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兄ちゃんのボール

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帰ると、居間のテーブルの上に新品のボールがあった。
 ピカピカの表面には油性マジックでぐしゃぐしゃ意味もなく落書きしたような線が書かれている。
 それはサインだった。プロのサッカー選手の。
 その横には「カケルくんへ」と名前まで入っている。
 幼い駆には独特のセンス溢れるサインが英語なのか漢字なのかひらがななのかもさっぱりわからなかったが、昨日の交流イベントでサインを貰って以来、家の中のどこにだって持っていった。
 風呂はさすがに濡れるからと諦めたが、食事のときにも寝るときもそばに置いていたらしい。
 トレセン合宿で三日ほど留守にしていた俺が帰ってきた時も手にはサインボールを抱えていた。
「兄ちゃんも一緒に交流会行けたら良かったのになあ」
 ひとしきりサインボールを自慢した後、そう締めくくった弟に曖昧に笑って「良かったな」と返してやる。
 普段は俺にべったりの弟だった。合宿の数日前に泊まりがけで家を空けると聞いたときは寂しがって随分ぐずったものだ。
 だから、合宿中の新鮮な刺激の多い中でもたびたび弟のことを思い出していたし、寂しがっているだろうと思いながら帰ってきた。
 ところが、「兄ちゃん待ってたんだ!」というのは自慢話のためだったのかと思うくらい熱心に交流会の話を聞かせるものだからがっかりした。
 交流会だって近所でやったものではない。合宿で寂しがる駆のご機嫌取りに父さんが横浜まで連れていってくれたのだ。
 俺がいなくても楽しくやっていたのだと思うと、弟の現金さが恨めしくなる。
 自分の話が終わってスッキリした駆はようやくサインボールをテーブルから降ろした。
「兄ちゃんは?トレセン合宿どうだった?」
「面白かったよ。今回初めて会った奴もいたけどみんな上手くてさ」
 帰宅した直後よりはしぼんだ気持ちが声に表れていても駆は気づかない。ぽつりぽつり話すせば身を乗り出して続きをせがむ。
 そのうち心も晴れてきた。
「じゃあちょっと外行くか」
「うん!」
 気持ちのいい返事の後にすかさず母さんが待ったをかける。
「もうじきお夕飯できるわよ!」
 台所からはさっきから香ばしい醤油の匂いが溢れ出していた。そのせいで腹も減っているけれど。
「ちょっとだけ!夕飯には戻るから」
「いってきまーす!」
 もう俺達は玄関で靴をひっかけていた。
 俺は玄関の隅に置いておいた自分のボールを持って、駆も自分の練習用ボールと、おまけに小脇にはサインボール。
 そんなの邪魔だと思った。でも、言ったら駆が拗ねそうだったから。

 家から走って五分もしないところに小学校がある。
 そこの誰もいないグラウンドに入り込んでボールを蹴った。
 最初にリフティングの競争をした後は駆のボールは横へ置いてパスやフェイントをやって見せた。
「この間兄ちゃんが練習してた奴だ!」
 抜かれて振り向き歓声を挙げる駆にVサインをして頷いてやった。
 合宿前に何度も挑戦して失敗ばかりしていたプレイだ。それを合宿中にコーチに見てもらって完成させたので、駆の前で成功したのは初めてだった。
「兄ちゃんのボール、足にひっついてるみたいだ!」
「お前もいっぱい練習したらできるよ」
 ちょうどその時、学校脇の電柱に設置されたスピーカーから夕方六時を告げるノイズ混じりの音楽が流れてきた。
「いけね、もう帰ンなきゃ。」
 ボールを拾い上げて駆を目で促したけれど駆けるは動こうとしなかった。
「駆?帰るぞ」
 手を差し出しても拳を固めてイヤイヤする。
 そして俯きがちにつぶやいた。
「……兄ちゃんのボール欲しい」
「は?」
 二度目は顔を上げてハッキリと言った。
「兄ちゃんのボールちょうだい!」
 いきなりのことでどういうつもりかさっぱりわからない。
 なんとなく手に持ったボールを胸に引き寄せて首を横に振った。
「駆だって自分のボール持ってるだろ?」
 本人が拾おうともしないので、仕方なく色違いの駆のボールを拾って差し出した。
 駆がサッカーを始める前、俺がサッカーを始めたときに駆が自分も欲しいと駄々をこねたから一緒に買ってもらった全く同じ品物だ。駆が青で、俺が黒。
 色違いの振り分けについての取り合いはとっくの昔に俺が譲る形で決着していて、今ではそれぞれ使い込んで傷だらけ。土埃にまみれた今は余計ボロボロに見えた。
 でも、駆は自分のボールに手を出さず、俺のボールを指さして「それがいい」と繰り返す。
「兄ちゃんのと僕の交換する!交換!ね?」
 それでも納得がいかず、いきなりわけの分からないわがままを言う駆にイライラして強く首を振った。
「同じボールなんだからいいだろ!」
「じゃあ交換してよ!兄ちゃんのがいいんだもん!」
「もういいから帰ろう。な?」
「やだ!兄ちゃんが交換してくれるまで帰らない!」
 そうしてしゃがみ込んでしまうと本格的に駆は動かなくなる。
 俺が置いていけないのをよく知っているんだ。
 でも、弟は置いて帰れないけどボールの交換もしたくない。
 意地の張り合いでお互い帰れないまま、背中でみるみる日が落ちていく。

 膠着状態がしばらく続いた頃、まだ小さい妹の手を引いて母さんが迎えに来た。
 夕飯の時間から十五分も過ぎていた。
「夕飯には帰るって言ってたでしょうが」
 一番に俺が叱られて、でもすぐにうずくまる駆を見つけて事情を察したらしい。
 駆の目の前にしゃがみ込んで説得しようとしたけれど、それでも駆は諦めなかった。
 パッと立ち上がったかと思うとグラウンド脇のベンチに走って行って、そこに大事に置いてあったサインボールを俺の目の前に突き出した。
「これと、これと交換!」
「駆、アンタそれあんなに大事にしてたじゃないの。」
「いいもん、兄ちゃんのボールがいいの!」
 俺はサインボールなんかに興味はなくて交換もウンザリだったけど、ずっと離さなかったサインボールをあっさり手放すと言い出したのに面食らってしまった。
 何も言えない俺の脇腹をこっそり母さんがつつく。
「傑お願い。今だけでいいからウンて言ってあげて?おうちに帰ってからにしましょう?」
 結局、折れたのはやっぱり俺だった。
 “お兄ちゃん”だから。
 駆は泥だらけの俺のボールをがっちり抱いて、俺は駆の練習用ボールを蹴りながらサインボールを抱えて帰った。
「何でそんなのがいいんだよ」
 尋ねると、わがままが通って上機嫌の駆はにっこり笑顔で言った。
「兄ちゃんのボールの方がかっこいいもん!」
 俺には全然意味がわからなかった。

 後になって思えば、それも“おさがり”の一つだったのだと思う。
「俺も兄ちゃんいるからおさがり着せられるけど色薄くなってるし名前書いてあるしヤだよ」
「うちもうちも。うち姉貴しかいないから従兄弟のおさがり貰ってくるんだぜ」
「いいよなー一番上は」
 同学年の仲間たちからそう言われても「そういうものなのか」と他人事なのは自分が長男だからではない。弟がおさがりを嫌がらないからだ。
 年子の兄弟だから元からお揃いの持ち物も多かったけれど、駆は俺の“おさがり”で“一緒”が好きだった。
作品名:兄ちゃんのボール 作家名:3丁目