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そういう望み

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「早く、餌食って…。…それで、とっとと山を、越えやがれ」
 スペインの腕の中、横に抱かれたロマーノは、スペインの方を見ないでそう言い放った。スペインは息を飲んだ。
「な、何言ってん。餌なんてどこに」
「あるだろ、ここに」
「…ロマ、」
「食べればいいだろ、ちくしょーが」
 もう一度ロマーノは繰り返した。馬鹿なスペインが何も気付かなければいい。抑えきれない身の内の恐怖にも微かに震える体にも、何も気付かないで、ロマーノを食べて。
 生きてくれれば、いい。
 ふと落ちてきた水滴に、ロマーノは顔を上げてスペインを見た。
 スペインは、泣いていた。
「…何、泣いてんだよ。はは…」
 馬鹿みてえ。と笑って言うと、スペインは、がばりとロマーノを正面から抱き直した。
「ちゃうねん、ちゃうねん…。もう、どっちが生き残るとかどうでもええんよ」
 スペインが、ロマーノの肩口に顔を押し付ける。じわりと濡れた感触が、した。
「ただ、もうこうして2人で話ができひんようになるのが、悲しい…」
「…そんなの」
 俺だって、と言いたくなるのをぐっとこらえた。抱き返そうとして持ち上げた腕で、スペインを押し返した。
「…ごたごた、うるせえな」
「!?」
 正面から向き合い、ロマーノは自分の指をスペインの口の中に突っ込んだ。
「ほら、喰えよ」
「…っ!!」
 忍ばせた指で、そっとスペインの舌を引っ掻く。悲しいと涙に濡れるスペインの目が、それでも、抑えきれない本能にぎらりと光ったのを見て、ロマーノは満足して少し笑った。スペインが、唾を飲む音が聞こえた。
 寒くて、眠くて、お腹が空いて。きっとこの雪が止まない限り、自分は、もう。最早ロマーノは、スペインに食べられることしか考えていなかった。
 唐突に、スペインがロマーノの手首を掴んで指を引き抜いた。ロマーノの指からスペインの口に続く銀糸が、微かに光って、消える。
「ええんやな」
 恐ろしく真剣な顔でスペインは言った。声を出すのも億劫で、ロマーノはこくんと頷いた。今度こそ、両腕をスペインの首にしっかりと回す。
 スペインはまたロマーノを抱き締めた。背骨が折れるかと思うぐらいに力を込められる。ロマーノは苦しげに息を吐いた。息も出来なくなるような力強さと切なさに、目眩がする。怖くなんかない、恐ろしくなんかない。ロマーノは何度も自分に言い聞かせた。
 スペインが顔を動かしてロマーノの耳に唇を寄せた。そのまま、こめかみ、目尻、頬と、触れるだけのキスを落としていく。心地良さを感じながらも、その唇が段々と下がってきていることを、ロマーノは分かっていた。
 果たして、スペインの唇が、ちゅっと音を立ててロマーノの首筋に触れた。その唇も離れ、あぐりとスペインの顎が開くのをロマーノは感じ取った。首筋に当たるスペインの息が、熱い。牙が、ロマーノの皮膚に、当たった。ロマーノはぎゅっと目を閉じて、スペインの首に回した腕に無意識に力を込めた。
 唐突に、首筋から牙の感触が消えた。
「震えとる」
「…は?」
 そう言われて、何事も無かったかのようにスペインの顔が離れていく。再びロマーノの目に入ったスペインは、困ったように微笑んでいた。
 その顔は、わがままを言ったロマーノを宥める時と同じ顔で。自分の恐怖に気付かれたのだと知り、ロマーノはかっとなった。出せないと思っていた声が戻ってくる。
「怖くなんかねえよ!」
「分かっとる。でもな、ロマーノもお腹減ってんねやろ。草でも見つけてきたるから、待っとって」
 スペインが、膝からロマーノを下ろして、立ち上がった。
「スペイン!」
「俺だけ食べるなんて不公平、やん。なあロマーノ、ええ子にしとってな。帰ってきたら」

 続き、しような。

 スペインはロマーノの言葉を封じるかのように饒舌になった。それに本人は多分、ちゃんと笑っているつもりなのだろうが。そう言ってロマーノの頭を撫でたスペインの表情は、くしゃりと歪んだ泣き笑いでしかなかった。だから、ロマーノは何も言えなくなった。何も言えないまま、歩き出したスペインを見送った。
「ちくしょーが…」
 零れ落ちた言葉は、誰に拾われることもなく、雪の上に広がって消えた。
 吹雪に掠れるスペインの背中が遠くなる。
 そして視界からスペインの姿が消えた途端、張り詰めていた神経が緩み、寒さと空腹と疲れで、ロマーノは気絶するように眠りに落ちた。
作品名:そういう望み 作家名:あかり