【シンジャ】鳥籠の番人【C80サンプル】
(始まり部分略)
第一章 kırmızı
文官が執務を執り行う部屋や王との謁見などを行う大広間がある白羊塔は、国の中枢と言っても良い場所である。そこで働いている文官たちの顔色は一様に良く無く、皆目の下に隈が出来ていた。文官たちが揃って疲れた顔をしているのは、文官を束ねている政務官が二月前から行方不明だからである。
彼が行方不明になっている事が原因で疲労が限界間近となっているのは、政務官の下にいる文官たちだけでは無い。白羊塔の中にある自身の執務室で仕事をしている王であるシンドバッドの疲労も限界間近であった。
「シンドバッド王、これなのですが……どうしましょうか?」
「確か前にも同じ事があった筈だ。何処かにその時の事を書いた物がある筈だから、それを引っ張り出してくれ」
「分かりました」
部屋へとやって来ていた文官は自分の話しを聞き、ジャーファルがいれば直ぐにそれを見付けられるのだが、彼がいないのでそう簡単に見付ける事は出来無いだろうと思った筈だ。この二ヶ月、彼がいればという事を数え切れないほど思った。そう思ったのは、自分だけでは無い筈である。一様に窶れている文官たちも思った筈である。
扉が閉まる音を聞きながら、書類の上で動かしたままとなっていた手を止めた。
(何処に行ったんだ、ジャーファル)
この国の政務官の名前は、ジャーファル。銀色の髪と黒い瞳をした彼の行方が分からなくなったのは、数ヶ月振りの休みを取った日の事である。仕事熱心な彼は無理やり休みを取らせないと休みを取らないので、その日彼が休みを取ったのは自分が無理やり休みを取らせたからである。
仕事が休みとなった彼は、その日いつもの時間に目を覚まし昼まで王宮で過ごした後、中央市へと向かったそうだ。中央市へと行くという事を彼から聞いた侍女がいるだけで無く、中央市で物を見ている彼の姿を見た者を何人か見付ける事が出来たので、ジャーファルが中央市にその日行った事は間違い無い。
その後森の方へと向かっている彼の姿を見た者を見付ける事が出来たのだが、そこからの足取りは分かっていない。
政務官の仕事が嫌になり出奔したのだという事は絶対に無い。そうでは無いと言い切る事が出来るのは、彼がそんな人間では無い事をよく知っているからだ。姿を消したのは何か理由があっての事である筈だ。しかし、その理由が何かという事はどれだけ考えても分からなかった。
(早く帰って来てくれ……ジャーファル)
ジャーファルの姿を脳裏に思い浮かべながら深い溜息を吐いた。
ジャーファルが自分にとってだけで無くこの国にとって無くてはならぬ存在である事を、ジャーファルがいなくなった事によって痛感する事になった。早く戻って来てくれなければ、文官たちが限界になってしまう。普通の人間よりも遙かに丈夫に出来ている自分も、限界がこのままではやって来そうである。
彼に早く戻って来て欲しいと思っているのは、戻って来てくれなければ困るからだけでは勿論無い。彼の事が心配であるからという理由も大きい。
ジャーファルと出会ったのは、シンドリア建国よりも遙かに前である。その時彼は、自分を狙う暗殺者であった。深い闇のような瞳が印象的な子供であった彼が自分を慕ってくれるようになる迄には、様々な出来事があった。
自分にとって彼は今、家族のような存在である。
捜索の人員を更に増やすだけで無く、捜索の範囲を更に広げた方が良いのかもしれない。今まで捜していなかった場所も捜索範囲に加える事を決意した時、部屋へと飛び込むようにしてシャルルカンが入って来た。
「王サマ!」
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
シャルルカンはマスルールと一緒であったようだ。シャルルカンにそう言うと、彼が扉を開けたままにしている入り口からマスルールが部屋の中へと入って来た。
「さっき娼館に行ってたんですが」
「それは羨ましいな」
今は既に夜中と言って良い時間である。そんな時間まで自分が仕事をしているというのに、娼館へと行っていた彼を咎めるつもりは無い。それは、咎める理由が無いからである。それでも全くその事を腹立たしく思わずにいられるほど聖人では無いので、腹立たしく思ってしまい眉間に皺を寄せてしまった。
「そこでジャーファルさんを見付けたんです!」
「ジャーファルを!」
ジャーファルを見付けたという言葉を聞いた瞬間、大声でそう言いながら椅子から腰を上げてしまった。
部屋へと飛び込むようにして入って来たので何かあったのだという事は予想していたが、まさかジャーファルを見付けたという報告を彼から聞く事になるとは思っていなかった。
「はい」
「娼館という事は国営商館の中という事だな?」
この国で娼館を営む事が出来るのは、国営商館の中だけである。国の治安が悪化する可能性があるので、その他の場所で娼館を営む事は禁止している。
過去に何度かそれを破り国営商館以外の場所で秘密裏に娼館を営んでいた者がいたが、今は国営商館以外の場所に娼館は無い筈である。そして、国営商館以外の場所で娼館を営む事が禁じられている事を知っている筈のシャルルカンが、国営商館以外の場所にある娼館へと行くとは思えない。それにも拘わらず国営商館の中にある娼館である事を確かめたのは、まさかそんな近くに彼がいるとは思っていなかったからである。
「はい」
「何故そんな所なんかに……」
国営商館の中にある娼館でジャーファルをシャルルカンが見付けた事を知り、そんな所に彼がいる筈が無いという考えから国営商館を捜索範囲から外していた事を後悔した。それと共に、何故彼がそんな場所に居たのかという事が気になった。
「記憶喪失になってるみたいでした。俺の事が誰か分かって無かったんで」
「記憶喪失……。だから出掛けたまま今まで戻って来なかったのか。それで、ジャーファルは何でそんな所にいたんだ?」
ジャーファルは成人男子である。客としてそこにいたと考えるのが普通である。それにも拘わらず、何故そこにいたのかという事をわざわざ訊いたのは、彼がそこに客としていたとは思えなかったからである。
何故そんな風に思ったのかというと、性的な事に対して彼が潔癖であったからだ。勿論、その事をジャーファルに指摘した事は無い。指摘しても認めない事が分かっていたからである。
「いえ、そこで働いてるみたいでした……」
思っていた通り客としてそこにいたのでは無い事が分かり胸を撫で下ろしていると、言い難そうな様子へとシャルルカンがなった。何か自分に言いたい事があるのだという事が分かり、言葉を促す事にした。
「どうした?」
「そこで客を取ってるみたいなんですよ……」
「ジャーファルが?」
店で働いているようであったという言葉を聞き、当然そこで普通に働いているのだと思っていた。ジャーファルが娼館で客を取っている事を知り、動揺すらしてしまう程驚いた。
「あいつはあれでも男だぞ」
第一章 kırmızı
文官が執務を執り行う部屋や王との謁見などを行う大広間がある白羊塔は、国の中枢と言っても良い場所である。そこで働いている文官たちの顔色は一様に良く無く、皆目の下に隈が出来ていた。文官たちが揃って疲れた顔をしているのは、文官を束ねている政務官が二月前から行方不明だからである。
彼が行方不明になっている事が原因で疲労が限界間近となっているのは、政務官の下にいる文官たちだけでは無い。白羊塔の中にある自身の執務室で仕事をしている王であるシンドバッドの疲労も限界間近であった。
「シンドバッド王、これなのですが……どうしましょうか?」
「確か前にも同じ事があった筈だ。何処かにその時の事を書いた物がある筈だから、それを引っ張り出してくれ」
「分かりました」
部屋へとやって来ていた文官は自分の話しを聞き、ジャーファルがいれば直ぐにそれを見付けられるのだが、彼がいないのでそう簡単に見付ける事は出来無いだろうと思った筈だ。この二ヶ月、彼がいればという事を数え切れないほど思った。そう思ったのは、自分だけでは無い筈である。一様に窶れている文官たちも思った筈である。
扉が閉まる音を聞きながら、書類の上で動かしたままとなっていた手を止めた。
(何処に行ったんだ、ジャーファル)
この国の政務官の名前は、ジャーファル。銀色の髪と黒い瞳をした彼の行方が分からなくなったのは、数ヶ月振りの休みを取った日の事である。仕事熱心な彼は無理やり休みを取らせないと休みを取らないので、その日彼が休みを取ったのは自分が無理やり休みを取らせたからである。
仕事が休みとなった彼は、その日いつもの時間に目を覚まし昼まで王宮で過ごした後、中央市へと向かったそうだ。中央市へと行くという事を彼から聞いた侍女がいるだけで無く、中央市で物を見ている彼の姿を見た者を何人か見付ける事が出来たので、ジャーファルが中央市にその日行った事は間違い無い。
その後森の方へと向かっている彼の姿を見た者を見付ける事が出来たのだが、そこからの足取りは分かっていない。
政務官の仕事が嫌になり出奔したのだという事は絶対に無い。そうでは無いと言い切る事が出来るのは、彼がそんな人間では無い事をよく知っているからだ。姿を消したのは何か理由があっての事である筈だ。しかし、その理由が何かという事はどれだけ考えても分からなかった。
(早く帰って来てくれ……ジャーファル)
ジャーファルの姿を脳裏に思い浮かべながら深い溜息を吐いた。
ジャーファルが自分にとってだけで無くこの国にとって無くてはならぬ存在である事を、ジャーファルがいなくなった事によって痛感する事になった。早く戻って来てくれなければ、文官たちが限界になってしまう。普通の人間よりも遙かに丈夫に出来ている自分も、限界がこのままではやって来そうである。
彼に早く戻って来て欲しいと思っているのは、戻って来てくれなければ困るからだけでは勿論無い。彼の事が心配であるからという理由も大きい。
ジャーファルと出会ったのは、シンドリア建国よりも遙かに前である。その時彼は、自分を狙う暗殺者であった。深い闇のような瞳が印象的な子供であった彼が自分を慕ってくれるようになる迄には、様々な出来事があった。
自分にとって彼は今、家族のような存在である。
捜索の人員を更に増やすだけで無く、捜索の範囲を更に広げた方が良いのかもしれない。今まで捜していなかった場所も捜索範囲に加える事を決意した時、部屋へと飛び込むようにしてシャルルカンが入って来た。
「王サマ!」
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
シャルルカンはマスルールと一緒であったようだ。シャルルカンにそう言うと、彼が扉を開けたままにしている入り口からマスルールが部屋の中へと入って来た。
「さっき娼館に行ってたんですが」
「それは羨ましいな」
今は既に夜中と言って良い時間である。そんな時間まで自分が仕事をしているというのに、娼館へと行っていた彼を咎めるつもりは無い。それは、咎める理由が無いからである。それでも全くその事を腹立たしく思わずにいられるほど聖人では無いので、腹立たしく思ってしまい眉間に皺を寄せてしまった。
「そこでジャーファルさんを見付けたんです!」
「ジャーファルを!」
ジャーファルを見付けたという言葉を聞いた瞬間、大声でそう言いながら椅子から腰を上げてしまった。
部屋へと飛び込むようにして入って来たので何かあったのだという事は予想していたが、まさかジャーファルを見付けたという報告を彼から聞く事になるとは思っていなかった。
「はい」
「娼館という事は国営商館の中という事だな?」
この国で娼館を営む事が出来るのは、国営商館の中だけである。国の治安が悪化する可能性があるので、その他の場所で娼館を営む事は禁止している。
過去に何度かそれを破り国営商館以外の場所で秘密裏に娼館を営んでいた者がいたが、今は国営商館以外の場所に娼館は無い筈である。そして、国営商館以外の場所で娼館を営む事が禁じられている事を知っている筈のシャルルカンが、国営商館以外の場所にある娼館へと行くとは思えない。それにも拘わらず国営商館の中にある娼館である事を確かめたのは、まさかそんな近くに彼がいるとは思っていなかったからである。
「はい」
「何故そんな所なんかに……」
国営商館の中にある娼館でジャーファルをシャルルカンが見付けた事を知り、そんな所に彼がいる筈が無いという考えから国営商館を捜索範囲から外していた事を後悔した。それと共に、何故彼がそんな場所に居たのかという事が気になった。
「記憶喪失になってるみたいでした。俺の事が誰か分かって無かったんで」
「記憶喪失……。だから出掛けたまま今まで戻って来なかったのか。それで、ジャーファルは何でそんな所にいたんだ?」
ジャーファルは成人男子である。客としてそこにいたと考えるのが普通である。それにも拘わらず、何故そこにいたのかという事をわざわざ訊いたのは、彼がそこに客としていたとは思えなかったからである。
何故そんな風に思ったのかというと、性的な事に対して彼が潔癖であったからだ。勿論、その事をジャーファルに指摘した事は無い。指摘しても認めない事が分かっていたからである。
「いえ、そこで働いてるみたいでした……」
思っていた通り客としてそこにいたのでは無い事が分かり胸を撫で下ろしていると、言い難そうな様子へとシャルルカンがなった。何か自分に言いたい事があるのだという事が分かり、言葉を促す事にした。
「どうした?」
「そこで客を取ってるみたいなんですよ……」
「ジャーファルが?」
店で働いているようであったという言葉を聞き、当然そこで普通に働いているのだと思っていた。ジャーファルが娼館で客を取っている事を知り、動揺すらしてしまう程驚いた。
「あいつはあれでも男だぞ」
作品名:【シンジャ】鳥籠の番人【C80サンプル】 作家名:蜂巣さくら