ヒドゥン・プレイス
『捨てちまうと思ったぜー』
「トロワが気付かなければ捨てていた」
受話器の向こうで久しぶりに聞く声が笑う。ずいぶん聞いていなかった割にそんな気がしないのは、この隠れ家を通じて間接的にデュオと逢っていたからかもしれない。
片手に受話器、片手に天使の像。つめたい陶器のなめらかな手触り。
「おまえ、いつここに来ている?」
『何だよーヒイロ、そんなにオレに逢いたい?』
「そんなんじゃない」
おまえとだけ顔を合わせないから気になっただけ、そう言えば『ああ、やっぱ気づくよな』と、あっさり認めた。わざとか。
『誰もいない時を狙って行ってるんだ』
「……何故」
吐き出した声はどこか傷ついたように聞こえた。自覚するより早く、受話器の向こうのデュオが狼狽する。
『違うって、逢いたくないとかじゃなくてさ。……なんか、おまえらの気配が残ってる部屋が好きなんだ、オレ』
「……」
『あの旧いコイン、おまえだろ? ヒイロ』
「……ああ」
『うれしかったよ。おまえがああいうことするの、初めてだったもんな』
掌の中で、陶器の天使がぬくもりを持っていく。
その温かさが電話の向こうのあいつの体温のように思えて、そうして、ふいに、
「……トロワから伝言だ」
『ん?』
「たまには顔を見せろ」
あいたくなる。
近づく足音に息を殺した。自分のほうの気配を消す。
隠れ家には今、誰も居ない。ヒイロ・ユイは5時間ほど前にコロニー行きのシャトルに搭乗しているはずだ。デュオにはそう時間を伝えたし、記録を調べてもそれは間違いない。
── 情報操作までして、こんな。それもデュオを相手に。
かすかな自嘲。隠れて、目を閉じる。耳を澄ませて。いないふり。気配を消しながらも、デュオの動向を探っている。
キーロックの開く音。物音。フローリングをぺたぺたと裸足が歩いている。
気配が急に、ちかい。
ソファに沈む躰。気配が、ほどける。無意識のかすかな緊張がとけて、部屋中にデュオがふわりと散らばる。
(おまえらの気配が残ってる部屋が好きなんだ)
トロワの、五飛の、カトルの、それからオレの。残り香をさがすように、デュオの意識が漂っている。
みつけては、安堵する。五飛の置いていった茶、洗って置いてあるトロワのカップ、カトルの読みかけの本。……とけあうように。こいつはこんな風にここで寛ぐのだと、初めて知った。
気配を殺すことをやめたくなる。ふれたい。
デュオの気配に。
掌に握り込んだままのちいさな天使にそっと口をつけた。すっかり温まった陶器の表面がやわらかい。
デュオ、
声に出して呼んだわけでもないのに、空気がすこし、変わった。
「……あれ?」
声。ソファから立ち上がる。衣擦れ、もっと、もっと近くなる気配。
デュオの吐息が聞こえる。笑うような。
「まさか…」
手の中の天使に深く口づけた。
こんなにオレはデュオに逢いたかっただろうか。
気配が止まる。空っぽのクロゼット。板一枚を隔ててデュオがそこにいるのがわかる。
ノック、
「ヒイロ」
もう一度、
「隠れてもわかるよ」
扉が、ひらく。
空気がつながる。
「ほら、やっぱりいた」
ああ、
「ヒイロ」
蹲ったままうごけない。見上げることしか出来ない。髪の色、眼の色、声、におい。一体どのくらいぶりだろう?
さわりたい。
覗き込むデュオが笑っている。ずっと、見たかった表情。伸びる腕、骨ばった指。体温。
掌の天使、悪戯のようなメモ、数の減ったコイン。そんな距離よりも、もっと。
「なに、逢いたがってんだよ」
とびこむ。