハボック少尉で、彼は、エドワードに手渡されたメモを見ながら、前述の台詞をのたまったのである。(ちなみに当番はホークアイ、ハボック、フュリーの持ち回りになっていた。どうしてその人選かというと、たまたま事件が起こっていた日に当直だったかどうかの話らしい。あまり頻繁に違う人物が出入りするのも問題というのもあったが)
すると、エプロンが妙にはまっている少年は、まず溜息。
「大将?」
「…少尉さぁ…」
「?」
「…少尉んとこのボス、成人病に気を付けさせた方がいいと思うよ、オレ」
「は?」
ハボックは、突拍子もないお言葉に目を点にした。
エドワードは、そんな彼の困惑にも構わず、深く深く息を吐いた。
「超、甘党」
「え?誰が?…大佐が?」
最後の部分だけ声を潜めて、今はこちらも軍服は纏っていないハボックが恐る恐る問い返す。
「他に誰が」
「…………………ですよね」
少年は重々しく頷いた。
「だって絶対朝パンケーキだし。すごいんだぜ、バターと蜂蜜半端ねぇ量ぶっかけんだから」
「…だからバターも追加なのか」
―――(男の)二人暮しにしてはありえない量を。
ハボックが呆れたように呟くと、それもある、と少年は少々うんざりした気分で答えた。
「十時三時も甘いもんほしがるしな。とりあえずパンケーキで文句ねぇらしいんだけど、オレも毎日そんなん作るのも飽きるし。しょうがねぇからパウンドケーキを焼いてやったら」
「ちょっと待て」
「あ?」
「なんだ、パウンドケーキって」
「…?卵と粉と砂糖とバターを一ポンドずつぶっこんで焼いた…」
「いや、そういうことを聞いてるんじゃなく」
手持ち無沙汰気味にエプロンの端をいじりながら並べたエドワードを遮って、ハボックは眉間に皺を寄せる。
「…おまえ、そんなの作れるのか」
「は?あんなもん、作るうちに入るか」
「………」
…女の子ならそれもアリかもしんねーけど。
ハボックは顔にそう書いて、エドワードを見つめた。口を開く気力がなかった。すると少年は溜息。ああそういうこと、と。どうやら通じたらしい。
「ほら…誰が用意したかわかんねーんだけど、なんか、この家、本棚とか適当に作りつけてあるだろ」
軍が用意したのだからそれは知っているだろう、とエドワード。ハボックは少々考えてから、ああそういえばそうだったかもしれない、と頷く。
「そん中にまーありとあらゆる実用書の類が…家庭菜園の作り方とかな…おいおいあの庭でホースラディッシュでも作れと?このオレに?」
とりあえずハボックは止められなくて、ただ少年の言葉を聞いていた。聞くしかなかったというか、聞くことしか出来なかったというか。
「…………」
「その中に、まっずいことに、菓子作りの本があった…そしてそれを、最悪なことに、おたくの上司が見つけたわけだよ…」
ふっ、とエドワードは黄昏れた表情で遠くを見た。
「…ガレット・ブルトン、タルト・タタン、フォンダンショコラにフラン・オ・レ…!」
「エ、エドワードさん?」
ぐ、と少年はエプロンを握り締めた。
「少尉わかる?フラン・オ・レって牛乳のタルトなんだぜ?!この!オレが!牛乳の?!」
「お、落ち着けエド、おまえの気持ちはよくわかったから…!」
「ううううううううううもう胃が痛い気が狂いそう…牛の乳だぜ牛の乳…ありえねぇしー」
頭を抱えて彼は苦悶する。それをどうどうと宥めながら、そうはいいつつ結構順応してるみたいに見えるけどなあ、と少尉は思った。
無論、口にはしなかったが。彼だって命は惜しい。
「………ていうかさー」
「ん?」
ひとしきり苦悶を打ち明けたらそれですっきりしたらしい。顔を上げたエドワードは、既に牛乳を吹っ切っていた。素晴らしい切替だと少尉は思った。
「買出しくらい、オレ行くけど」
「いや、おまえが出歩いたら意味ないだろ。大佐どうすんだよ」
「ん…いや、でもさ、少尉。オレらあれだろ、ここに越してきたえーと…なんだっけ、兄弟だっけ、そういうことになってんだろ?男二人で家にこもりっきりでたまに人が会いに来て…って恐ろしく怪しいと思うんだけど」
ハボックは少し考えた。
「まぁそ…」
「エドワード」
それはその通りだが、と返そうとしたハボックの言葉を、遠慮会釈なしに遮った人物がいた。
―――ちなみにそんなのはひとりしかいないわけで。
「なんだ、まだいたのか…ハ…ハ…あー…ハバッカ?だったか?」
「ハボックです」
「そうか、すまない…ハブーク」
「わざとやってんですか?泣きますよ、玄関先で泣いてやりますよ?」
「泣いてもいいが無視するぞ。むなしいと思うが」
そんなことより、とロイはエドワードに向き直る。
「大変なことが起こったんだが」
「…っ?!あんた、今度は何やらかしやがった…!」
顔を青褪めさせて、エドワードは問い詰めた。それに対し、ロイは、幾らかは悪いと思っているようだが、基本的にあまり深刻に事態を捉えていないようで、のほほんと答える。
「いや…せめてやっぱり皿は洗おうと思って…」
「だから洗うなつってんだろこの先天性殺人的不器用が…!人並みのことが出来ると思うなよ!あんた普通以下なんだから!」
キー、とエドワードは叫んだ。そのあんまりな言葉に、さすがに、ロイも眉間に皺を寄せる。
「そこまで言うことはないじゃないか。やっぱり君に全部やらせるのはよくないかと思って、私なりにだな」
「無能の考え休むに似たりだ…こんちくしょう…」
少年はがっくりうなだれて、ハボックに片手を挙げた。
「…まあ、ちょっとその外出の件は中尉とかに相談しといて?」
「あ、ああ、うん…なんか手伝ってくか?」
あんまりにも力のないエドワードの様子に、ハボックは一応手助けを名乗り出てみた。だが、エドワードは手をひらひらと振って苦笑い。
「…や、気持ちだけで…ほん…っとえらいことになってる予感だから…」
「そ、そうか。…じゃあ補充また後で来るからよ」
「ん。サンキュ。よろしく」
苦笑のままではあったが一応礼を述べ、そしてエドワードは家の奥に消えた。
「…外出というのは?」
「へ?あ、ああ、エドのヤツが、一日に少しくらい、買物くらいは外に出たいと…」
ほぅ、とロイは目を細めて腕を組む。
記憶がないと聞かされても冗談だとしか思えなかったが、こういう日常の仕種などを見ていると、やっぱり冗談なのではないかと思ってしまう。あまりにもそのまま過ぎて。
「私も賛成だ」
「……………」
いやあんたの意見は聞いてないし、とハボックは心の中で反論した。
「…ぅわ、…っげ!なんっ…じゃこりゃ!?」
と、奥の方からエドワードのひっくり返った声が聞こえてきた。どうやら「大変なこと」とご対面なさったらしい。
ハボックは溜息をつく。許せ、と内心で手を合わせて。
ロイは―――愉快そうに、目を細めていた。
そして、午後。