沈黙の復讐者
罪から逃げられるものなどいはしない。
罪を誰かに着せたように見せかけることはできる。だが、その罪それ自体が消えてしまうことなどないのだ。
今まで何人もの有罪者をこの手で生み出してきたが、今更ながら自分がやってきたことがあまりに無意味だと気付いた。
表面を完璧主義者の鎧で覆ったところでその思いは変わらない。
そう、私の罪は身体のうちで、いつも私を見つめているのだ。
そう、私の罪を誰かに被らせても、それは同じだった。まるで見えない鎖のように、次第に私をむしばんでいく。
The Silent Avenger
「・・・くっ・・・・カルマ・・・!」
私の目の前に一人の弁護士がいる。名前などわからない。もっともわかったところで覚えてやる気もしない。そうだ、私のなかで「弁護士」といったら一人しかいない。その男は私に罪を与えたただ一人の男だ。
有罪か冤罪かそれこそ私の知るところではないが、被告人は判決の通り、司直室に連行されていった。私は、書類をまとめ、法廷を後にする。弁護士の隣を通りかかったとき、私と弁護士の視線がかち合った。
負けることを知っている目だ。その眸は、被告を守りきれなかった痛みでふるえている。黒目がちの眸に、私に対する明らかな敵意が覗いている。それに、私の冷たい眸が絡む。
「あんたは・・・・化け物だ。法廷に住み着き、人を喰らう化け物。40年も負けなかったなんて人間の業じゃないよ。」
弁護士の眸には怒りとともに、畏怖の表情も混ざり込んだ。
私はわずかに唇の端だけをゆがめて笑った。
確か、あの弁護士もあれくらいの黒い眸だった。黒縁の理知的な眼鏡の奥で輝く、常に正義しか知らない無垢な子供のようなそれに、私は畏怖の念さえ感じたものだ。事実としては有罪をもぎ取ったが、いつものたたきのめした、というある種の感覚がわき起こらない。逆に、何か恐怖のようなものが私を満たした。それは、私の中で時間がたつにつれてふくれあがり、どうにも抑えきることが出来なくなっていった。
そして、私はその恐怖に導かれるように、運命を感じ、あの男を殺したのだ。
あの男を殺したときに感じたのは、達成感などでも、自分の『敗北』を無に帰した喜びでもなく、予想外にも「喪失感」だった。私は何を失ったのだろうか?あの日から自問しているが、一向に答えがわからない。しかし、喪失感は未だに私の中で巣くい続け、私を駆り立てる。何に駆り立てられているのかも、わからぬままに。
そして、『何か』を失った私に残されたのは、一発の弾丸が食い込んだ肩の傷だった。あのエレベータ内で何が起こったのか。その真実らしき一片を、私はあの男の息子から聞き出した。彼は何も知らず、ただ闇の中を救いを求めて歩き回るこどもに過ぎなかった。
少しも疑っていない顔で、父親を殺した男の目の前に跪き、教えを乞う。もっとも、彼自身は私があの男を殺したなどとはつゆほども思っていないだろう。あまりに未熟なその自我を揺らがせ、闇の中から必死で救いを求めていたこどもに、真実など見えるはずもない。彼は実際のところ、罪を憎み盲目的に私に従ってきた。あの男とは、全く違うこの道に。
頭の中で自由に思考を遊ばせながら、私は15年前とあまり代わり映えのしないエレベータに乗り込んだ。無機質な箱が私を運ぶ。少々不快な浮遊感とともに、音もなくそれは降下していった。パネルの数字が、徐々に減っていく。
あの男、御剣信はここで最期を迎えた。
小さな箱の中で起こった謎の事件は、霊媒を行ってさえ、真実には近づけなかった。あの男は滑稽にも自らの息子に殺されたと思いこんでいたようだ。全く馬鹿馬鹿しいにも程がある。私が殺してやったというのに。
エレベータが地階に付く。それが止まるときの妙な重圧感が、私は嫌いだ。まるで地に縛り付けられるような圧迫感、それが自然の法則とはいえ許し難い。
ゆっくりとした動作でドアが開いた先に見えたのは、あの男の面差しを宿す、若い男だ。あの時、父親を守ろうとして守れなかった哀れなこどものなれの果て。何もかもを失ったそのこどもはまるでスポンジのように私の思想を理解し、あっけないほど簡単に私の色に染まっていった。狩魔の「完璧主義」さえ、あの男の血が嘘のように実行して見せた。少なくとも表面上は。
滑稽だ。・・・・・これは喜劇か、それとも見る価値もない3文オペラか?
私はそんな思いつきに一人唇の端をつり上げて嗤った。
あの男の子供が法廷にデビューし「天才検事」と呼ばれたその瞬間、私は「喪った」と思ったものを急速に回復したように感じた。しかし、やはり喪ったものが何かはわからない。
そのこども・・・・・御剣怜侍はドアの向こうに見えた私を見ると、畏怖の念を眸に宿した。そしてこぼれ落ちるように私の名前を呼ぶ。
「・・・・・狩魔、先生・・・・。」
私はことさらゆったりと彼に近づくと、威圧するように彼を見据えた。背後ではエレベータのドアが閉まる気配がする。
「御剣検事か。・・・・・この前はどうしたというのだ。2度も敗北を帰したそうではないか。・・・・・よもや我が輩の教えた事を忘れた訳ではあるまい?」
「いえ、忘れるなど・・・・・。」
私の尋問ともとれる位の口調に、怜侍は、自分自身を抱くように腕を組み、どこかつらそうにしていた。言葉尻が気弱にすぼんでいく。
最近この子供の様子がおかしい事は知っていた。2度の敗北は確か同じ弁護士にしてやられたのだという。名前など知らないが、まだ法廷にデビューしてから日も浅い、新米中の新米だったらしい。全く親子そろって何を考えているのか皆目わからない。私のクローンのごとく黒い検事を目指したと思えば、今度は同じ弁護士に2回も徹底的にたたきのめされ、情緒さえも揺らいでいる。終いには検事の則を踏み越え、その弁護士と一緒に被告の無罪を信じていたような節もある。
やはりあの男だ。いつもあの男は私をあざ笑うように、私を否定する。
私は少々自嘲的な気分に成りながら、怜侍に言った。
「お前は何をしたいんだ。・・・・同じ人間に2度もたたかれおって。いいか。次はない。次こんな事が起こったなら、我が輩はお前を2度と弟子とは認めんからな。」
怜侍は、その言葉を聞くと、捨てられた犬のような目をした。無理もない。いわば新たな父親のようなものに、否定されたのと同じ事だ。
あの男の因子を抱えたまま、私の魂を宿した可愛い子、だが所詮は私の復讐の道具に過ぎない。そう、私が殺してやった、あの男への。
だがしかし、不思議な事にいつの頃からか私は彼を切り捨てることが出来なくなった。狩魔の掟を守ることが出来ないものを切り捨てることなど、以前の私であれば簡単だったはずなのにもかかわらず、今、このこどもに対してだけは出来ない。それは、私という存在を定義づける『完璧であること』それ自身を否定するものであるのにも関わらずだ。完璧でならなければならないはずが、これほどまでに不完全だ。