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混迷疑心のコンパートメント

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 カー・ブラックホールの間隙をすり抜けて無理やりに記憶だけが過去へと回帰した。タイムリープによって過去の俺は一方的に記憶を送りつけられ、未来の記憶を持った俺に意識を奪われたのだ。俺は絶対の観測者。俺の意識が観測したものが現実であり、見ていないあるいはなかったことにした事実は可能性の泡沫として消し去られる。これは繰り返す一方通行の逆走の結果としての事故、あるいは一方的に未来を奪われた過去の俺による未来の俺への復讐なのかもしれなかった。
 あのトイレ事件以来、俺はラボのソファの上で膝を抱えて過ごすことになった。
 まゆりはあの日以来ラボには来なくなった。ただし消去すべきDメールはまだ1通残っているから、ラボに来なくなっても死を回避することはできないだろう。
 紅莉栖も来ない。ダルとは連絡を取っているようだったが、この世界線で俺と紅莉栖が再会することなどもうないのかもしれない。
 タイムリープマシンは紅莉栖の指示を受け、ダルが完成させてくれた。俺に残ったのは結局、ダルだけだった。
「よっしゃ、タイムリープマシン完成したお! HENTAI」
 ただし俺の呼び名はオカリンからHENTAIに変わった。
 奥に仕上がっていたのはいつもと同じ、改造ヘッドギアのついた電話レンジ。俺はのろのろとソファの上から降りて、今完成したばかりの装置の電源を入れて無造作に起動する。この数日考えていたのは一刻も早くこの世界線を離れることで、そのためならダルがはじめて作ったタイムリープマシンだろうと使うことにまったく迷いはなかった。
 階下の42インチは既に電源を入れてある。俺は逃げるように手早く移動時間を入力する。一刻も早くこんな世界は離れるべきだ。前回とは半日違う時間を入力し、この恐ろしい世界線から逃げ出さねばならない。

 プロジェクト・ロキが華麗すぎる失敗を遂げた直後、俺はルカ子からあの直前からのいきさつを聞いた。
 あの日、ラボでまゆりに無理矢理コスプレ衣装を押し付けられたルカ子は、袋を持ったまま個室に閉じ込められてしまった。あの細腕では中から脱出することもできず、しかたなく俺に携帯で助けを求め、俺は個室からルカ子を救出したが、ふらふらになったルカ子が忘れ物をしたというので取りに行ってやったところでリーディング・シュタイナーが発動。俺は閉じ込められ、先に出たルカ子は俺が戻ってこないのを不安に思い、閉じ込められていたら困るとラボから紅莉栖とまゆりを呼んできた。
 結論からすれば過去の俺は性犯罪者ではなかったが、それでも俺のこの世界線から逃げ出したいという気持ちは変わらなかった。ここまでの全部を忘れ去って「なかったこと」にしたい。まゆりにも紅莉栖にもダルにもあんな目で見られるのはもう嫌だ。ルカ子に誤解を解いてもらうように協力を求めることもできない……正直俺は、この世界線のルカ子が怖い。近づきたくない。

 俺は前の世界線でルカ子の母に取り消しのDメールを送り、その結果ルカ子が男に戻ったのを確認している。だからこの世界のルカ子も男のはずなのだ。
 なのにどうしてお前は、女子トイレに閉じ込められていたんだ!?

 精神的に叩きのめされた俺に細かい事情を確認する余裕などなく、むしろこの世界でのルカ子の俺に対する態度を考えると、「彼」に関わればより思い出したくない体験が増える可能性すらあって、俺はラボに引きこもって今日を待つしかなかった。まゆりを救うためならばどんな苦悩にも耐える覚悟をしていたが、今回のような体験だけはもう2度とごめんだ。


 世界線を移動する直前にもう一度強く祈る。
 神様お願いです。この悪夢だけは、一刻も早く薄れますように……


                         (終)