家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。
言い募る呉用を茂みから引き摺り出しながら、阮小五は少しだけ二人に同情した。
少しすると、茂みから二人が出てきた。割とすぐに出てきた所を見ると、あの衝撃で続けるような気分にはなれなかったらしい。なったらそれはそれで最低だと思うが、お楽しみの所を邪魔されただけでなくこれから下らない相談に応じなければならないのかと思うと、やはり同情を禁じ得ない。
公孫勝の顔は普段の白さを通り越して青褪めて目が虚ろだし、林冲は目が遠くを見てしまっている。
「で、相談なのだが」
この二人を前にして、平然と自分の要件に持っていく師匠を見ながら、軍師にはこんなに図太い神経がいるのかと思うと、自分の将来に不安を感じる。
「二人はいつも喧嘩している割にはよく一緒にいるが、一緒にいるための秘訣はなにかあるのか?」
「あ?」
遠い目のまま林冲が呻く。
そういえば、林冲と公孫勝は最近任務が多かった上に任務地が離れていた。久しぶりの逢引を邪魔してしまって、酷く申し訳ない気持ちになった。いやしかし、こんな真っ昼間からやるなよ、しかも外で。
「一緒にいる、秘訣?」
「そうだ。なんか、あるんだろう?」
「たまにしか一緒に過ごさないことと、その機会は絶対に他人に邪魔させないことかな」
公孫勝が地獄から湧き出るような声で呻く。完全に嫌味だ。
ごめんなさい、本当に、邪魔してごめんなさい。
「しかし、不安にはならないのか?自分の元にたまにしか帰って来ないなんて、他所の方がよっぽど楽しいんじゃないか、とか」
「あ?」
機嫌が悪い。いや、林冲の方はそうでもない。完全に、茫然自失なだけだ。公孫勝が、怖い。明らかに邪魔されて機嫌を損ねている。
「はっ、他所に浮気したまま抱きに来ていたら、とっくに刺し殺してる」
怖い。嫉妬深い女か、お前は。
「林冲は、どうなんだ?」
「は?」
「公孫勝が帰って来なかったら不安になるんじゃないか?」
「別に、いつものことだ。帰ってきたら絶対一度は部屋に来るし、任務地が近ければお互いどっちかに行けばいいだろ」
なんだこいつら。そんなに隙を縫って会っていたのか。ていうか、いままで見てきた中で、こいつらが一番いちゃついてないか。なんなんだ、こいつら。
「初めから、そんな風に仲がよかったのか?」
「あ?」
二人同時に呻いた。もういい加減うんざりしてきている。
「いや、あれ以来だな。初めて共同戦線を張った時」
「ああ。多分あれだな」
「何があったんだ?」
「俺が駆け付けた時、こいつが敵兵に囲まれて死にかけてた」
噂には聞いたことがある。公孫勝が林冲の騎馬隊を待たず戦闘を開始し、全滅しかけた所を林冲の騎馬隊に救われた、という話だ。その後、二人が軍の戦い方について議論し、それ以来不仲になったと。
事実は、逆だったらしい。
「駆け付けた時、こいつが死んでいたらどうしようと思った。その時、妻が死んだ時のことを思い出した。時間は、無慈悲だ。会わなければ、その間に大切なものを奪い取って行ってしまうかもしれない、そう思ったんだ。だから、それ以来可能な限り会える時に会うことにした」
「まあ、そんな経過だったな」
「つまり、相手に危機感を持たせるということか?」
「そうなんじゃね」
林冲が投げた。一刻も早く帰りたい、と全身で言っている。
「じゃあ、ありがとうございました。師匠、お暇しましょう」
師匠の腕を掴んで立たせた。
「え、いや私はまだ聞きたいことが」
「呉用殿、ちょっといいか」
公孫勝が立ち上がって師匠の肩に手を置いた。
「公孫しごふぅ」
公孫勝の細い膝が、師匠の鳩尾に鋭く突き刺さっていた。師匠は膝からがっくりと崩れ落ちた。公孫勝を見ると、いつもの数十倍は冷たい眼差しが師匠を射抜いていた。
今まで聞いたこともない、空気を震わせるほどの大声で公孫勝が怒鳴った。
「空気読め」
ごもっとも。
「はっ、私は?」
「梁山泊ですよ、師匠」
あのあと、師匠を背負っておろおろしていたところを魚をとっていた兄の阮小二に見つけて貰い、兄と協力して船で帰っていたのだ。
「お目覚めかい、軍師殿。なんだか今日はなにか探して右往左往していたって聞いたけど。探し物は、見つかったのかい?」
「ああ。見つかった」
「そりゃよかった」
兄の漕ぐ船は、とても心地が良い。ずっと乗っていたいなあ、と思うと着岸してしまった。
「じゃあな、小五。頑張れよ」
兄が真っ白な歯を見せて笑った。手を振って、師匠の後を追う。もう、月は中天にかかっている。
「呉用、久しぶりに酒でもどうだ?」
晁蓋が執務室に入ると、むっとする匂いが立ち込めた。血の匂い。
晁蓋は酒瓶を取り落として、机に駆け寄った。呉用は、机に突っ伏している。
「呉用?おい、呉用」
触れた手が、ぬるりと生温かく滑った。手を見る。血だ。真っ赤な、血だ。
「あ、あああ、あ」
晁蓋が怒号をあげそうになったとき、呉用がむくり、と身を起こした。
「なんてね。冗談ですよ、晁蓋」
「そういえば公孫勝。一回、俺が敵からの返り血を洗わないまま寝てた所に来たことあったよな」
「ああ、そういえばあったな」
「で、お前俺が暗殺されたと思って大規模な摘発作戦起こしたことあったよな」
「そういえばそれがきっかけだったかな」
「でその作戦のあと俺が起き出して来たら本気で切れたよな」
「死んだと思ったからな。からかわれたと思ったし、安心したし、腹が立ったからな」
「可愛いな、お前」
「私は摘発が終わったら単身で青蓮寺に切り込みに行く覚悟まではしてたぞ」
「で、まあそんな経過だった訳じゃないか」
「そうだな」
「呉用、大丈夫かな」
「天罰だ」
公孫勝は寝具に包まって丸くなった。
呉用の頬が、ひりひりと痛む。
「え、あれ?」
「冗談でも、やっていいことと悪いことがあるだろう」
晁蓋が、本気で怒っていた。
「あの、晁蓋?」
「ふざけても、そんなことは二度とするな」
びりびり、と部屋が震える。
「す、すまない、でも、晁蓋」
「なんでだ、なんでこんなことをした」
晁蓋が呉用に歩み寄ってくる。
呉用は目を瞑って、身を強張らせた。その躰を、晁蓋はきつく抱き締めた。
「死ぬほど、怖かったんだぞ」
晁蓋の声が震えている。
「よかった、生きてて、本当によかった」
押しあった胸板で、呉用の右胸を晁蓋の早鐘が打つ。呉用の目からも、涙が溢れて来た。
「ごめ、んなさい、晁蓋。ただ、私は、寂しかった、あなたに愛されてないのかと、不安で、寂しくて、怖かった」
しゃくりあげながら、呉用は語る。
「不安にさせて、ごめんな、呉用。もう、お前を置いては行かないから、一人きりには、させないから」
「う、うええ、うえええええ」
まるで、子供のように呉用が泣く。それを、晁蓋が抱き締めてあやすように背中を叩く。
その日、呉用は久しぶりに夢も見ないほど深く眠りに就いた。
「これで、一件落着なのかな」
振り回された自分はなんだったのだろう。阮小五は遠くを見やった。
「小五、お疲れ」
振り返ると、兄が立っていた。
「夜釣りにでも行こうか。今夜はお前の貸切だ」
小五は勢いよく頷いた。
自分がいつか帰る場所。それはきっと兄の隣なのだろう。
作品名:家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。 作家名:龍吉@プロフご一読下さい