恋心ごと喰らい尽くして
ほんとに、本当に好きだったんだ。
馬鹿みたいに想って、戸惑うぐらい愛して、呆れるぐらい恋をしていたんだ。
手に入れたくて、あの手に触れてもらえたらそれだけで、・・・・ううん、もっともっとあの人が欲しかった。
叶わないと知っても、それでもと想う自分が居たんだ。
(あ、)
帝人は自分が居る歩道の反対側、道路を挟んだ向こうに長身の金色の頭が見えた気がして思わず振り返る。
しかし目を凝らしても、埋もれたのかそれとも気のせいだったのか、再度視界に納めるのはできなかった。
「どうかしたのかい?」
斜め上から降ってきた声に、帝人は今度はそちらを振り返る。
右目に一筋の傷を深く刻んで、杖を付いた。明らかに堅気では無いファッションが馴染みすぎて違和感が無いのが逆に違和感という男が「やあ」と朗らかに帝人へと挨拶をした。
「何か面白いもんでも見つけた?」
「あ、いいえ、別にそんなんじゃないです。・・・・えっと、こんにちは、赤林さん」
「はい、こんにちは。学校帰り?早いね」
「今日は授業が午前中までだったんです」
一見すれば、ヤクザが平凡な男子高校生に絡んでいるように見えるだろう。あまりにも共通点の無い二人が顔を合わせ、親しく会話をする姿は都会でも異質で、すれ違う人が皆ちらりと視線を向けながら横を通り過ぎて行く。
その視線にけして鈍くは無い帝人はちょっと困ったように笑う。その笑みに気付いた赤林もまた苦笑して、視線を避けるように、歩道の真ん中からビルとビルの隙間にある路地に帝人を誘導してくれた。
纏わりつく視線が遮られたことに、帝人は無意識に安堵の吐息を零す。
「いやぁ、配慮が無くてすまんかった」
「僕こそ、気を使わせてしまって・・・・」
「制服姿で、俺と接触している姿はあまり見られたくないもんなぁ」
「・・・・そうですね」
赤林は帝人がダラーズの創始者であり、ブルースクウェアの総長であることを知っている。それを前提として、帝人に接触してきたのだから当然なのだが。
青葉などは特に警戒をしていて、帝人にも警告をしていた。当たり前だ、赤林は栗楠会の一員、しかもそれなりの地位にある人間だからだ。
しかし、帝人は彼が自分に近づくのを特に咎めもせず、また逃げもしなかった。
恐ろしいという気持ちはもちろんある。しかし、それ以上に男に、男が持つ非日常の背景に惹かれたのだ。ここまでくると最早病気だなと帝人は自覚しながら笑うしかない。
男はさすがに強かった。
日常的に杖を付いて、何より片目というハンディがありながらも、其処ら辺に居る不良なんて赤子を捻るかの如く、圧倒的な戦闘力の差を帝人に見せつけた。
目を付けられた恐ろしさの反面、高揚する気持ちが帝人の心に湧き上がる。
強い、凄い、こんな人がダラーズに入っていた、怖い組織の人だけど、今はダラーズに居て、僕の力になってくれているんだ。
―――ダラーズを去ったあの人よりもずっと、
ぎしり、と何かが軋む音がしたような気がした。
「気分でも悪いのかい?」
耳元で囁かれた声に意識が衝撃のように戻ってくる。
「さっきからぼーっとしてるけど、寝不足かな?また夜遅くまでパソコンでもしてたのかい?それともダラーズ内部で何か、・・・・っておいちゃん、さっきから質問してばっかだねぇ」
「す、すみません」
「いやいや、謝るもんじゃないさ。ただおいちゃんも心配してんのよ、君のこと」
「心配、ですか?」
「そう。我らがダラーズのボス様は人一倍頑固で意地っ張りで無茶しいだからね」
「……ダラーズにボスはいませんよ。それに僕はそんな無茶じゃ」
「腕っ節が弱いくせに前線出て殴られて気絶するのに?」
「うっ・・・・」
「やんちゃもいいけど、周りのことも考えてくれよ」
「・・・・善処します」
ため息を吐いた帝人の頬を赤林は「頼りない返事だなぁ」と軽く抓った。それを手でいなしながら、先よりも大分心が軽くなったことに気付き、帝人は(ああ、まただ)と思う。
故意か善意かわからないけれど、最近は重く沈みがちの帝人の心情を察して、赤林はこうして何でもないような言葉であえて軽く言うことで帝人の心を引き上げてくれる。
栗楠会の看板を背負う一人の彼がどうしてダラーズに入り、帝人に接触したかは、初めて顔を合わせた時から気付いていた。監視、その言葉がきっと一番合っているだろう。
それでも帝人は彼が傍に在ることを認めている。何故かは知らない。きっと何時かはこの事が自分の首を絞めるかもしれない。怖いなとも思う。
でも、赤林との居る時間は好きだなとも、想うのだ。
何より、頬を、髪を、撫でるその大きな手が、あの人に似ているから。
帝人は瞼を伏せる。
想うのは、誰よりも強く、誰よりも気高い孤高の獣。
その手が存外人に優しくそして不器用に触れることを教えてくれて、本当はとても臆病で繊細なところも見せてくれた。
帝人に「細いんだからもっと食え」と言って、到底食べきれそうにないご飯を奢ってくれたり、他愛のないお喋りに時間が過ぎるのを忘れたり、そんなどうってことのない日常をどこか噛み締めるように「こういうのいいな」と呟いた、優しくて強くて格好良くて、ああけどあの日ダラーズを、『帝人』を捨ててしまったあの人は今何をしているのだろう。
雑踏に溶けてしまいそうなちっぽけな存在でしか無い帝人のことなど、とうに忘れているのかもしれない。
忘れて、帝人なんかよりももっと綺麗で、もっと彼に相応しいほど純粋で、彼の傍にいれるくらい強い人と笑い合っているのかもしれない。
良い事じゃないかと思う。
だってずっとずっと傷ついて生きてきた人だ。
そろそろ幸せになってもいい人だ。
ダラーズから、自分から離れたことが彼の幸せに繋がるなら良いじゃないか。
そう思えるくせに、それでも、僕に気付いてくれたなら目の前に来てくれるんじゃないかと想う自分が酷く惨めで。
(だって、)
言い訳のように帝人は心の中で繰り返す。
(だって、本当に好きだったんだ)
「いけないねぇ、帝人君」
「・・・・え、」
男の大きな掌が顎の輪郭を撫で、頬を滑り、顔を覆うに包んだ。
たった一つだけしかない眸から弾丸のように鋭い視線が帝人を貫く。
「今、君の隣にいるのは誰だい?」
こくり、と唾を飲み込む。恐れではない。悪いことを咎められてしまった、罪悪感のような、知られてしまったという焦燥感にも似た気持ちが帝人の胸を支配した。
否、知られていたんじゃない。この人は知っていたんだ。
帝人が本当は誰を想って、誰を愛して、誰に恋を捧げているのか。
知っていながら、帝人の傍に居たのだ。
「あ、赤林さん、僕、」
「言い訳は良い」
叩きつけるように強く言われ、帝人の身体がぎくりと強張った。
近すぎる距離のせいで、焦点を失い輪郭が定まらない彼の顔を見つめ、帝人は(ああ、この人は怒っているんだ)と悟る。
普段の飄々とした面の下に、肉食獣の牙をうすらと垣間見せて、赤林は帝人を今にも喰らいつかんばかりに見据えた。
そこにある執着に、帝人の蒼い眸が見開いた。
その感情が持つ意味を、帝人はよく知っていたから。
この人は、本気で僕を、
作品名:恋心ごと喰らい尽くして 作家名:いの