桜の花にみる夢
--シズちゃんが撫でてくれた髪。
--シズちゃんが呼んでくれた名前。
自室に入った瞬間、ベッドにダイブして考えるのは静雄のことばかり。
因みにシズちゃんっていうのは静雄という名前から付けた愛称。
俺だけの特別な名前。
好きだなぁ、としみじみ思う。
もっと近付きたい。
隣に居たい。
ただそれだけだった。
カリカリカリッ。
シャーペンの芯が削れる音がする。
入学早々の試験は、順調に進んでいた。
ただ一人を除いて--。
「テスト終了。一番後ろの奴、テスト集めて持ってこい」
途端に華やぐ教室内に、試験中教卓で本を読んでいた静雄に見惚れていた臨也
ははっとしてテスト用紙をみた。
見惚れていたのだから当たり前だが、テスト用紙は真っ白だ。
青ざめている間に後ろの人に持っていかれてしまった。
最悪だ。
「新羅!」
バタンと開いた教室のドアを、新羅は黙って見やった。
そこには慌てた様子の臨也が立っていて、教室の中は一瞬シンッと静まり返っ
た。
だが、クラスメートも驚いたのは最初だけだ。
あっさり順応してさらりと流した。
「どうしよう、どうしよう、新羅」
「はいはい。さっき平和島先生の授業だったでしょ? 何かあった?」
「俺のせいじゃないんだよ? シズちゃんが格好いいのが悪いんだ!」
「訳が分からないよ」
ため息混じりの嘆息に、臨也は静雄に見惚れていてテストを白紙で出してしま
ったことを話した。
「あのね」
「ん?」
「一辺盛大に怒られなよ」
平然と臨也を見捨てた新羅に、臨也は慌てて縋りつく。
ここで見捨てられたら大変だと。
「だって、だって…」
「もう好きだって告白したら?」
「無理だよ。断られたらどうするの!?」
「当たって砕けて来なよ」
「ヒドいよ!」
泣き喚く臨也に、新羅はこつりと机を叩く。
それにぴたりと泣くのをやめる臨也。
「とりあえず平和島先生に…」
『………折原臨也。ちょっと生徒指導室まで来い』
「「………………」」
校内放送から何を考えているのか分からない、平坦な声が聞こえて、二人は顔
を見合わせた。
「臨也。謝っておいで」
「うん」
「あ、告白も忘れちゃダメだよ~」
走り出した臨也の背に、新羅の余計な一言が突き刺さる。
思わず転けそうになった臨也は、絶対仕返ししてやると心に誓った。
「お、折原早かったな」
コーヒーを淹れていた静雄は、コンコンッとノックの後に開いた扉の外にいる
臨也を見つけ微笑んだ。
「………な、で…」
走って来たせいで息が辛い。
そんな臨也を静雄は椅子へと座らせた。
「何で? 聞きたかったのは俺なんだけどな…。とりあえず座れよ」
臨也は、差し出されたコーヒーを吹き冷まして一口飲み込む。
ほっと一息吐いたタイミングで、静雄がまた話し掛けて来た。
「なぁ、今日何かあったのか?」
「…………? 何かってなに?」
「いや、だって入試でほぼ満点とってたやつが解答なしって。もしかして俺が嫌
とか…」
曇る静雄の表情に、臨也は慌てて否定を返した。
そんな表情させたかった訳じゃない。
ただ好きでどうしようもない。
そんな子供じみた感情。
「違うッ! 俺はシズちゃんが好きだ」
一瞬静まり返った指導室で、静雄の瞳だけが光って見えた。
その時垣間見た瞳からは、あの桜の木の下で見た時と同じ哀しみ、苦しさ、切
なさが滲み出ていて、その表情をさせているのが自分を通した誰かだと思うと、
胸が張り裂けそうなほど悔しかった。
だが、その空気は直ぐに霧散した。
「先生って呼べよ。何だよその愛称」
「いや! 今日からシズちゃんって呼ぶ」
膨れてそっぽを向く臨也は子供っぽくて好感が持てた。
静雄はそれにほっとしたように柔らかく笑う。
「却下。とりあえず何もないならいいんだ。今度のテストはちゃんとやれよ」
「分かってるよ」
ぞんざいな返事にさえ、静雄はずっと笑ってた。
ふと、ずっと気になっていたことを思い出して臨也は問い掛けた。
「ねぇ、何でシズちゃんは桜の木をそんなに寂しそうに見てるの?」
「……………………別に。ただ綺麗だな、って…」
嘘だ。
直感的に臨也はそう思った。
その言葉が嘘だと気付けたのは、きっと臨也が静雄を好きだったから。
「シズちゃ~ん!!」
「平和島先生……だ、馬鹿」
ぽかりと日誌で叩かれた頭を抑えて臨也はその場にうずくまった。
それを呆れた視線で見る静雄は、日誌を肩に載せ、また歩き出す。
「待ってよ、シズちゃん!」
通りかかったのは、入学前に静雄を見かけた廊下。
さぁっと流れていく風に、静雄の視線が窓の外を向く。
まただ。
臨也はこっそり静雄を観察した。
これまでの日々で分かったこと。
授業中、生徒が問題を解いている時間、廊下やふとした瞬間、静雄はよく桜を
見上げていた。
まるで、懐かしい一抹の思い出を思い出すかのように。
その理由を、臨也はまだ知ることができない。
まるで、一線を引かれているようで哀しかった。
もっと俺を見て。
色んな表情が見たいんだ。
あの時、さらりと流されてしまったけど、臨也は静雄が好きだから。
喩え報われないと分かっていても、それでもいいと思えるほど。
「シズちゃん!」
「何だよ、折原」
「あのね、臨也って呼んで」
笑っておねだりをしてみると、また日誌で叩かれた。
しかも、今度は思いっきり。
「痛いよ~」
「自業自得だ。叩かれたくなかったら黙って歩け」
「シズちゃんの意地悪」
イーッと唸る臨也に、ぷっと静雄は噴き出した。
くすくすと笑い声が辺りに響く。
どれくらい経っただろう。
ほんの少しかもしれない、でも楽しい時間。
いじける臨也に、仕方ないとばかりに静雄は頭を撫でた。
「コーヒー淹れてやるから機嫌直せ」
「やった! シズちゃんのコーヒー」
はしゃぐ臨也に、呆れながらも楽しそうな静雄。
最初は注意していた静雄も、今では呆れ果てて直させるのを諦めた。
今では愛称呼びさえ周りの教師は疎か、生徒公認だったりする。