私は生きています。
体が跳ね上がる。恐る恐る辺りを見回すが、白い光はどこにもいなかった。窓の外は太陽が高くに昇っているようで、とても明るい。
「夢、ですか」
ほっと胸をなで下ろし、全身にこもっていた力を抜いて布団に体を埋めた。
「菊、大丈夫? 随分うなされてたけど……」
思考にふけっていた私の顔をフェリシアーノ君が不安げにのぞき込む。
「えぇ、平気です」
極力心配させまいと、私は笑みを浮かべ、しっかりとうなずいた。
――私は存在していていいのだろうか。生きていてもいいのだろうか。
その答えは見つからない。
「菊、もう昼になるが……何か食べられるか?」
「はい……」
一晩ぐっすりと寝たおかげだろうか、寒気は消えていた。
「またお粥でいいかな? 俺、日本の病人食ってあれ以外知らないんだ」
「構わないです……」
そうして再び食べたお粥は、やっぱりおいしかった。フェリシアーノ君は否定的だったが。
「ヴェー、菊、それ味なくない?」
「え? いえ、十分酸っぱくてしょっぱいですが」
塩と梅干し入れてますし。
「俺、それは無理だなー。やっぱりオリーブオイルとチーズは欠かせないよ! 入れてみる?」
「それは胃がもたれそうなので遠慮します……」
やはり欧米文化は複雑怪奇なようです。
「だからね、ルートの家の車と俺んちの車をがしゃがしゃっと組み合わせたらすごいのができると思うんだ!」
「基礎構造が違うだろう! 一つ一つすりあわせない限り無理だ!」
「えー、でも……」
「無理なものは無理だ! どうしてもやりたいのなら会議を何回も重ねてだな――」
「できるよー、だって俺、ルートの車改造できるもん!」
「改造と合体は違う! というよりも、それ以前に改造した車は大抵使い物になってないだろう!?」
二人のたわいもない話を聞きながら、私は考えていた。
自分がいる意味と、いなくなった時何が起こるのかを。
自分はここにいるべき存在なのか。いない方がいいなんて、思いたくはなかった。生まれてきたことに意味はあるのだと、そう信じて生き続けてきたのだから。
「ヴェッ、もうこんな時間だ!」
フェリシアーノ君が驚いて声を上げる。外は日が落ちようとしていた。
「さて、少し外に出ましょうか」
よいしょ、と私は立ち上がる。
「駄目だよ、菊は休んでなきゃ!」
「まだ熱も下がりきってないんだぞ?」
二人はそう言ったけれど、私にはやらなければいけないことがあった。
「お二人は今日がどんな日か分かります?」
首を傾げる二人に、私は言った。
「今日は送り火をやる日なんです。おととい天国から帰ってきたご先祖様の魂を帰すためにその道しるべとなる煙を起こしてあげる行事です。私にご先祖はいませんが……」
少し悲しいことだけど、私は人間ではない。仕方ないのだろう。
「というわけです。やりましょう、送り火を」
日の落ちた玄関先から天へ向かって、煙が立ち上っていく。
「何か、綺麗だね」
フェリシアーノ君がほんのりとほほえむ。その目には涙が光っていた。
「じいちゃん……この煙見えるかなぁ」
そうだ、彼には先祖がいたのだ。家族を失うというのは、一体どんな気分だろう。
家族のいない私には、分かりません。
待てよ、もしかすると、王耀さんは家族だろうか? いや、家族とはどこか違う気がする。どちらかと言えば、師匠と弟子の関係ではないだろうか。
首をひねって考えてみるが、誰もしっくり来ない。どんな国も私の家族ではないのだろか。
やはり、分からない。家族という存在を真の意味で理解できない。
「何だ、あれは……?」
ルートヴィッヒさんの声にはっと顔を上げると、
《本田さん……いえ、日本さん。お久しぶりですね》
上に流れていた煙が下の方に色濃く漂い、人の形を取っていた。煙の人影は性別さえ分からなかったが、その声には聞き覚えがある。こんな形で会うことになるとは思わなかった。
「貴一さん……」
彼の顔をまっすぐ見ることなんてできるわけがない。私は両腕をわななかせ、彼の足下をじっと見つめていた。
《顔、上げてもらえません? あなたの顔を見ながら話がしたいです》
その言葉に恐る恐る顔を上げると、彼は優しげに笑っていた。
《私の名前、覚えててもらえたんですね。忘れられたものだと思ってました》
「わ、忘れるだなんてそんな! 私があなたを殺したようなものなのに……!」
「えっ、菊、どういうこと!?」
私の不穏な言葉に、フェリシアーノ君が驚いて騒ぎ出した。私はそんな彼を直視できず、目をそらしたまま答える。
「彼は第二次世界大戦の犠牲者の一人……回天の志願兵です」
枢軸の二人はその一言で大体の意味をつかんだらしい。少なくとも、その核心は。
「回天って何の部隊だ?」
ルートヴィッヒさんは眉をひそめる。
《回天っていうのはかの神風特攻隊の潜水艦版と言いますか……。魚雷に人間が乗り込み、敵の母艦に当てるものです。もちろん成功しようとしまいと中の人は亡くなります。私は失敗して死にました。でも、後悔はしていません》
本当に後悔していないのだろう、彼は屈託なく笑っていた。
「フェリシアーノ君が降参し、ルートヴィッヒさんが負けを認めてもなお、私は戦い続けた。国民たちに『お国のため、お国のため』と言わせ、たくさんの犠牲を強いて……! 国民の気持ちを私は置いてきぼりにしたんです、彼らをないがしろにしてまで求めるべきものなど何もないのに! 戦争が終わってこれだけの時間が経ってもまだ戦禍に苦しんでいる人がいるのは、全て私のせいなんです!」
いつから狂ってしまったのだろう。当初は国民たちの生活がもっと良くなることを祈って始めた戦争ではなかったか。
私が自問自答を繰り返す中、彼は昔のことを語っていた。私が生前の彼と会った時のことを。
《私が死地に向かう直前、あなたが訪ねてきたんですよね。日本の化身だと聞いた時は心臓が止まるかと思いましたよ。どうしてこんな一兵卒の元に来たのか、という疑問もありました。実は今でも分かりません》
フェリシアーノ君とルートヴィッヒさんは貴一の話に聞き入っていた。
《死ぬのは怖くないのか、と尋ねられて私は怖くないとは言えなかった。死ぬのは怖い。けれど、ここで私が命を捨てなかったらもっと恐ろしいことが起こると思ったんです。だから、回天に乗れば死ぬと知った今でも志願した気持ちは変わらない……確か、そう言いましたよね》
生きていた頃を懐かしむかのような声色。分かりません、私には。あなたがどうしてそうやって死を選べるのか。
「一つ訊かせて下さい、自分が死ぬことより怖いことって何ですか?」
私の疑問に、彼はふっと笑った、ような気がした。
《私の場合は、幼い自分の子供と妻、妹や母が死んでしまうことですね。彼女たちが死ぬくらいなら自分が死んでやる、そう思っていました。私には彼女たちが生きていてくれることが何よりも重要だったんです。自分の命よりも》
「子供や妹、母が大切なのはやはり家族だからですか? 私には家族がいない、だからあなたの気持ちがどうしても理解できないんです」
私の素直な気持ちの吐露に対し、彼はおかしなことを言い出した。