11月26日深夜
気がつくと兄の漕ぐ自転車の荷台に乗っていた。
昨日まで兄との仲は拗れているとばかり思っていたから不思議だった。
それでも、小さい頃みたいで嬉しかった。
兄の声は聞こえなかったけど、僕は兄にサッカーを辞める決意をしたことを打ち明けた。
スッキリすると同時にとてつもなく寂しくなって、兄のリアクションを待っていた。
その時、ふと振り返ると鉄骨を山のように積んだトラックがゆっくり迫っていて、慌てて兄に「危ない、避けて」と叫んでも聞こえないみたいに無反応で。
目を開くと薄暗い天井が見えた。
息苦しくて、全身に汗をびっしょりかいているのがわかった。
起き上がると汗が冷えて、ここが現実なのだと実感する。
深く息を吸って、吐いて、今のは夢だったんだと自分に言い聞かせた。
夢は一呼吸ごとに輪郭がぼやけていって、細部が思い出せなくなる。
それなのに、あんまりにもリアルな夢だったというのは心から消えなかった。
恐怖とショックがまだ心臓をわしづかみにして喉元を締め上げる。
あれは夢だとわかっているのにどうしようもなく涙が出て悲しくなった。
夢の最後に見えたのは、頭から血を流してピクリともしない兄の姿だった。
傑はドアが開くガチャリという音で目を覚ました。
頭だけで振り向くと、明かりも付けない廊下から駆が覗き込んでいた。
「……どうした?」
声をかけるとようやく傑が起きていることに気づいたようで、そそくさと部屋に入って慎重に扉を閉じる。
「ごめん、起こした?」
「気にするな」
その日は早くに眠り始めたお陰でたっぷり睡眠が取れて頭がすっきりしていた。
これからまた寝直すのが難しいというほど冴えているわけでもない。
寝間着姿で枕を抱いた駆は扉の前で立ち止まったまま、他の部屋で寝ている家族を気にしてか声をひそめて言った。
「あのさ、一緒に、寝てもいい?」
思わず口を半開きのまま黙ると、慌てて付け足す。
「一緒じゃなくて…えっと、ベッドの横の床とかでいいんだ!」
思えば昔は何度もこんなことがあった。
テレビでホラー番組を見た夜とか、トイレが怖いというので連れていった後一人部屋に戻りたくないと言う駆を布団に入れてやったこともある。
もう何年も前のことだ。
「……ダメ?」
不安そうに尋ねられて断れなくなった。
掛け布団の端を捲ってやる。
「ほら。」
もうお互い中学生で、小学校の時に買ってもらたベッドに二人で寝るのは窮屈だった。
でも、呼ばれた駆は素直にベッドに潜り込んだ。
「お前は壁側行けよ。落ちるから。」
「もう落ちないよ!」
「美都が起こしに行くと半分ベッドから落ちてるって言ってたぞ」
「それは、それは布団がずり落ちてるだけだってばっ」
口を利いてみると何のわだかまりもないみたいに話ができた。
部活やサッカーの話をするたびに嫌な空気になっていたのが嘘のようだ。
小さい頃はいつだってこうだった。サッカーの話をする時が一番楽しくて。
「お前、袖が濡れてる」
素直に壁際に移動して持参した枕をセットしたところで駆の袖のシミに目を留めた。
最初は何かこぼしたのかと思ったが、恥ずかしげに隠した様子でピンと来る。
「さては怖い夢でも見たんだろ」
「……っおやすみ!」
答えないままガバッと頭から布団を被った。それでも布団越しに傑の笑い声が聞こえてきて、意地を張り切れず、起き上がって吐息みたいな声で怒鳴った。
「兄ちゃん笑いすぎ!寝れないよ!」
「人の布団にきて偉そうに言うなよ」
傑が寒いと訴え駆を布団に引き戻した。もうじき十二月で閉め切った二階といっても冷える。
二人布団に潜って背中合わせになると、少し足を折りたたもうとしただけで膝が出そうになるけど、ひっつきそうで触れ合わない背中だけは暖かい。
「どんな夢見たんだ?」
「交通事故の夢」
詳しくは言わなかった。最後に見た傑の死ばかりが鮮明に瞼の奥に張り付いて、それを傑本人には言いたくなかったから。
「昔より現実味があるな。小学校の頃はでかい雀に追いかけられる夢でビービー泣いてたっけ」
「そんなのもう憶えてないよっ」
「あと、そうだ、俺が代表招集されたときに代表チームが負ける夢見たって縁起でもないこと言って…」
「ゆ、夢なんだから仕方ないじゃん!あとでセブンに教えてもらったけど、現実の逆の夢を逆夢っていうんだって。」
「ああ、お前があんなこと言うから余計に負けるかって思ってさ」
一点リードされて折り返した後半。見事な逆転劇だった。
「正夢より逆夢の方が多いんだって。深層心理が…えーと、そうなるんだって」
詳しく聞いた説明は忘れてしまったけれど、逆夢の例えとして“死”の夢についても聞いた記憶がある。“死”を夢で見るのは再生、新しく生まれ変わるという意味がある。
自分が死ぬのは「生まれ変わりたい、やり直したい」という願望。誰かが死ぬのはどんな意味だっただろうか。
兄と二人で事故に遭って、何が再生するというのだろう。
ふと、喧嘩をしていたことを思い出した。喧嘩といっても駆が一方的に怒ったり拗ねたりしていただけかもしれないけれど。
同じ家にいてもどんな顔で何を話していいか分からずにいた。その関係が再生するという暗示ならいいのに。
ポツリポツリ話しているうちにゆっくり体が暖まっていく。一言ごとに駆の返事が小さくなり、そして
「……駆?寝たか。」
傑がそれきり口を閉じると、暗い部屋は規則正しい呼吸音で満たされた。
昨日まで兄との仲は拗れているとばかり思っていたから不思議だった。
それでも、小さい頃みたいで嬉しかった。
兄の声は聞こえなかったけど、僕は兄にサッカーを辞める決意をしたことを打ち明けた。
スッキリすると同時にとてつもなく寂しくなって、兄のリアクションを待っていた。
その時、ふと振り返ると鉄骨を山のように積んだトラックがゆっくり迫っていて、慌てて兄に「危ない、避けて」と叫んでも聞こえないみたいに無反応で。
目を開くと薄暗い天井が見えた。
息苦しくて、全身に汗をびっしょりかいているのがわかった。
起き上がると汗が冷えて、ここが現実なのだと実感する。
深く息を吸って、吐いて、今のは夢だったんだと自分に言い聞かせた。
夢は一呼吸ごとに輪郭がぼやけていって、細部が思い出せなくなる。
それなのに、あんまりにもリアルな夢だったというのは心から消えなかった。
恐怖とショックがまだ心臓をわしづかみにして喉元を締め上げる。
あれは夢だとわかっているのにどうしようもなく涙が出て悲しくなった。
夢の最後に見えたのは、頭から血を流してピクリともしない兄の姿だった。
傑はドアが開くガチャリという音で目を覚ました。
頭だけで振り向くと、明かりも付けない廊下から駆が覗き込んでいた。
「……どうした?」
声をかけるとようやく傑が起きていることに気づいたようで、そそくさと部屋に入って慎重に扉を閉じる。
「ごめん、起こした?」
「気にするな」
その日は早くに眠り始めたお陰でたっぷり睡眠が取れて頭がすっきりしていた。
これからまた寝直すのが難しいというほど冴えているわけでもない。
寝間着姿で枕を抱いた駆は扉の前で立ち止まったまま、他の部屋で寝ている家族を気にしてか声をひそめて言った。
「あのさ、一緒に、寝てもいい?」
思わず口を半開きのまま黙ると、慌てて付け足す。
「一緒じゃなくて…えっと、ベッドの横の床とかでいいんだ!」
思えば昔は何度もこんなことがあった。
テレビでホラー番組を見た夜とか、トイレが怖いというので連れていった後一人部屋に戻りたくないと言う駆を布団に入れてやったこともある。
もう何年も前のことだ。
「……ダメ?」
不安そうに尋ねられて断れなくなった。
掛け布団の端を捲ってやる。
「ほら。」
もうお互い中学生で、小学校の時に買ってもらたベッドに二人で寝るのは窮屈だった。
でも、呼ばれた駆は素直にベッドに潜り込んだ。
「お前は壁側行けよ。落ちるから。」
「もう落ちないよ!」
「美都が起こしに行くと半分ベッドから落ちてるって言ってたぞ」
「それは、それは布団がずり落ちてるだけだってばっ」
口を利いてみると何のわだかまりもないみたいに話ができた。
部活やサッカーの話をするたびに嫌な空気になっていたのが嘘のようだ。
小さい頃はいつだってこうだった。サッカーの話をする時が一番楽しくて。
「お前、袖が濡れてる」
素直に壁際に移動して持参した枕をセットしたところで駆の袖のシミに目を留めた。
最初は何かこぼしたのかと思ったが、恥ずかしげに隠した様子でピンと来る。
「さては怖い夢でも見たんだろ」
「……っおやすみ!」
答えないままガバッと頭から布団を被った。それでも布団越しに傑の笑い声が聞こえてきて、意地を張り切れず、起き上がって吐息みたいな声で怒鳴った。
「兄ちゃん笑いすぎ!寝れないよ!」
「人の布団にきて偉そうに言うなよ」
傑が寒いと訴え駆を布団に引き戻した。もうじき十二月で閉め切った二階といっても冷える。
二人布団に潜って背中合わせになると、少し足を折りたたもうとしただけで膝が出そうになるけど、ひっつきそうで触れ合わない背中だけは暖かい。
「どんな夢見たんだ?」
「交通事故の夢」
詳しくは言わなかった。最後に見た傑の死ばかりが鮮明に瞼の奥に張り付いて、それを傑本人には言いたくなかったから。
「昔より現実味があるな。小学校の頃はでかい雀に追いかけられる夢でビービー泣いてたっけ」
「そんなのもう憶えてないよっ」
「あと、そうだ、俺が代表招集されたときに代表チームが負ける夢見たって縁起でもないこと言って…」
「ゆ、夢なんだから仕方ないじゃん!あとでセブンに教えてもらったけど、現実の逆の夢を逆夢っていうんだって。」
「ああ、お前があんなこと言うから余計に負けるかって思ってさ」
一点リードされて折り返した後半。見事な逆転劇だった。
「正夢より逆夢の方が多いんだって。深層心理が…えーと、そうなるんだって」
詳しく聞いた説明は忘れてしまったけれど、逆夢の例えとして“死”の夢についても聞いた記憶がある。“死”を夢で見るのは再生、新しく生まれ変わるという意味がある。
自分が死ぬのは「生まれ変わりたい、やり直したい」という願望。誰かが死ぬのはどんな意味だっただろうか。
兄と二人で事故に遭って、何が再生するというのだろう。
ふと、喧嘩をしていたことを思い出した。喧嘩といっても駆が一方的に怒ったり拗ねたりしていただけかもしれないけれど。
同じ家にいてもどんな顔で何を話していいか分からずにいた。その関係が再生するという暗示ならいいのに。
ポツリポツリ話しているうちにゆっくり体が暖まっていく。一言ごとに駆の返事が小さくなり、そして
「……駆?寝たか。」
傑がそれきり口を閉じると、暗い部屋は規則正しい呼吸音で満たされた。