∽夏の陽
月が電線に釣り上げられたように、ひっかかっている。
空を線引きしているそれが、常はどうにも気に入らなかったが、今宵の景色は面白く思えた。
竹中半兵衛は扇骨の少ない江戸扇子で扇ぎながら、ゆるりと口元を歪める。
随分と便利な世の中で、随分と情報も世の動きも目まぐるしくなったものだと思う。
あれはそのためのものだ。
目まぐるしいのは竹中にとってではない。
一般の、竹中についてこられない者にとっても、という意味でだ。
竹中様、と部屋の外から、かそけく声が呼ばわった。
幼い声に思わず眼を和らげながら振り向く。
「どうしたんだい、三成くん?」
「吉継がまた、捕まえました。」
竹中は困ったように笑む。
「またかい。皆どうして同じことをするんだろうねえ。」
宵涼みは終り、と腰を上げ、竹中は先を行く小さな背中についていく。
今は夏休みで、人が多い。
が、集めてある広座敷ではなく、少し奥まった方、子供たちが説教部屋と呼んでいる床の間へ三成は歩んで止まる。
カタン、と竹中が障子戸を開けばすぐ、足を抱えて座る吉継がいた。
逃げられないようにだろう。
部屋の三方は壁ばかりで、部屋を出るには吉継の前を通らねばならない。
竹中が子供たちを説教するときにもその位置に座るのだから、正しい判断だ。
部屋の奥には少女が一人。
露出の多いパッションピンクの洋服と茶髪。すんなり伸びた手足をした、十人並みのご面相。
けれどグロスがテカテカとしていた唇は噛み締められ、すっかり化粧も剥げたよう。
掴みあいでもしたのか、盛られた髪はぐちゃぐちゃで、ハイビスカスの髪飾りが不恰好にひっかかっている。
三成を廊下に立たせたまま片手で障子を閉め、竹中は屈んで吉継の顔を覗き込む。
彼は笑んでいた。
役に立ったと認めて欲しい、そういう笑みで。
「何があったか教えてくれるかい?」
言えば、足を崩して座っていた少女が口を開こうとする。
察した竹中は手にした閉じた扇子を少女に向けた。
眼も向けずだが、それだけで意図は通じたらしい。
喋ることは許さない、と。
あまり馬鹿でも役には立たない。
だが流されない性格の者も役には立たない。
吉継はその見極めがどうにも上手い。
あい、と幼い返事があって、子供特有の高い声が言葉を紡ぐ。
「お夕飯のおにぎりを配ったあと、喉が渇いたとコンビニに行こうとしたお姉ちゃんたちがおりました。そのうちの一人が、財布が無いと騒ぎました。このお姉ちゃんの鞄が昨日より膨らんでいるようだったので、ワレが触っておりましたら、財布が二つ出てきました。一つは無くなった財布でした。」
「他人の物を勝手に触るのはいけないことだよ?」
「あい、すみません。小さい鞄が膨らんで、苦しいクルシイと言っておるように見えました。」
「そうかい、優しいことだね。」
微笑んで竹中は吉継の頭を撫でる。
「でもいけないことをしたのは違いないから、明日は罰掃除だよ?」
「あい、ごめんなさい。」
「お姉ちゃんにも謝ろうね?」
「あい、ごめんなさいゴメンナサイ。」
少女がぎゅっと拳を握った音がした。
「ここは僕が受けたから、もう今日は三成くんと夕ご飯のお片づけをしておいで。
それが終わったら、お姉ちゃんたちにタオルケットを配って、一緒に眠ってもらいなさい。」
「あい、おやすみなさい、竹中先生。」
ニタリと笑んで、吉継が席を外す。
何かの予感がしたか、少女の顔色が薄く青褪めた。
吉継が三成の手を引いて、とたとた軽い足音を立て部屋を離れる。
それを聞きながら畳に正座した竹中は、少女を見つめて冷笑を浮かべた。
全く、吉継は親の気も知らず。
・・・十にならぬ身で豊臣のために良い仕事をしてくれる。
「こういうときは親御さんに来てもらうんだけどね。」
如何にものんびりと、けだるく重い夏の空気のように、竹中は呟く。
それを合図ととったか、少女が堰を切ったように甲高い声で喚きだす。
・・・親は呼ぶな、嵌められた、財布なんか盗ってない、此処を出て行く、きっとあの女だ、あの女が嵌めたんだ・・・
一頻り喚いたと思しきところで、竹中は苦笑する。
「君の鞄から財布が出てきたのは事実だし、嵌められたと証明することも出来ないんだろう?だとしたら警察に突き出す以外で此処を出すことはできないよ。親御さんを呼ぶのが嫌だというなら、なおさらね。」
少女の顔が一層に歪んだ。
「・・・どうしようか?仮に嵌められたのだとしても、そういう隙が君にはあったんだろうし。もしそうなら、案外、お金で解決してしまうかもしれないね。でも盗まれたっていう子も君も、お金があったら此処以外に泊まっているだろうし。」
少女の顔が竹中を見つめる。
あどけない、澄んだ瞳。ただ、無知な双眸と、満足な五体。
きっと真っ当な、正義感や責任感が並程度にはある、普通の子。
家出なんてしなければ、安穏と無責任な普通を貪っただろう少女。
「どうすればいいのか、ここで一晩考えておいて。」
そう言い置いて、竹中は部屋を出た。
もうすぐ22時を回る。
少女たちには施錠する時間だと、言ってあった時間だ。
子供たちと一緒に、広座敷で眠ってもらう時間だ。
竹中は招かれて教員をしている。
教員免許の無い身にも関わらず、是非にと乞われ先生などと呼ばれ。
身に付いた処世術と微笑だけで、何をせずとも人は好意的に受け入れてくれる。
その結果として、竹中の身分証には教育機関の職員IDがある。
指導を、という名目で、繁華街の行き場の無い少女たちを集めるに、この上ない免罪符だ。
近頃では夜回りをする、熱心な先生だと噂になっているらしい。
ああいった年頃の、ああいった場で夜を明かす少女たちは、外見や肩書きで人を判断する傾向が特に顕著だ。
まして、元々行き場が無いからこそ地べたに座ってただ時間が過ぎるのを待っている。
こんなところで夜を明かすのは良くないよ、と。
他の子も誘って一緒においでよ、と。
ちょっと気難しい子供がいるんだ、年が近い方が懐くだろうから面倒を見てくれないかな、と。
そう、声をかけて竹中が豊臣の屋敷裏から招き入れた少女は、通算でどれだけか。
そろそろ百は超えるだろう。
仮の宿として一晩過ごす者も居れば、出入りを繰り返す者、数日居座ったかと思うとふらりと消える者、それぞれに好きに利用をしている。
今は夏休みで、家出をした少女も夜遊びに出歩く少女も多い。
自然、屋敷に一時滞在する少女も増えてきている。
女が集まればすぐに派閥ができるのは、習性だろう。
ときに喧嘩も起きるが、子供が間に入っては騒ぎを転がすので怪我人が出ることもない。
が、吉継はときおり、こうやって少女たちの間に劇的な火種を撒く。
先ほどの、唇を噛んだ少女も嵌められたと言ったところまでは正解。
けれど、まさか財布を鞄に仕込んだのが、己を犯人として捕まえた子供だとは夢にも思わないだろう。
あの少女は、一晩で居なくなるタイプだろうと竹中は踏んでいたのだが。
吉継の眼に適ってしまったのが身の不運だ。
素直なこと、流されやすい性格であること、人並みの責任感があること。
その上で、更に行き場が無い、帰れないと本人が思い込んでいること。
吉継は少女たちの奥底を看破する。
これでもう、六度目だ。
空を線引きしているそれが、常はどうにも気に入らなかったが、今宵の景色は面白く思えた。
竹中半兵衛は扇骨の少ない江戸扇子で扇ぎながら、ゆるりと口元を歪める。
随分と便利な世の中で、随分と情報も世の動きも目まぐるしくなったものだと思う。
あれはそのためのものだ。
目まぐるしいのは竹中にとってではない。
一般の、竹中についてこられない者にとっても、という意味でだ。
竹中様、と部屋の外から、かそけく声が呼ばわった。
幼い声に思わず眼を和らげながら振り向く。
「どうしたんだい、三成くん?」
「吉継がまた、捕まえました。」
竹中は困ったように笑む。
「またかい。皆どうして同じことをするんだろうねえ。」
宵涼みは終り、と腰を上げ、竹中は先を行く小さな背中についていく。
今は夏休みで、人が多い。
が、集めてある広座敷ではなく、少し奥まった方、子供たちが説教部屋と呼んでいる床の間へ三成は歩んで止まる。
カタン、と竹中が障子戸を開けばすぐ、足を抱えて座る吉継がいた。
逃げられないようにだろう。
部屋の三方は壁ばかりで、部屋を出るには吉継の前を通らねばならない。
竹中が子供たちを説教するときにもその位置に座るのだから、正しい判断だ。
部屋の奥には少女が一人。
露出の多いパッションピンクの洋服と茶髪。すんなり伸びた手足をした、十人並みのご面相。
けれどグロスがテカテカとしていた唇は噛み締められ、すっかり化粧も剥げたよう。
掴みあいでもしたのか、盛られた髪はぐちゃぐちゃで、ハイビスカスの髪飾りが不恰好にひっかかっている。
三成を廊下に立たせたまま片手で障子を閉め、竹中は屈んで吉継の顔を覗き込む。
彼は笑んでいた。
役に立ったと認めて欲しい、そういう笑みで。
「何があったか教えてくれるかい?」
言えば、足を崩して座っていた少女が口を開こうとする。
察した竹中は手にした閉じた扇子を少女に向けた。
眼も向けずだが、それだけで意図は通じたらしい。
喋ることは許さない、と。
あまり馬鹿でも役には立たない。
だが流されない性格の者も役には立たない。
吉継はその見極めがどうにも上手い。
あい、と幼い返事があって、子供特有の高い声が言葉を紡ぐ。
「お夕飯のおにぎりを配ったあと、喉が渇いたとコンビニに行こうとしたお姉ちゃんたちがおりました。そのうちの一人が、財布が無いと騒ぎました。このお姉ちゃんの鞄が昨日より膨らんでいるようだったので、ワレが触っておりましたら、財布が二つ出てきました。一つは無くなった財布でした。」
「他人の物を勝手に触るのはいけないことだよ?」
「あい、すみません。小さい鞄が膨らんで、苦しいクルシイと言っておるように見えました。」
「そうかい、優しいことだね。」
微笑んで竹中は吉継の頭を撫でる。
「でもいけないことをしたのは違いないから、明日は罰掃除だよ?」
「あい、ごめんなさい。」
「お姉ちゃんにも謝ろうね?」
「あい、ごめんなさいゴメンナサイ。」
少女がぎゅっと拳を握った音がした。
「ここは僕が受けたから、もう今日は三成くんと夕ご飯のお片づけをしておいで。
それが終わったら、お姉ちゃんたちにタオルケットを配って、一緒に眠ってもらいなさい。」
「あい、おやすみなさい、竹中先生。」
ニタリと笑んで、吉継が席を外す。
何かの予感がしたか、少女の顔色が薄く青褪めた。
吉継が三成の手を引いて、とたとた軽い足音を立て部屋を離れる。
それを聞きながら畳に正座した竹中は、少女を見つめて冷笑を浮かべた。
全く、吉継は親の気も知らず。
・・・十にならぬ身で豊臣のために良い仕事をしてくれる。
「こういうときは親御さんに来てもらうんだけどね。」
如何にものんびりと、けだるく重い夏の空気のように、竹中は呟く。
それを合図ととったか、少女が堰を切ったように甲高い声で喚きだす。
・・・親は呼ぶな、嵌められた、財布なんか盗ってない、此処を出て行く、きっとあの女だ、あの女が嵌めたんだ・・・
一頻り喚いたと思しきところで、竹中は苦笑する。
「君の鞄から財布が出てきたのは事実だし、嵌められたと証明することも出来ないんだろう?だとしたら警察に突き出す以外で此処を出すことはできないよ。親御さんを呼ぶのが嫌だというなら、なおさらね。」
少女の顔が一層に歪んだ。
「・・・どうしようか?仮に嵌められたのだとしても、そういう隙が君にはあったんだろうし。もしそうなら、案外、お金で解決してしまうかもしれないね。でも盗まれたっていう子も君も、お金があったら此処以外に泊まっているだろうし。」
少女の顔が竹中を見つめる。
あどけない、澄んだ瞳。ただ、無知な双眸と、満足な五体。
きっと真っ当な、正義感や責任感が並程度にはある、普通の子。
家出なんてしなければ、安穏と無責任な普通を貪っただろう少女。
「どうすればいいのか、ここで一晩考えておいて。」
そう言い置いて、竹中は部屋を出た。
もうすぐ22時を回る。
少女たちには施錠する時間だと、言ってあった時間だ。
子供たちと一緒に、広座敷で眠ってもらう時間だ。
竹中は招かれて教員をしている。
教員免許の無い身にも関わらず、是非にと乞われ先生などと呼ばれ。
身に付いた処世術と微笑だけで、何をせずとも人は好意的に受け入れてくれる。
その結果として、竹中の身分証には教育機関の職員IDがある。
指導を、という名目で、繁華街の行き場の無い少女たちを集めるに、この上ない免罪符だ。
近頃では夜回りをする、熱心な先生だと噂になっているらしい。
ああいった年頃の、ああいった場で夜を明かす少女たちは、外見や肩書きで人を判断する傾向が特に顕著だ。
まして、元々行き場が無いからこそ地べたに座ってただ時間が過ぎるのを待っている。
こんなところで夜を明かすのは良くないよ、と。
他の子も誘って一緒においでよ、と。
ちょっと気難しい子供がいるんだ、年が近い方が懐くだろうから面倒を見てくれないかな、と。
そう、声をかけて竹中が豊臣の屋敷裏から招き入れた少女は、通算でどれだけか。
そろそろ百は超えるだろう。
仮の宿として一晩過ごす者も居れば、出入りを繰り返す者、数日居座ったかと思うとふらりと消える者、それぞれに好きに利用をしている。
今は夏休みで、家出をした少女も夜遊びに出歩く少女も多い。
自然、屋敷に一時滞在する少女も増えてきている。
女が集まればすぐに派閥ができるのは、習性だろう。
ときに喧嘩も起きるが、子供が間に入っては騒ぎを転がすので怪我人が出ることもない。
が、吉継はときおり、こうやって少女たちの間に劇的な火種を撒く。
先ほどの、唇を噛んだ少女も嵌められたと言ったところまでは正解。
けれど、まさか財布を鞄に仕込んだのが、己を犯人として捕まえた子供だとは夢にも思わないだろう。
あの少女は、一晩で居なくなるタイプだろうと竹中は踏んでいたのだが。
吉継の眼に適ってしまったのが身の不運だ。
素直なこと、流されやすい性格であること、人並みの責任感があること。
その上で、更に行き場が無い、帰れないと本人が思い込んでいること。
吉継は少女たちの奥底を看破する。
これでもう、六度目だ。