空と休日
差し出された少年の手には、毛布が載っていた。
借りた毛布はそれほど使われてはいないのか、新品とそれほどかわらなかったが、新品ほどよそよそしい肌触りでもない。やわらかな起毛のあいだにわだかまる、慣れないそれは、刹那の匂いだったのかもしれない。
もしかしたら、眠れなかったのかな。
毛布をできるだけ綺麗にととのえ、畳んで隅に片付けながら、目覚めるまでのことをつらつらと考えていたアレルヤは、ふいにそんな推測につきあたる。
アレルヤが起き上がっても、部屋の中を移動しても、毛布を畳んでいても、刹那は微動だにもせず、幾何学模様のシーツの中にうずまったままだ。
アレルヤを部屋に入れただけでも、刹那にとってはかなりの譲歩だろう。眠るアレルヤを前にして、のみこんだ異物を、どう馴染ませたらいいかわからないまま、時間をやり過ごしている刹那の姿が想像できてしまった。疲れて眠りに落ちるまで、何度も何度も寝返りをうって、違和感をごまかし続けていた痕跡が、この皺くちゃのシーツなのかと、はたと、気がつく。
精巧な、つくりものの何かのように閉じられた瞼は、今は動く気配もない。夢もみない、深い眠りの中にいるのだろう。申し訳ないと思いながら、アレルヤは安堵する。
夢なんかみなくていい。記憶をなぞる幻のなか、血のしずくか戦火のいろか、真っ赤に染まった空を見て、
ああそうだった、やっぱり空は── きみがそんな風に思ってしまうくらいなら。
身支度を整えてしまうと、もう、することがなかった。そっと立ち上がり、窓を開ける。ガラス越しに待ちかまえていた風がひゅッ、と滑り込み、アレルヤの髪をゆらした。大気が、うごいている。
気持ちがいい、と、思った。こんなに穏やかでこんなに青い、おなじ空の下、この瞬間にもどこかでひとが、悪意に、痛みにうめき、叡智でつくりだされた武器によって、傷ついたり傷つけたりしていて。
(何故、空が青いんだ)
頬や首筋をわらうように擽る髪を、好きにさせながら、振り返る。
侵しがたい空間が、そこにはあった。人工ではつくりえない、やわらかな太陽光。それに白く溶ける、シーツの海。眠るこどもの、黒い癖髪が風に遊ぶ。それでも刹那が、目を覚ます様子はない。
清浄で静謐で、完璧な、切り取られた、世界からなんの干渉もなくどんな澱みもない、ただ、きれいなばかりの。
アレルヤは息をひそめた。
吹き踊る風にかたちが変わることはなくても、そこに自分の不躾な息や声が雑ざったら、── 穢してしまいそうな気がして。
ねえ、刹那。
空が青いよ。
シーツは白くて。
きみの寝顔は安らかで。
刹那にとっては空が青いこととおなじくらいに、それは居心地の悪いことかもしれないけれど。アレルヤは、できればその光景を、ずっと見ていられればと、願った。
「……刹那。もう、行くよ」
慎重に声を編んで、発した。耳元まで唇を寄せなくても、おおきな声を出さなくても、届くだろうと、ささやかに。
窓を閉めて鍵をかけ、足音をしのばせて出口に向かおうとすると、アレルヤ、とちいさく聞こえてきた。
覚醒したばかりのぼやけた、おさない声が、探すように。アレルヤ、そう、呼んでいた。
シーツの海を、少年の腕が、泳ぐ。
気づかないふりをして、出て行くこともできたけれど。
(……僕が、そんな毛布みたいな、きみのやさしい誘惑に、あらがえるわけないじゃないか)
「刹那、空を、見に行かないかい」
白い光の中を起き上がった少年の黒髪が、うなずくように揺れた。