無傷の11月26日
『11/25 練習内容:紅白戦』
日が沈むスピードで暗くなっていく部室でそっと部活動日誌を閉じる。
部長所感に差しかかって手が止まり、気づけば外も静かになってしまった。
隣接する高等部も撤収したのだろう。少し前に帰宅する人の群れが通り過ぎる声が聞こえた。
熊谷監督は残っているだろうか。
霞む視界に瞬きを繰り返した。眉間を揉んでみたがあまり効果はなかった。
何度目かのため息を落としたところでノックもなしに部室の扉が開いた。
一瞬肩が跳ねて目が覚めたものの、訪問者が遠慮のない相手とわかると再び力が抜ける。
「鷹匠さん、どうしたんすか。」
高等部の制服を来た鷹匠瑛は帰り荷物を床に放って当たり前のようにパイプ椅子に腰をおろした。
ここは中等部。瑛は外部受験で高等部に入学した高等部生だが、人目がなければ遠慮なしに振舞う。迎える傑も慣れたものだ。
「そこで国松捕まえたら、まだ傑が残ってるつーから覗いた。」
「日誌に時間かかっちゃって。」
「じゃあ電気ぐらいつけろ。」
指摘されて始めて思い至るが、入り口近くのスイッチまで行くのが億劫だった。
傑が動かないのを見た瑛がパイプ椅子を滑らせてスイッチを押した。
「日誌つっても今日は紅白戦だったんだろ?詳しい記録は別に作ってんだから日誌なんか適当でいいじゃねえか。」
言いたい放題の瑛に「色々あって…」と言えば間髪入れずに「どうせ弟のことだろ」と返ってくる。
「まあいい。終わったんならさっさと着替えて帰るぞ。」
約束をしていたわけではないが、瑛がこうして傑を迎えにくることは珍しくない。
傑はゆっくり立ち上がり、制服を丸めて放り込んだバッグをたぐり寄せた。
練習着を脱ぐのも制服に袖を通すのも、ボタンを一つ一つ留める動きさえ緩慢だった。
瑛の眉尻が上がる。
「顔色悪いな。」
「そっすか?…最近夢見が悪くてよく眠れてないからかな。」
「練習が足りてねえんじゃねーのか。クタクタで布団に入ったら夢も見ねえよ。」
「はは…」
スポーツバッグを肩にかけて起こした上半身がグラリと揺れる。
「傑!」
瑛が咄嗟に手を伸ばす。身体を支えるには間に合わない。腕を捕まえ引き上げようとしたが、傑はもう意識を手放していた。
逢沢家に辿り着く頃にはすっかり暗くなっていた。
一度だけ逢沢家の前まで来たことがあったので、自力でも傑を送り届けられると思ったのだ。
それがどうだ。日が暮れてみると景色が全く違って見える。
眠っている傑を背負っていくらか迷った挙句、途中で目を覚ました傑に家の前まで肩を貸した。気がついてもまだ足取りは頼りなく、家に入るところを見ないことには安心できなかった。
「ホントすいませんでした」
深々頭を下げる傑にシッシッと手を振る。
「いいからゆっくり休めよ。」
「はい…」
「あ、チャリ学校に置いて来ちまったから、明日忘れんなよ。」
「はい…」
この様子では明日の朝に自転車があるつもりで支度をして遅刻なんてことになりかねない。
いつになく頼りない背中が玄関扉に消えるのを見送ってから瑛も帰路についた。