家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。
家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。
「最近、晁蓋殿が軍営にばかり出入りしていて帰って来ないんだが」
「ここはいつから相談所になったのだ、呉用殿?」
診療所で向かい合っているのは、呉用と安道全である。
「いやさ、師匠が最近悩んでるみたいだったから、とりあえず連れてきてみたんだけど、駄目だったかな」
「阮小五、お前が何を勘違いしているのかは知らんが、ここは私の可愛い病人、怪我人が助けを求めて集まる、神聖な診療所だ。便利ななんでも相談所ではない」
「そこをなんとか」
「で、それを相談してどうしようと言うのだ」
「晁蓋殿が帰ってくるような薬を処方して欲しい」
「馬鹿かお前は、馬鹿なのか?」
「二回も馬鹿って言わなくたっていいじゃないか」
「先生、とりあえず師匠を立ち直らせる薬を下さい」
「そんなものはない」
はあ、と溜息を吐く。
「私の手に負える話ではないな。とりあえず、梁山泊中の夫婦にでも話を聞いて、どうやって家に帰らせているか聞けばいいんじゃないか」
傍から見ていた白勝と阮小五は、安道全が面倒臭くなって他人に丸投げしたんだな、と見ていたが、呉用はそう思わなかったらしく目を輝かせて安道全の手を取った。安道全はぎょっとして凍り付く。
「ありがとう、安道全。あなたは本当に名医だな。行くぞ、阮小五。まずは二竜山の秦明だ」
ものすごい早足で呉用が消えて行く。阮小五は頭を下げながらそんな師匠の後に付いて行った。白勝と、硬直したままの安道全だけが残された。
「安先生たら、本当に名医」
「やめろ、虚しくなる」
「は?なぜ公淑の元へ帰るのかだと?どうしたというのだ、呉用殿」
「是非、参考に聞きたいのだ」
「それは、その、何と言うか、愛すべき妻が待っているのなら可能な限り顔を見せてやりたいと思うものではないのか」
「つまり、愛あればこそ、と?」
呉用が復唱すると、秦明は唇を噛んで赤面した。
「まあ、そういう、こと、だ」
「じゃあ、裏を返せば愛がないと帰ってこないということか?」
「え、うむ、それは、むいって」
口ごもった秦明の脹脛に花栄の鋭い蹴りが入って秦明は蹲った。
「そんなことはありませんよ、呉用殿。どんなに愛があっても、いえ、愛あればこそ、梁山泊のことを誰よりも憂いているあなたを助ける為に働いているのですよ。あなたにどんなに会いたくても、あなたを愛した分だけ仕事が滞っては不幸でしょう。それに、会わないことで育つ愛もあるのですよ。それを鑑みて下さいね」
呉用の手を取り、息が触れるほどの間合いで熱弁する花栄。思わず、呉用も気圧される。
「そ、そうなのか、花栄?」
「ええ、勿論ですとも。私を信じて下さい」
眩しいほどの笑顔は、開封の人妻たちが放っておかないような溌剌とした見事な笑顔だった。
「分かった、ありがとう花栄」
「どういたしまして」
そう言って呉用は立ち去って行く。
「か、花栄。何をするんだ」
「将軍、その鈍感なところもあなたの魅力ですけれど今ばかりは良くなかったんですよ。呉用殿はほぼ確実に晁蓋殿のことについて相談しに来てたんです。そこで、愛がなければ帰って来ない、なんて言ったらどうなっていたと思いますか」
呆れ果てた溜息混じりに花栄が説明すると、秦明は心底感心したように溜息を吐いた。
「なるほどな、本当に花栄は敏いな。お前が副官で本当に助かるよ」
「奥さんが出来ても、将軍のことを一番知っているのも一番頼られるのも私の仕事ですから」
「え」
「しかし、花栄はああ言ってももう少し色々な資料が欲しい所だなあ。一応、盧俊義の所にも行って話を聞いておこうか」
「そうですか、しかし今日、盧俊義殿は梁山泊に来ている筈ですが?」
「そうなのか?と、あれは」
呉用が目を止めたのは、朱武である。
「おや、呉用殿」
「朱武か。どうした、こんな所で」
「いや、ある程度調練の済んだ兵がいたから、二竜山に送った所だ」
「そうか、ご苦労様」
「いえいえ」
呉用の目が、何かを思い付いたように光ったのを阮小五は見逃さなかった。しかし、阮小五が口を挟むより早く呉用は切り出していた。
「お前の所の史進、どうやって家に帰らせているんだ?」
すると、朱武は草臥れたような顔になってしまった。
「どうもこうも、帰って来やしねえよ」
「何だと?お前もか」
「呉用殿」
がしっ。
何か通じるものがあったのか、二人は固く手を取り合った。
「で、何故帰って来ないのか、心当たりはあるか?」
「まあ、外の世界が楽しいんだろうさ。見慣れちまった少華山なんかに閉じ込められるより、外の広い世界で遊び回っていたい年頃なのさ」
「つまり、帰らないのは少華山がつまらないから?」
「だろうさ」
呉用も、朱武に負けず劣らず落ち込んでしまった。
うちに帰って、兄や弟と焼き魚を食べたいなあ。
阮小五はそんなことを思いながら、青空を見上げていた。
「つまり、私に魅力がないから晁蓋殿が帰って来ないということか」
「そんなことはないと思いますよ」
半ば投げやりに阮小五は師匠を慰めた。
「別に普段から喧嘩してる訳でもなし、もっとご自分に自信を持たれて下さいよ」
「喧嘩?」
「へ?」
「それだ、阮小五」
「何が」
「林冲と公孫勝だよ。あの二人はどんなに喧嘩しても結局元の鞘じゃないか。あの秘訣を聞けばいいんじゃないか」
秘訣も何も、あの二人は事例が特異すぎて参考にはならないだろう、と心の中で叫んだものの、それを口に出すだけの元気はもはや阮小五には残されていない。
「ああ、いいですねえそれ。名案ですよ、流石師匠」
「そうと決まれば、あの二人を探すぞ」
中華一の俊足をもつ騎馬隊総隊長と、神出鬼没の致死軍総隊長の二人組とは、寄りにも寄って探す時に最悪な二人がくっついてくれたものだ。
日はまだ高い。この日が見えている間に、あの二人を見つけられたらいいなあ。
阮小五は生まれて初めて、雲になりたいと心底願った。
「疲れた」
呉用が青い顔で蹲った。朱武と別れて一刻も経っていない。しかし、元々体力なんておまけ程度にしか持ち合わせていない軍師の師匠にとって今日の移動量はあり得ない距離だ。
「大丈夫ですか、師匠」
「やはり、あの二人を見つけ出すのは至難の技だな」
まだ探し出して五分も経っていないのに。
根を上げるのが早すぎる師匠だ。
「ちょっと、木陰で休んでくる」
そう言って、呉用は近くの茂みに向かってふらふらと歩いて行き、そのまま茂みに躓いて頭から茂みの向こうに消えて行った。
「ちょ、師匠、大丈夫ですか」
茂みを分けて見ると、そこには頭から転んで無様な格好をしている師匠と、半裸で抱き合ったまま凍りついている某総隊長二名がいた。
ああ、ここに雷が落ちてこの三人を焼き払ってくれないかなあ。
阮小五は、人を呪うことを覚えた。
「全く、探したぞ、公孫勝に、林冲」
「え、は?」
「ちょ、呉用殿、済まな」
「ちょっと相談に乗って欲しいのだ」
「いやあの、ごよ」
「頼む、真剣な悩みなんだ」
「待っ」
「聞いてくれ」
「その」
「じゃあ終わるまで待つから」
「えええええええええええええええええええええ」
「師匠、ちょっと二人だけにしてあげて下さい」
「逃げるなよ、絶対だからな、約束だからな」
「最近、晁蓋殿が軍営にばかり出入りしていて帰って来ないんだが」
「ここはいつから相談所になったのだ、呉用殿?」
診療所で向かい合っているのは、呉用と安道全である。
「いやさ、師匠が最近悩んでるみたいだったから、とりあえず連れてきてみたんだけど、駄目だったかな」
「阮小五、お前が何を勘違いしているのかは知らんが、ここは私の可愛い病人、怪我人が助けを求めて集まる、神聖な診療所だ。便利ななんでも相談所ではない」
「そこをなんとか」
「で、それを相談してどうしようと言うのだ」
「晁蓋殿が帰ってくるような薬を処方して欲しい」
「馬鹿かお前は、馬鹿なのか?」
「二回も馬鹿って言わなくたっていいじゃないか」
「先生、とりあえず師匠を立ち直らせる薬を下さい」
「そんなものはない」
はあ、と溜息を吐く。
「私の手に負える話ではないな。とりあえず、梁山泊中の夫婦にでも話を聞いて、どうやって家に帰らせているか聞けばいいんじゃないか」
傍から見ていた白勝と阮小五は、安道全が面倒臭くなって他人に丸投げしたんだな、と見ていたが、呉用はそう思わなかったらしく目を輝かせて安道全の手を取った。安道全はぎょっとして凍り付く。
「ありがとう、安道全。あなたは本当に名医だな。行くぞ、阮小五。まずは二竜山の秦明だ」
ものすごい早足で呉用が消えて行く。阮小五は頭を下げながらそんな師匠の後に付いて行った。白勝と、硬直したままの安道全だけが残された。
「安先生たら、本当に名医」
「やめろ、虚しくなる」
「は?なぜ公淑の元へ帰るのかだと?どうしたというのだ、呉用殿」
「是非、参考に聞きたいのだ」
「それは、その、何と言うか、愛すべき妻が待っているのなら可能な限り顔を見せてやりたいと思うものではないのか」
「つまり、愛あればこそ、と?」
呉用が復唱すると、秦明は唇を噛んで赤面した。
「まあ、そういう、こと、だ」
「じゃあ、裏を返せば愛がないと帰ってこないということか?」
「え、うむ、それは、むいって」
口ごもった秦明の脹脛に花栄の鋭い蹴りが入って秦明は蹲った。
「そんなことはありませんよ、呉用殿。どんなに愛があっても、いえ、愛あればこそ、梁山泊のことを誰よりも憂いているあなたを助ける為に働いているのですよ。あなたにどんなに会いたくても、あなたを愛した分だけ仕事が滞っては不幸でしょう。それに、会わないことで育つ愛もあるのですよ。それを鑑みて下さいね」
呉用の手を取り、息が触れるほどの間合いで熱弁する花栄。思わず、呉用も気圧される。
「そ、そうなのか、花栄?」
「ええ、勿論ですとも。私を信じて下さい」
眩しいほどの笑顔は、開封の人妻たちが放っておかないような溌剌とした見事な笑顔だった。
「分かった、ありがとう花栄」
「どういたしまして」
そう言って呉用は立ち去って行く。
「か、花栄。何をするんだ」
「将軍、その鈍感なところもあなたの魅力ですけれど今ばかりは良くなかったんですよ。呉用殿はほぼ確実に晁蓋殿のことについて相談しに来てたんです。そこで、愛がなければ帰って来ない、なんて言ったらどうなっていたと思いますか」
呆れ果てた溜息混じりに花栄が説明すると、秦明は心底感心したように溜息を吐いた。
「なるほどな、本当に花栄は敏いな。お前が副官で本当に助かるよ」
「奥さんが出来ても、将軍のことを一番知っているのも一番頼られるのも私の仕事ですから」
「え」
「しかし、花栄はああ言ってももう少し色々な資料が欲しい所だなあ。一応、盧俊義の所にも行って話を聞いておこうか」
「そうですか、しかし今日、盧俊義殿は梁山泊に来ている筈ですが?」
「そうなのか?と、あれは」
呉用が目を止めたのは、朱武である。
「おや、呉用殿」
「朱武か。どうした、こんな所で」
「いや、ある程度調練の済んだ兵がいたから、二竜山に送った所だ」
「そうか、ご苦労様」
「いえいえ」
呉用の目が、何かを思い付いたように光ったのを阮小五は見逃さなかった。しかし、阮小五が口を挟むより早く呉用は切り出していた。
「お前の所の史進、どうやって家に帰らせているんだ?」
すると、朱武は草臥れたような顔になってしまった。
「どうもこうも、帰って来やしねえよ」
「何だと?お前もか」
「呉用殿」
がしっ。
何か通じるものがあったのか、二人は固く手を取り合った。
「で、何故帰って来ないのか、心当たりはあるか?」
「まあ、外の世界が楽しいんだろうさ。見慣れちまった少華山なんかに閉じ込められるより、外の広い世界で遊び回っていたい年頃なのさ」
「つまり、帰らないのは少華山がつまらないから?」
「だろうさ」
呉用も、朱武に負けず劣らず落ち込んでしまった。
うちに帰って、兄や弟と焼き魚を食べたいなあ。
阮小五はそんなことを思いながら、青空を見上げていた。
「つまり、私に魅力がないから晁蓋殿が帰って来ないということか」
「そんなことはないと思いますよ」
半ば投げやりに阮小五は師匠を慰めた。
「別に普段から喧嘩してる訳でもなし、もっとご自分に自信を持たれて下さいよ」
「喧嘩?」
「へ?」
「それだ、阮小五」
「何が」
「林冲と公孫勝だよ。あの二人はどんなに喧嘩しても結局元の鞘じゃないか。あの秘訣を聞けばいいんじゃないか」
秘訣も何も、あの二人は事例が特異すぎて参考にはならないだろう、と心の中で叫んだものの、それを口に出すだけの元気はもはや阮小五には残されていない。
「ああ、いいですねえそれ。名案ですよ、流石師匠」
「そうと決まれば、あの二人を探すぞ」
中華一の俊足をもつ騎馬隊総隊長と、神出鬼没の致死軍総隊長の二人組とは、寄りにも寄って探す時に最悪な二人がくっついてくれたものだ。
日はまだ高い。この日が見えている間に、あの二人を見つけられたらいいなあ。
阮小五は生まれて初めて、雲になりたいと心底願った。
「疲れた」
呉用が青い顔で蹲った。朱武と別れて一刻も経っていない。しかし、元々体力なんておまけ程度にしか持ち合わせていない軍師の師匠にとって今日の移動量はあり得ない距離だ。
「大丈夫ですか、師匠」
「やはり、あの二人を見つけ出すのは至難の技だな」
まだ探し出して五分も経っていないのに。
根を上げるのが早すぎる師匠だ。
「ちょっと、木陰で休んでくる」
そう言って、呉用は近くの茂みに向かってふらふらと歩いて行き、そのまま茂みに躓いて頭から茂みの向こうに消えて行った。
「ちょ、師匠、大丈夫ですか」
茂みを分けて見ると、そこには頭から転んで無様な格好をしている師匠と、半裸で抱き合ったまま凍りついている某総隊長二名がいた。
ああ、ここに雷が落ちてこの三人を焼き払ってくれないかなあ。
阮小五は、人を呪うことを覚えた。
「全く、探したぞ、公孫勝に、林冲」
「え、は?」
「ちょ、呉用殿、済まな」
「ちょっと相談に乗って欲しいのだ」
「いやあの、ごよ」
「頼む、真剣な悩みなんだ」
「待っ」
「聞いてくれ」
「その」
「じゃあ終わるまで待つから」
「えええええええええええええええええええええ」
「師匠、ちょっと二人だけにしてあげて下さい」
「逃げるなよ、絶対だからな、約束だからな」
作品名：家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 作家名：龍吉@プロフご一読下さい