願い事と子犬
少年が鳥居の向こうに向かって叫んだ。岩城の足元にあるボールも放って走りだす。その先にはやっぱり小さな男の子がいた。ハーフパンツにブカブカのベンチコート姿で、ネットに入れたサッカーボールを蹴りながら。サッカースクールの帰りらしい。
「カケル!一人で遊びに来たのか?ちゃんと母さんに言ったのか?」
自然な仕草で飛びつかんばかりの弟の手をとった。弟よりずっとしっかりして見える。小さくても一生懸命お兄ちゃんをしていた。
兄は岩城に気づくと無言でお辞儀をして、足元のボールに気がついた。
「あれ、お前のボール?」
「うん!一緒にサッカーしてたんだよ!」
弟の手を握り直した兄は知らない青年を上から下まで観察する。怪しい人扱いかと思うと情け無いが、まったく警戒心のない弟と二人バランスがとれているようで面白い。
「じゃあ俺ももう帰るよ」
返そうと思って軽く蹴ってやった弟のボールは兄が拾った。サッカースクールに通っているというだけあって慣れた様子だった。
ネットに入った自分のボールを弟に持たせて自分は弟のボールを足元に従える。小さいながらに様になっていてちょっと雰囲気のある子供だった。
「お兄ちゃんばいばーい!またねー!」
二人が鳥居を抜けて境内から出て行くと再び静かになる。少年が来る前は考えごとに耽りやすい場所だったのに、気温が下がったのか肌寒くて落ち着かない。
(違うな。寂しいんだ)
賽銭箱の横に投げっぱなしだった荷物を肩に担いでゆっくり家に向かって歩き始めた。
「久しぶりに楽しかったなあ」
ひとりごちてふと足を止め、賽銭箱の前まで戻って手を合わせた。願い事がわかった。
今度はすぐに祈り終えて、もう一度手を合わせた。
(また会えますように)
その翌週から雪が降った。天気の良い日に何度か神社を訪れたが少年はいなかった。約束しているわけでもない、名前も知らない子供に再会することは案外むずかしい。
少年が小学校に上がってサッカースクールに入るという春になると神社を訪れるのもやめた。最後に思い出して賽銭を入れた。
ちょっと奮発して五百円玉。
神頼みしたって分かっている。願い事を叶えるのはいつだって自分の努力だ。でも、二つ目の願い事だけは努力というわけにもいかないので、ピカピカの硬貨は二つ目の願い事のため。
十年後、その願い事が叶ったときに彼は気づかなかったけれど。