私は生きています。
私は本田菊。私は日本。私は――
『いつまでそうしているの?』
『許してほしい? 甘えるなって言ったのはお前だろ!』
『逃げないでしっかり見つめてよ、全部君がやったんでしょ!?』
私……私は……。
八月十四日の夕日が長い長い影を作る頃。
「菊ー! おみまいに来たよ、具合どう?」
玄関の方からフェリシアーノ君の声が聞こえた。聞こえはしたが、あいにく、私には答える気力も体力も残っていない。
「……菊、入るぞ。いいな?」
ルートヴィッヒさんも一緒のようだ。十秒くらいの沈黙の後、カラカラと扉を開ける音がした。
それらを無視し続けている私はと言えば、幸か不幸か朝に片づけることさえ億劫だった布団に潜り込んでぶっ倒れていた。
我ながら情けないですね、こんな無様な姿を友人にさらすことになるとは。
冷静にそんなことを考えるが、体は一向に動かない。
しばらくして部屋のふすまが開いた。と思いきや、フェリシアーノ君から悲鳴が上がる。
「菊ーっ!? えっ、ちょっと、大丈夫なの!?」
顔を向けもしないまま、私はぼそぼそと答えた。
「……心配おかけしまして、申し訳ありません……。けほ、こほっ」
きっとひどい状態なんだろう、と思いながら声を絞り出す。
「わーっ、ごめん菊しゃべんなくていいから! ルート、菊のこと看てて! 俺、お粥作ってくるっ」
部屋に入ってきたかと思えばカバンをどさっと放り投げてドタバタ家の廊下を走っていくフェリシアーノ君。ルートヴィッヒさんは私に少し待っていろと言い、タオルと水を入れた桶、そして水の入ったコップを持ってきてくれた。
「すみません、ルートヴィッヒさん」
水を息もつかずに飲み干してのどは少し復活したが、やはり大きな声は出せず、かすれ気味の声でささやく。ルートヴィッヒさんは水を絞ったタオルを私の額に乗せながら、お礼はいいと首を振った。
「お互い様だろう、この前は俺が看病してもらったんだから」
私は、はい……と力なく頷き、天井を見上げた。
時計がカチ、カチと時を刻む。あれからお互い無言のまま三十分ほどが経過していた。言葉のない空間だけど、心地悪くはない。むしろ心に溜まっていたほの暗い気持ちが彼らが来てくれたことによって流れ出し霧散していくような気がして、久し振りに私はすっきりとした気分になっていた。
ゆっくりとした足音がここに近づいてくる。フェリシアーノ君だろうか。それとも――
「ルートルート、ここ開けて、手ぇふさがってるの!」
トントンとふすまが軽く蹴られた。ルートヴィッヒさんがふすまを開けると、その向こうでお盆を持ったフェリシアーノ君が笑っていた。
「お待たせ~! 菊、お粥できたよ。ちゃんと食べればすぐ元気になっちゃうからさ、ね?」
お盆の中にはお椀が三つ。一つだけ少な目の量でお粥が盛られていた。他にも塩と梅干しもお盆の中に並んでいる。
「菊は塩と梅干しでいいよね?」
一番量の少ないお椀をそっと起きた私の前に差し出しながらフェリシアーノ君が訊いてきた。えぇ、と頷き、そっとお椀をつかむ。塩と梅干しを入れて箸でお米をすくい、口に含むと、じんわりと温かさが身体中に広がった。同時に涙があふれ出す。
「ちょっ、菊!? えっと、まずかった? 口に合わない?」
持参したのだろう、オリーブオイルとチーズをたっぷりかけたイタリア式のお粥をかき込んでいたフェリシアーノ君がオロオロと慌てる。
あれ、困らせるつもりは全くないんですが。涙が止められません。
「……すみません、大丈夫です。大変おいしいですよ、フェリシアーノ君」
にっこりとほほえんだが、それでも涙は止まらずに流れ続けている。
「菊……無理はするな。ゆっくり休め」
ルートヴィッヒさんも心配そうだ。
結局、私は泣き続けながらお粥を全て食べきった。体に染み渡っていくような梅干しの酸っぱさと、お米のほのかな甘み。――本当においしかった。
病人食だけの夕食が終わり(病人ではない彼らには物足りなかっただろう)、二人はお風呂を借りると部屋を出て行ってしまった。
こんな状態の私を放って帰ることができるような性格ではない二人だ。もちろん家に泊まっていくことになった。
夏休みもらってるし別に問題ないよー、風邪治ったら観光案内してね、とちゃっかり居座るつもりらしいフェリシアーノ君と、それはちゃんと菊の風邪が治ってから頼め、といさめるルートヴィッヒさん。とても心強いです。ありがとうございます。
二人がお風呂から帰ってくる前に、私は深い眠りについていたようだ。帰ってきたところを見た覚えがないので。
あぁ、一人で寝ている部屋は暗い。この静けさは嫌いだ。そして、なぜだろう、いつもより天井が妙に高い気がする。
天井に気を取られていると、いつの間にかふすまがひとりでに開いていた。いや、最初から開いていたのだろうか。
ふすまの向こうの廊下の奥に誰かがいる、そんな気配がする。
『……。…………。……?』
あれは誰だろう。何を言っているんだろう。
熱でぼうっとする頭のまま、私は立ち上がり廊下に足を踏み出した。
近づいてもその人の顔は暗くてよく分からない。体つきからして男のようだった。
『…………。……、……!』
近くにいてもその言葉は聞き取れない。
口らしきものの動きに意識を集中してみる。
『………………、……!』
それは、こう言っているように思えた。
お前のために死んだんだぞ、俺たちは。
闇が、迫ってくる。全ての光を飲み込もうと、私を飲み込もうと、迫ってくる。
「…………うっ、はっ、はぁっ」
悪夢にうなされて跳び起きると、寝間着は冷や汗で気持ち悪く濡れていた。
動悸のひどい心臓を押さえ、荒い呼吸を繰り返す。
息を落ち着けてから時計を見ると、午前三時になろうとしている頃だった。フェリシアーノ君もルートヴィッヒさんも隣でぐっすり寝ている。客間もあるのに、わざわざ心配してここに寝てくれたのだろう。布団で寝ることにも慣れていないのに。
「夏風邪をこじらせるとは……休息をもっと取るべきでしたかね」
少し寒気のする自分の体をきゅっと抱きしめ、完全に目はさえてしまっていたがもう一度寝ようと布団に横たわってみる。悪夢の内容は頭にしっかりと焼き付いていた。
「……っ」
後悔の念の涙が頬を伝い、布団に吸い込まれていく。
苦しい。苦しい。苦しい。
「…………さい、本当に……っ」
涙で視界がゆがむ。たくさんの白い光が宙を舞っている。
声が、聞こえた。
『お前のせいだ。全部全部お前のせいだ』
『まだ生きたかったよ、何で死ななきゃいけなかったの?』
『返してっ、私の子供を! 返して、返せ、返しなさいっ!』
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
謝ることしかできないんです。ごめんなさい。
――私は、やはりこの世にいるべきではないのですか? いなくなれば、人は救われるのですか?
白い光が動けない私の体に何度もぶつかってくる。脳を直接揺さぶられるような振動に襲われ、気絶さえできずに――
「菊っ!」
「……ぁああっ!」
『いつまでそうしているの?』
『許してほしい? 甘えるなって言ったのはお前だろ!』
『逃げないでしっかり見つめてよ、全部君がやったんでしょ!?』
私……私は……。
八月十四日の夕日が長い長い影を作る頃。
「菊ー! おみまいに来たよ、具合どう?」
玄関の方からフェリシアーノ君の声が聞こえた。聞こえはしたが、あいにく、私には答える気力も体力も残っていない。
「……菊、入るぞ。いいな?」
ルートヴィッヒさんも一緒のようだ。十秒くらいの沈黙の後、カラカラと扉を開ける音がした。
それらを無視し続けている私はと言えば、幸か不幸か朝に片づけることさえ億劫だった布団に潜り込んでぶっ倒れていた。
我ながら情けないですね、こんな無様な姿を友人にさらすことになるとは。
冷静にそんなことを考えるが、体は一向に動かない。
しばらくして部屋のふすまが開いた。と思いきや、フェリシアーノ君から悲鳴が上がる。
「菊ーっ!? えっ、ちょっと、大丈夫なの!?」
顔を向けもしないまま、私はぼそぼそと答えた。
「……心配おかけしまして、申し訳ありません……。けほ、こほっ」
きっとひどい状態なんだろう、と思いながら声を絞り出す。
「わーっ、ごめん菊しゃべんなくていいから! ルート、菊のこと看てて! 俺、お粥作ってくるっ」
部屋に入ってきたかと思えばカバンをどさっと放り投げてドタバタ家の廊下を走っていくフェリシアーノ君。ルートヴィッヒさんは私に少し待っていろと言い、タオルと水を入れた桶、そして水の入ったコップを持ってきてくれた。
「すみません、ルートヴィッヒさん」
水を息もつかずに飲み干してのどは少し復活したが、やはり大きな声は出せず、かすれ気味の声でささやく。ルートヴィッヒさんは水を絞ったタオルを私の額に乗せながら、お礼はいいと首を振った。
「お互い様だろう、この前は俺が看病してもらったんだから」
私は、はい……と力なく頷き、天井を見上げた。
時計がカチ、カチと時を刻む。あれからお互い無言のまま三十分ほどが経過していた。言葉のない空間だけど、心地悪くはない。むしろ心に溜まっていたほの暗い気持ちが彼らが来てくれたことによって流れ出し霧散していくような気がして、久し振りに私はすっきりとした気分になっていた。
ゆっくりとした足音がここに近づいてくる。フェリシアーノ君だろうか。それとも――
「ルートルート、ここ開けて、手ぇふさがってるの!」
トントンとふすまが軽く蹴られた。ルートヴィッヒさんがふすまを開けると、その向こうでお盆を持ったフェリシアーノ君が笑っていた。
「お待たせ~! 菊、お粥できたよ。ちゃんと食べればすぐ元気になっちゃうからさ、ね?」
お盆の中にはお椀が三つ。一つだけ少な目の量でお粥が盛られていた。他にも塩と梅干しもお盆の中に並んでいる。
「菊は塩と梅干しでいいよね?」
一番量の少ないお椀をそっと起きた私の前に差し出しながらフェリシアーノ君が訊いてきた。えぇ、と頷き、そっとお椀をつかむ。塩と梅干しを入れて箸でお米をすくい、口に含むと、じんわりと温かさが身体中に広がった。同時に涙があふれ出す。
「ちょっ、菊!? えっと、まずかった? 口に合わない?」
持参したのだろう、オリーブオイルとチーズをたっぷりかけたイタリア式のお粥をかき込んでいたフェリシアーノ君がオロオロと慌てる。
あれ、困らせるつもりは全くないんですが。涙が止められません。
「……すみません、大丈夫です。大変おいしいですよ、フェリシアーノ君」
にっこりとほほえんだが、それでも涙は止まらずに流れ続けている。
「菊……無理はするな。ゆっくり休め」
ルートヴィッヒさんも心配そうだ。
結局、私は泣き続けながらお粥を全て食べきった。体に染み渡っていくような梅干しの酸っぱさと、お米のほのかな甘み。――本当においしかった。
病人食だけの夕食が終わり(病人ではない彼らには物足りなかっただろう)、二人はお風呂を借りると部屋を出て行ってしまった。
こんな状態の私を放って帰ることができるような性格ではない二人だ。もちろん家に泊まっていくことになった。
夏休みもらってるし別に問題ないよー、風邪治ったら観光案内してね、とちゃっかり居座るつもりらしいフェリシアーノ君と、それはちゃんと菊の風邪が治ってから頼め、といさめるルートヴィッヒさん。とても心強いです。ありがとうございます。
二人がお風呂から帰ってくる前に、私は深い眠りについていたようだ。帰ってきたところを見た覚えがないので。
あぁ、一人で寝ている部屋は暗い。この静けさは嫌いだ。そして、なぜだろう、いつもより天井が妙に高い気がする。
天井に気を取られていると、いつの間にかふすまがひとりでに開いていた。いや、最初から開いていたのだろうか。
ふすまの向こうの廊下の奥に誰かがいる、そんな気配がする。
『……。…………。……?』
あれは誰だろう。何を言っているんだろう。
熱でぼうっとする頭のまま、私は立ち上がり廊下に足を踏み出した。
近づいてもその人の顔は暗くてよく分からない。体つきからして男のようだった。
『…………。……、……!』
近くにいてもその言葉は聞き取れない。
口らしきものの動きに意識を集中してみる。
『………………、……!』
それは、こう言っているように思えた。
お前のために死んだんだぞ、俺たちは。
闇が、迫ってくる。全ての光を飲み込もうと、私を飲み込もうと、迫ってくる。
「…………うっ、はっ、はぁっ」
悪夢にうなされて跳び起きると、寝間着は冷や汗で気持ち悪く濡れていた。
動悸のひどい心臓を押さえ、荒い呼吸を繰り返す。
息を落ち着けてから時計を見ると、午前三時になろうとしている頃だった。フェリシアーノ君もルートヴィッヒさんも隣でぐっすり寝ている。客間もあるのに、わざわざ心配してここに寝てくれたのだろう。布団で寝ることにも慣れていないのに。
「夏風邪をこじらせるとは……休息をもっと取るべきでしたかね」
少し寒気のする自分の体をきゅっと抱きしめ、完全に目はさえてしまっていたがもう一度寝ようと布団に横たわってみる。悪夢の内容は頭にしっかりと焼き付いていた。
「……っ」
後悔の念の涙が頬を伝い、布団に吸い込まれていく。
苦しい。苦しい。苦しい。
「…………さい、本当に……っ」
涙で視界がゆがむ。たくさんの白い光が宙を舞っている。
声が、聞こえた。
『お前のせいだ。全部全部お前のせいだ』
『まだ生きたかったよ、何で死ななきゃいけなかったの?』
『返してっ、私の子供を! 返して、返せ、返しなさいっ!』
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
謝ることしかできないんです。ごめんなさい。
――私は、やはりこの世にいるべきではないのですか? いなくなれば、人は救われるのですか?
白い光が動けない私の体に何度もぶつかってくる。脳を直接揺さぶられるような振動に襲われ、気絶さえできずに――
「菊っ!」
「……ぁああっ!」