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11月26日深夜

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 眠りが浅くなった夢うつつに背中から包み込まれるような暖かさと重みを感じてゆっくり目を開く。
 白い壁。それはいつもの自分の部屋と同じものだったけれど、布団の色が違った。ここは兄の部屋だ。そこから記憶が繋がり始める。
 じきに背中に感じているのが兄の体温だと気づいた。一人で寝て目覚めるときにはない、安心とくすぐったさがある。
 だとすれば、この重みは。
「ん……」
 重さの正体を探るように身じろぐと、それは、腕はびくりとしてすぐにどけられた。その動きで目が覚める。
 まだ鈍い頭ながら驚いて振り向くと、傑は寝返りを打つところだった。
「兄ちゃん…?」
 返事はない。寝ぼけていたのだろうか。いや、起きていたから今背を向けられているのだ。
 ゆっくり一つ一つ考えて「何故」にぶち当たると、目の前の兄の背中が自分を拒絶しているように見えた。
 照れくさくて?バツが悪くて?僕に悪いと思って?
 グラウンドでは誰より背筋が伸びていて歳の差が一つだなんて信じられないくらい広い背中が、今は年相応に小さい。
(兄ちゃんも怖い夢でも見たのかな)
「兄ちゃん」
 二度呼んでも返事はなく、そっと触れると、一瞬だけ背中が震えた。服の襟から氷でも入れられたみたいに。
 振り返らない兄を追いかけなくちゃいけないような気がした。狭いベッドの上で、兄はそこから動かないのに。
 傑は頑固だった。自分が正しいと思う限り誰が相手でも譲らない。でも、駆を無視したりはしなかった。
 もう一度手を伸ばして肩に触る。もうピクリとも動かなかった。
 身を乗り出して、肩に乗せた手を腹に回して、グッと近づいて首元に額を押し付けた。
 兄の匂いがする。毎日同じものを食べて、布団もまとめて色違いで買ったものだし、洗濯洗剤も一緒。シャンプーも一緒。それでも傑の匂いは駆とは違う。
 幼い頃はもっと簡単にひっついてこの匂いを感じていた。懐かしさに目を閉じる。
 いつ頃からだろう。一緒の布団で眠ったり抱きついたりしなくなったのは。
 傑が中学に上がる頃にはもうしなかった。
 どこかから「ブラコン」っていう単語を覚えてきた同級生に連呼されて恥ずかしくなったからだ。
 中学生になった今も新しいエッチな単語を覚えると大喜びで言いたがる奴がいるけれど、小学生のときはもっとだった。
 始めはなんだかわからなくて、意味を聞かされてバカにされてるんだと思ったらいたたまれなくなった。
 それ以来、外で兄と距離をとり始めた。傑もしばらくして一人で風呂に入るようになり、理由がない限り同じ布団に入れてくれなくなった。
 年を重ねるごとに傑は忙しくなっていった。物理的に離れている間に、駆は大きなトラウマを作った。
 兄弟の距離がもっと近かった頃ならば、傑はもっと手を差し伸べてくれたかもしれない。でも、海外遠征から帰った傑は、落ち込む駆を甘やかしてはくれなかった。
 それを境に駆の不調と比例して兄との距離は大きくなるばかりだった。
 あと四ヶ月ほどで傑は中学を卒業し、また距離が生まれる。
 寂しさにが冷たい風のように胸に吹きこんできて傑の腹に回した腕にギュッと力を込める。体がぴったりとくっついて、冷えた胸が傑の体温で中和されていく。
 兄の背中にしがみついているのは気持ちよくてそのまま眠ってしまいたい。
 しかし、身じろいで足が触れたとき、傑が身を捩った。
「……駆」
 向き合うと体と体の間に隙間ができて冷たい空気が滑りこんできた。奪われたぬくもりが恋しくても、正面から抱き合うのは変な気がして手が伸ばせない。
 暖かい手が駆の頬に触れた。布団からはみ出した頬が冷えているせいで熱く感じる。気持ちが良くて目を閉じるとやんわり上向きにされ、唇にも体温が触れた。
 驚いて目を開けても近すぎて焦点が合わない。
 それでも、見えなくてもわかる。唇が重なっていることぐらい。
 反応できずいると、軽く唇が離され、今度は生暖かい下が触れた。口を割って唇の裏を舐められてゾクリとした。腹よりもっと奥が疼いて背筋を這い上がって胸にじんわり沁みる。痛いぐらいに心臓がドキドキして苦しい。
 これはいけない。反射的にそう思って兄の体を押し返した。
「に、兄ちゃんっ…」
 少し離れてようやく輪郭を結んだ傑はカーテンの隙間から差し込んだ月の光を目元で反射していた。どうしようもなく弱々しい、兄のそんな顔を見たことがなかった。
 そこが境目だった。拒絶しなければいけないのは駆の方だった。
 でも。
「駆…ごめん」
 そう搾り出してベッドを降りようとした傑のシャツの裾を捕まえてしまった。覚悟だとか、選択した自覚などないまま傑を引き止めた。追いかけなくちゃいけないような気がしたから。兄が遠くへ行ってしまうような気がしたから。
 引き寄せられるまま傑は駆の腕の中に戻る。そして両腕で自分より一回り小さい体を強く抱いた。
 お互いまだ十五と十四になったばかりの冬のことだ。
 家族の寝静まった時計の音のうるさい夜。狭いベッドの中で寒くて仕方ないみたいにひっついて兄の忙しない拍動を感じながら眠った。
 夢を見た。怖くて泣いた夢の続きのようだった。
 兄が自分の中にいて、でも話せない。駆の胸に傑がいた。
 眠りに落ちるまで感じていた兄の鼓動が自分のものになっていた。
 一つになって二人じゃなく一人でピッチに立って、でもずっとそばに兄がいた。
 もう怖くはなかった。
作品名:11月26日深夜 作家名:3丁目