HOLD ME NIGHT
Hold me tight、だなんてフレーズがナカジの口から聞けるとは思ってもみなかった。……いや、厳密に言えばその言葉が紡がれたのは、目の前にある小さな青いラジオからなのだけれども。
「ナカジってば、やれば出来るんじゃん」
タローは、にまにまと顔を綻ばせながら賞賛の言葉をナカジの耳に贈った。……いや、厳密に言えばその言葉が贈られたのは、彼の耳元に宛がわれた携帯電話の受話口にだったのだけれども。
故に相手の表情は見えなかったが、タローにはナカジの表情が鮮やかに想像出来た。脳裏に浮かんだナカジの渋面にアフレコされる、しゃがれた声。『……どういう意味だ、それは』と問い返したのと同じ声が、今、ラジオのスピーカーからも聴こえている。右耳は電話に、左耳は彼らしからぬ愛の歌に傾けて過ごす、夜は晴天。
「えー? だってさあ、前に『ラブソングは作れないし作らない』って言ってたじゃん。だからさあ、そんなことないじゃん、って」
『貴様は歌詞を良く聴け。ラブソングなんかじゃない。
この唄は、そういう愛だの恋だのに騙されている奴らを嘲っている唄に過ぎないんだよ。ろくでもないものに振り回されている奴らを……』
「……じゃあ、俺も振り回されてるのかなあ」
ぽつり、と呟いたその一瞬間、時が停まったような気がした。
取り留めのない思案に耽ってしまったタローの沈黙。呆気に取られたらしい、ナカジの絶句。曲の終わりとMCの再開との間に落ちた、ラジオの静寂。その中で、一番先に音を取り戻したのはラジオの方だった。『はい、中嶋孝治さんで『ブラインド』でした。中嶋さんはもう当番組の常連になりつつありますねー。番組宛にファンレターも届いております』と、女性MCの明朗な声が響き渡った。
『……今、何と言った? タロ……』
「あ、あーあーナカジっ! ファンレターだって! ちゃあんと聞いてなくっちゃ駄目だよう。ほらほら、ラジオラジオ!」
独り言とは、他人に伝える意図がないからこそ独り言になるわけで、その独り言の真意を明かすのは少々気恥ずかしく、タローは慌てて話をはぐらかした。聞くようにと促したラジオでは、彼宛のファンレターが読み上げられている。
ローカルFM局で放送されている、インディーズ番組への投稿はナカジのアーティスト活動の一つだ。定期的に新曲を送り続けている彼は、数少ないリスナーを着々と自分のファンにしているようだった。きっと、今夜発表された新曲でまた新たなファンが増えることだろう。タローはそう確信した。
『先ず一枚目。鎌倉市のラジオネーム、『パンダ仙人』さんから頂きました。『初めてお便りします、パンダ仙人と申します。三ヶ月前、何か面白い番組はないかとザッピングしていたところ、この番組で流れていた『ブラックテイル』を聴いて痺れました!』……』
熱狂的なファンレターに、多少こちらの言動を訝っていたらしいナカジも黙って聞き入る。タローもまた、ホッと胸を撫で下ろしてその便りに耳を傾けた。『それから毎週聴いていますが、中嶋さんの曲が流れる日が待ち遠しくて仕方ありません』と言う見知らぬファンに、うんうんと無言で頷く。『中嶋さんの詩的な表現と、独特の声が大好きです』との感想にも嬉しくなる。人間、自分の好きなものを好きと言われると、理由もなく嬉しくなってしまうものだ。賞賛を受けた当の本人は、今、何を思っているのだろう。
「ナカジ、嬉しい?」
『手放しに褒め過ぎかとは思うが……まあ、な……』
極まりが悪いといった風に言葉を詰まらせたナカジに、微笑ましくなる。素直でなくて、常に斜に構えている彼がこういった素を出す瞬間がタローは好きだった。彼の作る唄と同じ位。……いや、それだけではない。彼の鋭く尖った詞も、鼓膜を貫くメロディーも、嗄れた声も、眼鏡の奥の瞳も、歪んだ言動も、捻くれた物の見方も、その全てが好きだ。他の誰にも負けない愛しさで、想っている。
『続いて二枚目。『今晩は! 『湘南ロッカーズ』通を目指す、クールパフェです。今回は近頃頭角を現してきた中島孝治さんについて熱く語りたいと思います。いえ、語らせてください』……厚木市にお住まいの、お馴染み、クールパフェさんからのお便りですね』
彼が、好きなのだ。
『ああ、常連のリスナーか。正直、コイツのレビューは毎度的外れであまり好きではないんだがな。……なあ、お前は』
「へ…………っ? ……な、何? なあに? どうし」
『お前は、好きか?』
ナカジが好きだ。
呆けた頭に響き渡った『好き』の一言に、タローは頬をかっと赤く火照らせた。……今、自分の考えていたことを見透かされたように錯覚したからだ。
『正直、コイツに褒められても何も思わん。色々と音楽用語を交えつつ語るのが好きなようだが、俺にはただの知ったかぶりにしか聞こえん』と、彼の話の続きを聞いた上でようやく、彼の話の対象が自分ではないということに気付く。はっとして、返事。
「んーとぉ……俺もこの人の葉書は嫌いだなあ。難しいことばっかり言ってて、良く分からないんだもん」と、ソツない返答。
「なーんか、さあ。言っちゃ悪いけど、ホントにその唄が好きで話してるのか、分かんないんだよね。好きなら好きって、それだけ書けば良いと思うのにな。俺が詳しくないからなのかも知れないけど」
『いや、俺も同意見だ。作り手としても、浅い知識で批評されるよりは、正直な感想を一言で述べてもらった方が何倍も嬉しい。番組側は貴重な常連として良く取り上げているようだが……』
合点がいけば会話は噛み合う。言葉のキャッチボールを繰り広げながら、タローはもう一度、窓の外を眺めた。三日月がくっきりと浮かび上がった夜空の下、ラジオを聴きながら交わす他愛もない話。毎週の習慣はとても楽しくて、幸せな時間だ。今週のように、彼の唄が掛かる日は尚更話が弾むし、双方向から聴こえる彼の声に胸が一杯になる。……それなのに、今日はどうしたことだろう。
『まあ、つまるところは聴き手も十人十色ということだな。聴き手が十人いれば十通りの感じ方があるのだから、その一つとして聞く分には良いのかも知れないが。本来ならば………』
幸せな筈なのに、何処か物足りない。寂しい、とさえ感じる。先程の唄に当てられたのだろうか――…相手が好きで、ひたすら好きで、会いたいとか抱きたいとか四六時中思考を囚われる唄。
『見知らぬ人間にこうした感想を貰えるという事実(こと)自体が貴重で、ありがたいのだと思わなければならないんだろうが。
俺も少し、傲慢になってきたのかも知れない。……自省が必要だな』
正に、今の自分はあの唄の通りだとタローは思った。頭蓋の内側で残響するフレーズに同調してしまう――…君が好きだ、これは恋なんだ、好き過ぎて振り回されてしまうんだ。今だってこんなに、
『……ああ、喋り過ぎたか……悪い、タロウ』
「……………………」
Hold me tight、
『…………タロー?』
「……………………」
抱き締めたくて、抱き締められたくて仕方がないんだ。
「ナカジってば、やれば出来るんじゃん」
タローは、にまにまと顔を綻ばせながら賞賛の言葉をナカジの耳に贈った。……いや、厳密に言えばその言葉が贈られたのは、彼の耳元に宛がわれた携帯電話の受話口にだったのだけれども。
故に相手の表情は見えなかったが、タローにはナカジの表情が鮮やかに想像出来た。脳裏に浮かんだナカジの渋面にアフレコされる、しゃがれた声。『……どういう意味だ、それは』と問い返したのと同じ声が、今、ラジオのスピーカーからも聴こえている。右耳は電話に、左耳は彼らしからぬ愛の歌に傾けて過ごす、夜は晴天。
「えー? だってさあ、前に『ラブソングは作れないし作らない』って言ってたじゃん。だからさあ、そんなことないじゃん、って」
『貴様は歌詞を良く聴け。ラブソングなんかじゃない。
この唄は、そういう愛だの恋だのに騙されている奴らを嘲っている唄に過ぎないんだよ。ろくでもないものに振り回されている奴らを……』
「……じゃあ、俺も振り回されてるのかなあ」
ぽつり、と呟いたその一瞬間、時が停まったような気がした。
取り留めのない思案に耽ってしまったタローの沈黙。呆気に取られたらしい、ナカジの絶句。曲の終わりとMCの再開との間に落ちた、ラジオの静寂。その中で、一番先に音を取り戻したのはラジオの方だった。『はい、中嶋孝治さんで『ブラインド』でした。中嶋さんはもう当番組の常連になりつつありますねー。番組宛にファンレターも届いております』と、女性MCの明朗な声が響き渡った。
『……今、何と言った? タロ……』
「あ、あーあーナカジっ! ファンレターだって! ちゃあんと聞いてなくっちゃ駄目だよう。ほらほら、ラジオラジオ!」
独り言とは、他人に伝える意図がないからこそ独り言になるわけで、その独り言の真意を明かすのは少々気恥ずかしく、タローは慌てて話をはぐらかした。聞くようにと促したラジオでは、彼宛のファンレターが読み上げられている。
ローカルFM局で放送されている、インディーズ番組への投稿はナカジのアーティスト活動の一つだ。定期的に新曲を送り続けている彼は、数少ないリスナーを着々と自分のファンにしているようだった。きっと、今夜発表された新曲でまた新たなファンが増えることだろう。タローはそう確信した。
『先ず一枚目。鎌倉市のラジオネーム、『パンダ仙人』さんから頂きました。『初めてお便りします、パンダ仙人と申します。三ヶ月前、何か面白い番組はないかとザッピングしていたところ、この番組で流れていた『ブラックテイル』を聴いて痺れました!』……』
熱狂的なファンレターに、多少こちらの言動を訝っていたらしいナカジも黙って聞き入る。タローもまた、ホッと胸を撫で下ろしてその便りに耳を傾けた。『それから毎週聴いていますが、中嶋さんの曲が流れる日が待ち遠しくて仕方ありません』と言う見知らぬファンに、うんうんと無言で頷く。『中嶋さんの詩的な表現と、独特の声が大好きです』との感想にも嬉しくなる。人間、自分の好きなものを好きと言われると、理由もなく嬉しくなってしまうものだ。賞賛を受けた当の本人は、今、何を思っているのだろう。
「ナカジ、嬉しい?」
『手放しに褒め過ぎかとは思うが……まあ、な……』
極まりが悪いといった風に言葉を詰まらせたナカジに、微笑ましくなる。素直でなくて、常に斜に構えている彼がこういった素を出す瞬間がタローは好きだった。彼の作る唄と同じ位。……いや、それだけではない。彼の鋭く尖った詞も、鼓膜を貫くメロディーも、嗄れた声も、眼鏡の奥の瞳も、歪んだ言動も、捻くれた物の見方も、その全てが好きだ。他の誰にも負けない愛しさで、想っている。
『続いて二枚目。『今晩は! 『湘南ロッカーズ』通を目指す、クールパフェです。今回は近頃頭角を現してきた中島孝治さんについて熱く語りたいと思います。いえ、語らせてください』……厚木市にお住まいの、お馴染み、クールパフェさんからのお便りですね』
彼が、好きなのだ。
『ああ、常連のリスナーか。正直、コイツのレビューは毎度的外れであまり好きではないんだがな。……なあ、お前は』
「へ…………っ? ……な、何? なあに? どうし」
『お前は、好きか?』
ナカジが好きだ。
呆けた頭に響き渡った『好き』の一言に、タローは頬をかっと赤く火照らせた。……今、自分の考えていたことを見透かされたように錯覚したからだ。
『正直、コイツに褒められても何も思わん。色々と音楽用語を交えつつ語るのが好きなようだが、俺にはただの知ったかぶりにしか聞こえん』と、彼の話の続きを聞いた上でようやく、彼の話の対象が自分ではないということに気付く。はっとして、返事。
「んーとぉ……俺もこの人の葉書は嫌いだなあ。難しいことばっかり言ってて、良く分からないんだもん」と、ソツない返答。
「なーんか、さあ。言っちゃ悪いけど、ホントにその唄が好きで話してるのか、分かんないんだよね。好きなら好きって、それだけ書けば良いと思うのにな。俺が詳しくないからなのかも知れないけど」
『いや、俺も同意見だ。作り手としても、浅い知識で批評されるよりは、正直な感想を一言で述べてもらった方が何倍も嬉しい。番組側は貴重な常連として良く取り上げているようだが……』
合点がいけば会話は噛み合う。言葉のキャッチボールを繰り広げながら、タローはもう一度、窓の外を眺めた。三日月がくっきりと浮かび上がった夜空の下、ラジオを聴きながら交わす他愛もない話。毎週の習慣はとても楽しくて、幸せな時間だ。今週のように、彼の唄が掛かる日は尚更話が弾むし、双方向から聴こえる彼の声に胸が一杯になる。……それなのに、今日はどうしたことだろう。
『まあ、つまるところは聴き手も十人十色ということだな。聴き手が十人いれば十通りの感じ方があるのだから、その一つとして聞く分には良いのかも知れないが。本来ならば………』
幸せな筈なのに、何処か物足りない。寂しい、とさえ感じる。先程の唄に当てられたのだろうか――…相手が好きで、ひたすら好きで、会いたいとか抱きたいとか四六時中思考を囚われる唄。
『見知らぬ人間にこうした感想を貰えるという事実(こと)自体が貴重で、ありがたいのだと思わなければならないんだろうが。
俺も少し、傲慢になってきたのかも知れない。……自省が必要だな』
正に、今の自分はあの唄の通りだとタローは思った。頭蓋の内側で残響するフレーズに同調してしまう――…君が好きだ、これは恋なんだ、好き過ぎて振り回されてしまうんだ。今だってこんなに、
『……ああ、喋り過ぎたか……悪い、タロウ』
「……………………」
Hold me tight、
『…………タロー?』
「……………………」
抱き締めたくて、抱き締められたくて仕方がないんだ。
作品名:HOLD ME NIGHT 作家名:桝宮サナコ