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触れる。そして、触れられる。

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「……後ろに立つなよ大佐」
「何故?構わないだろう?」
「……すげえ構う。それに触んな」
「何故、かな?髪に触れているだけだ。君の髪はさらさらとしていて気持ちがいい。もっとずっと触っていたくなる」
大佐の手がすっとオレの髪を梳く。
震えそうになる身体を抑えるので精いっぱいで、オレは何も言えなくなる。
何故なんて、答えられない。
「アルフォンスと待ち合わせをしているのだろう?彼が来るまで一緒にいてやろう。こんな夕暮れ時に君が一人でこんな場所に立っていては大変だ」
オレはアルを待っている間、なんとなくぼんやり沈んでいく夕陽を見てたんだ。燃えるみたいに真っ赤な空。オレンジ色の太陽。そこに段々と黒い色が混じっていって暮れて夜になっていく。こういう時間のことをどっかの国の言葉で逢魔が時とか言うんだっけとか、夕焼けの色がまるで大佐の焔みたいだとか。
ぼんやりしてた。だから、大佐がオレの背後に立ったのにすぐには気がつかなかったんだ。「隙だらけだぞ鋼の」って言われた時には街灯がぽつりぽつりと灯り始めて、夕陽のオレンジにはもうかなり黒が混ざっていて、その黒が濃くなって。
今の空はもっと黒い。
もう間もなく、大佐の髪の色みたいな夜が来る。
もう間もなく。
今すぐに。
そんな時間の街かどで、オレは動けなくなっている。
のんびりなんてそんな単語、今のオレには欠片も無い。
心臓はバクバクと忙しい。呼吸が荒い。血液が沸騰する。
暗くて、よかった。
大佐にこの赤くなった顔、知られずにすむから。
知られても夕陽の色だって誤魔化せるかな。
すっと、また、オレの髪の毛に、触れてくる大佐の指。
大佐は、オレの髪で遊んでいるみたいだ。
「……遊ぶなよ」
「遊んでなどいない」
「じゃあなんだよ。オレの髪なんて触っても面白くもなんともねーだろ」
低く唸るみたいな声をなんとか出す。
だけど。
くすくす笑う大佐の声に身体が固まっちまう。
髪に触れられるくらいなんともない、はずだ。
だけどオレはこんな些細なことで動けなくなっている。
大佐の指が、オレに触れている……と、いうだけで。隠していた気持ちが溢れそうになる。
ほんのわずか、そう二・三歩でいいんだ。僅かな歩数文だけ大佐から離れれば。そうしたら大佐の手なんて届かない。避けちまえばいい。
だけど足が動かない。
身じろぎすら出来ない。
オレの抗議なんかどこ吹く風で、大佐はオレの髪に指を絡め続けてる。
その指が、髪だけじゃなくてオレの頬を掠めてきた。
「柔らかいな……」
髪に絡まっていた大佐の指が、今度はオレの頬を撫ぜる。触れるか、触れないか、そのぎりぎりの境界線。肌の輪郭を確かめるみたいに。夜風が頬を撫ぜるより柔らかく。
それだけ、なのに。
動けない。
声も出ない。
抵抗も、出来ない。
心臓はバクバクとうるさい。
離れたい。
触れるなと、怒鳴りたい。だけど、出来ない。
大佐の、指。
少しだけ硬い指先。
それを感じてしまっている。
触れられたところから熱が生まれる。
錬金術なんかじゃなくても、大佐の指はオレの身体に熱を生む。
熱い。
触れられている一点が。
指先だけでこんなになってしまうのなら。
例えばもっと触られてしまったらオレは一体どうなるのか。
この指が、オレの……頬に触れて、首筋を通り、胸や腹のほうまで辿って行ったら。
ぞくり……と、身体の奥に震えが走る。
違う。
そんなことはされてない。
大佐の指はオレの髪と頬に触れているだけ。
それだけだ
それだけで、どうしてこんなにも震えるんだよ。
たったこれだけで、どうしてこんなにも熱いんだよ。
身体が沸騰する。熱くて息が苦しくてたまらない。
どうして……、いや、わかってる。
その先を、オレが勝手に考えてしまうからだ。
「なあ、鋼の」
「……な、に?」
上ずった声。ああ、喉が、渇く。変なこと、考えてたの、知られてるはずは無いのに。だけど大佐の目はオレを透かして見てるみたいだ。
オレの気持ちなんて、全部わかられてしまっているみたい、だ。
「こんな話を知っているかな?」
「な、んだよ……」
「この間読んだ本に書いてあった。……何かに触れるというのはね、弄るということなのだそうだよ」
「ま、さぐ……る」
「そう。偶発的に身体の表面が接触するのではなく、己の意志を持って、触れる。対象への能動的な関心を持って、触れるか触れないかのギリギリのところで物を弄る。まるで医者が触診でもするかのようにね。愛撫するかのように探る行為なのだとね」
声が、オレの耳元で囁かれる。
大学の教授が講義でもするような淡々とした温度の低い声なのに。オレはその声を勝手に甘いものだと感じてしまう。甘い大佐の声がオレの耳元からオレの中へ侵入する。それだけじゃない。触れる、のだ。大佐の唇が、オレの耳朶を掠める。
触れる指先。
触れる唇。
意志を、持って?
まるで愛撫するかのように?
触れたいと思って、触る?
「……何が言いてぇのか、わかんねーんだけど」
「わからない、かね?鋼の錬金術師ともあろうものが」
唇が、耳に触れる。
声が、オレの身体の中まで浸透する。
甘い声。
毒みたいに、耳から身体中に回っていく。
伸ばされた大佐の両手が、ゆっくりとオレの両頬を包んで引き寄せる。
顔が近い。
離れたい。
柔らかくそっと包まれているだけの頬。大佐の腕から逃れるのなんて簡単に見える。だけど動けない。まるで拘束でもされているかのように動けない。大佐がオレを掴んで離さない。
身体の奥まで見透かすような、強い視線。
目を、逸らしたい。閉じてしまいたい。
「君の髪は気持ちがいい。頬も、こんなにも柔らかい……」
大佐の息が、オレに触れる。
唇に、落ちてくるさやかな吐息。
「己の意志を持って、今私は君に触れているよ。その意味が本当にわからないのかな?」
答えなんか出せない。動けない。
言葉を発すればそれだけで、きっと触れてしまうから。
オレの唇が、大佐の唇に。
触れて、しまう。
動けないオレに大佐は艶やかな笑みを浮かべる。
誘う、ように。
違う。
ように、なんて言葉は要らない。
これはきっと誘惑の色。
分かっている。そう……わかっているからオレは声が出せないんだ。
ただ身体が熱い。
多分、オレはこの先を、期待してる。
一言言えばきっと。大佐はオレに触れてくる。
髪だけじゃなくて。
頬だけじゃなくて。
もっとずっとその先まで。
なのに。
「ああ……、タイムリミットだ」
「え……?」
大佐の声の色が、少し変わった。
「ほら、アルフォンスが来たよ」
そっと、名残を惜しむように離される、掌の温度。
それにオレはほっとしたのか。
それとも……。
遠くから聞こえてくるアルフォンスの声。
兄さんお待たせ。
既に離れてしまった大佐の熱。
安心したのか残念なのか。
わからない。
嘘だ。
オレはわかってる。
だけど。
「鋼の」
「あ、じゃあオレ行くから……」
呪縛から逃れるみたいに一歩大佐から離れる。
今はまだ。
これ以上大佐に触れられたらオレが壊れる。
今はまだ。この気持ちを隠していたい。きっと、でも、知っても欲しい。
迷ってる?違う、そうじゃない。
駆けだすその直前を見計らったように、グイと肩を掴まれた。
「鋼の」