【ポケモン】いろとりどりの
「土産はないが土産話ならあるぞ」
そう言ってにかっと笑ったのは、写真家の友人だ。顔も腕も、以前に比べると髪がずいぶん薄くなった頭まで真っ黒に焼けている。口元から覗く歯ばかりが白い。私も職を変えてから力仕事や外での仕事が多くなり、焼けたという自覚はあったが、さすがに外を旅して回っている人間には適わない。重い機材を運んで山を登ることも多いらしい彼の二の腕は筋肉が盛り上がっていた。研究者上がりの私はまだまだひょろくて、少し恥ずかしくなる。
「たまにはお茶菓子くらい持ってきてもらったらありがたいんですが」
そう言いながら冷えたお茶と饅頭を出すと、そりゃすまんと返事が返ってきた。
「旨そうな土産は見たりするんだがな、いい被写体に出会うとついつい忘れてしまってなあ」
「冗談ですよ。温くならないうちにどうぞ」
勧めると友人は遠慮なしにお茶を煽った。ほんの一間に半分が消える。
「今回はずいぶんと長旅だったんですね」
「うん、カントーとジョウトを跨いでだったからなあ。大体一地方での活動が多いんだが。まあその分面白かったといえば面白かった。お前に見せたい写真も撮れたしな」
「見せたい写真?」
「ああ。これだ」
ある程度写真を選び出しておいたらしく、テーブルの上に十数枚の写真が並べられる。二色の異なる青が写り込んでいた。
「海辺の写真ですか」
泳ぎが苦手な私にはなかなか縁がないところだ。浮き輪やビーチパラソルがともすれば簡素になりがちな景色を華やかに彩っていた。写っている人間達はそれぞれが楽しそうに顔を緩ませ、或いは眩しげに目を細めていた。美味しそうに焼きそばを頬張る姿もある。首にタオルを巻いてサイコソーダを売る人間の姿もあった。
「楽しそうだなあ」
素直にそんな言葉が漏れていた。友人は違う違うと首を振った。
「そこじゃなくて」
「どこですか?」
感想を求められているのではなかったらしい。どれだったかなあ、と重なり合うそれらを掻き回してから、やっと数枚掴み取る。
「これだ」
差し出された写真を受け取る。他のものと変わらず弾けんばかりの笑顔で溢れている。海水浴を楽しむ姿を捉えたものらしく、種類の違う二つの青だけが天地を分けている。白、黒、桃色。黄色。緑もある。色が溢れるそのかたすみに。
赤い帽子。
手がびくんと震えた。
「ラプラス!」
いつかの少年と、あの子の姿。
早く泳ごうよと言いたげに少年のパーカーの裾を引っぱっている。少年は苦笑しながら、帽子の鍔を摘んで脱ごうとしているところだった。今脱ぐからちょっと待てと言いたいのか、片手であの子の額を押さえている。
思わず口元が緩んだ。微笑ましいトレーナーとポケモンの日常。
「やっぱりお前の言ってたラプラスだったか」
友人は満足げだった。
「赤い帽子の少年だっていうから、もしかしたらと思ったんだよ。どこかで見た顔だと思ったしね。今思えばテレビで見ていたからだったんだなあ」
「ええ……。確かに彼です」
友人のようによく日に焼けた肌色だった。ずっと旅を続けているのだろう。最後に見てからもう数年経つだろうか。記憶にあるより大人びた横顔だった。ああ彼も大人になったものだなあ、そう思いながら写真を一枚捲る。
あの子の水鉄砲を顔から受けて仰け反っている少年が写っていた。
その次の写真には追い掛け回されているあの子と追い掛け回しているらしい彼の姿が。
思わず噴き出す。なんだ、全然変わっていなさそうだ。
「懐かしいか?」
「そうですね、とても。私もあの子に水鉄砲を噴きかけられたことがあったなあ」
とうに忘れ去ってしまったと思っていた記憶が蘇ってくる。仕事の合間を縫って会いに行ったこと。あまりにも短い滞在にあの子が拗ねて、頭からずぶ濡れにされたこと。早く背中に乗ってと白衣の裾を引っ張られたこと。
それから。
「ああ、そうだ。こんなこともあったなあ……」
顔を擦り付けて、甘えてきたこと。
あの子の元に通い始めてから二週間ほどだっただろうか。遠慮がちだったあの子の方から近づいてきて、顔をぐりぐりと擦り付けてきた。胸の奥からあったかい感情が溢れ出てきたのを覚えている。あれからあの子は私の姿を見つけると嬉しそうに寄ってきてくれるようになったのだっけ。
最後の写真には、顔を擦り付けて甘えているあの子の姿があった。緩く抱き締める腕。本当に仕方ないやつだなあとでもいうように笑っている。紛れもない親愛の情をそこに見る。
「……よかった」
呟きが洩れた。あのときのようなあったかい気持ちだった。写真から視線を上げると、友人はにこにこと嬉しそうな面白がっているような笑顔を浮かべていた。饅頭を頬張りながらなにやら紙を寄越してくる。
「ほい、追加」
「なんですかこれ」
今度は写真ではなかった。住所と、電話番号らしき数字が並ぶ。最後には今月末頃の日付。
「その元チャンピオンの連絡先」
「へ?」
口の中のものを飲み込むと、友人はにやりと笑った。
「先日ジョウト地方からもチャンピオンが出ただろう」
「はあ」
知らないはずがない、うちの宣伝を頼んだ少年だ。歳若いチャンピオンがジョウトでも、と地方向けのニュースを中心に何度も取り上げられていたように思う。確かこの友人とも顔馴染みだったはずだ。
「その少年がシロガネ山に向かったのは知っているか?」
首を横に振った。シロガネ山はカントーとジョウトを跨ぐ山だ。雪の降り敷きる平地より遥かに力の強いポケモン達がいるため、立ち入りが制限されている。何枚も申請書を出しても立ち入り許可を受けられるのは麓まで、山を登ることができるのはリーグを制覇した者に限られる。見たことないもの見たさが骨の髄まで染み込んでいるらしく、チャンピオンになったトレーナー達は皆こぞってそこに挑戦しにいくのだという。
……揃いも揃って。
「って、まさか」
「カントーの元チャンピオンとジョウトのチャンピオンが鉢合わせしたんだよ」
まあ当然バトルだわなあ、とからからと笑った。その後も数回バトルを経て二人はずいぶん仲良くなったらしい。
「元チャンピオンにとっちゃ自転車持ちが珍しかったらしいな。その話題で盛り上がったんだそうだ。宣伝にって渡した自転車、最新モデルだったんだろ?」
頷いた。折り畳みの改良型だ。カントーでの人気を受けて作られたモデルで、当時一色しかなかったカラーも今では人気色を中心に展開されている。彼に渡したのは何色だっただろうか。確か結構きらきらした色だった気がするのだけれど。
「そのときに分かったらしいんだけどな、元チャンピオンもミラクルサイクルのお客さんだったらしいぞ」
ぱちぱちと瞬く。
お客さん。
うちの?
友人がにこにこと笑っている。そんでな、と番号の書かれた紙を指差す。
「自分で修理しながら使ってたらしいんだが、やっぱり一度きっちりメンテナンスしてやって欲しいんだそうだ。なんでも気に入りの自転車らしいからな」
気に入りの、自転車。
表情が綻んでくる。照れくさいような嬉しいような、誇らしいような。そんな気持ちが綯い交ぜになる。勿論私の与り知らぬところで作られて彼の元に渡ったものなのだが、なぜだか我が事のように嬉しい。
作品名:【ポケモン】いろとりどりの 作家名:ケマリ