HOLD ME NIGHT
同じ月の下、同じラジオを聴いていながら、今、同じ場所にいないということが歯痒くてならない。いつものこと、当たり前のことが今夜に限って割り切れないのが彼の唄の所為だとしたら。それだけナカジの唄には影響力があるということだ。流石だ、などと一人で納得する。
人の心を動かす、彼の唄が好きだ。彼が好きだ。……何度となく巡る想いは大き過ぎて、その遣り場に困ってしまう。膨らむばかりの想いはきっと、我慢も妥協もしてはくれなくて、この身に訴え掛けてくるばかりだ。スキスキ、ダイスキ、ミタサレタイ。
『……寝たのか……?』
その声を直に聴きたい。その顔を見て話したい。もっと近くで、
『…………切るか……』
「ちょ、ちょっとっ! ま、待ってナカジぃっ!」
もっとナカジを感じていたいのだと、思い至ったところで通話終了を切り出されて、タローは慌てて制止を掛けた。鼓膜を突き破らんばかりの大声に不機嫌な声が返ってくる。『何だ、起きているのなら返事位しろ』と言うナカジに、タローは条件反射でへこへこと頭を垂れた。「あー……ゴメンッ! ちょっとぼ〜っとしちゃって」と謝りながら、またしても見遣る窓の外。雲一つない月夜に、笑った。
悪戯を思い付いた子どものように、にいっと、深い笑みを刻んで、ミニチェストの引き出しに手を掛ける。目印は魚のキーホルダー。
『結局のところ、眠いんじゃないのか? お前、昼型人間だろう』
「ううん、ヘーキだよ。……あっ、今掛かってる曲、聴いたことある!」
『そりゃまあ、『懐かしの名曲ロック』だしな。確かこれは……』
ナカジの熱いロック解説など上の空で、エンゼルフィッシュのキーホルダーを、そこに掛かった鍵を持って部屋を飛び出した。
が、忘れ物に気が付いてUターンする。電池式のラジオはポケットサイズ、とまではいかないが持ち運ぶには不自由のない大きさだ。話を合わせる為、彼にこの大移動を悟らせない為に持っていくことにする。廊下で出くわした姉に、タローは右の手を振った。
「あ、お姉ちゃん。俺、ちょっと出てくる」
左の手は携帯電話の送話口を塞いで、内緒内緒のプロジェクト。
「えっ? 出てくるって……タロー、今から? もう十時よ?」
「うん、ちょっとひとっ走り……ナカジんトコまで」
会いたくなって、しまったから。――会いに行って、しまおう。
そんな単純な動機に衝き動かされた、夜の散歩。呆然と佇む姉の不安を拭うように、「だーいじょーぶだって! 俺、オトコなんだしさ。自転車ですぐ行って帰って来るから!」とだけ言い残して家を出た。
エレベーターを待つ間も惜しく、階段を駆け下りつつ彼との会話では、家にいるのだと演技する。ラジオから流れてくるロックに合わせて高鳴る鼓動を抑えて、平然を装って。「これ良いね」だなんて。
「俺、こーゆーのスキ。ドラムじゃかじゃか〜、ギターぎんぎんっ」
『ああ、好きそうだな。お前、疾走感のある曲が好きだろう』
速いBPMの曲が掛かるラジオを籠に突っ込み、ランプを灯し、鍵を開けてスタンドを跳ね上げれば準備は完了。いざ、夜のサイクリングに出発だ。暗闇を切り拓くかのように駆け抜けて行く、プッシュバイク。言い方を変えれば多少格好は付く、古びたママチャリ。
「そーそー! 今の気分は『TRAIN−TRAIN』かなっ」
『どうしてそこでいきなりブルーハーツなんだよ……』
走って行け、何処までも。――電車なんかじゃないけれど。
君の街まで、飛べればいいのにな。――いや同じ町内だけれど。
思い付く限りのロックナンバーを今のシチュエーションに重ね合わせて、ペダルを漕いだ。力強い8ビートに攻撃的なリフの絡むインディーズロックと、パンクとロックの違いを考察するナカジの力説とが重なる。
『反社会的なロックイコールパンク、というわけでは必ずしもないだろう。確かに反社会概念はパンクの一要素ではあるが……』
ドライブのBGMとしては上出来だ。脇を擦り抜ける冷たい夜気が心地良い。人気のない夜道を快調に飛ばして、タローは片手でハンドルを切る。ぐるん、と大きくコーナリング。
『パンク・ロックはロックの一種だ。それは疑いようのない事実だが、パンクがパンク・ロックの略称である場合と、アメリカなどでそう呼ばれているハイテンポのポップミュージックである場合とがあるから、余計に分類が難しくなっているんだろうな』
「ホント……マジ難しい。俺、良い曲ならロックでもパンクでも良いんだけどなあ。L.A.メタルなんかも好きだしさ」
『まあ、それだけロックの定義が広く、その範疇に含まれないジャンルでも多少なりともロックの影響を受けている場合が多いということなんじゃないのか。逆に言えば、純粋なロックを定義する方が難しいのかも知れん。L.A.メタルもロックの一スタイルだろう』
「出た、ナカジのロック至上主義」
実のところ、話の内容なんて半分も理解出来ないのだが、ロックを語る時のナカジが普段とは打って変わって熱く、イキイキしているということだけは、彼がロック・ミュージックを愛しているという事実だけは分かり過ぎる程に分かっている。
故にそう茶化すと、またぶっきらぼうな声で『悪いか』と拗ねられた。「ううん」何かに熱中することが悪いだなんてことは、決してない。
「……妬けちゃうけどさ」
『…………は? ……今、何て』
ぼそっと口を衝いて出た失言は、幸いにも、ラジオのノイズか車体を取り巻く風にか掻き消されて、ナカジに届きはしなかった。ふう、と小さな溜息を吐いたタローだったが、その曇り顔はすぐに柔らかな微笑へと変わる。決して街灯の眩しさに目を細めたわけじゃない。
「何でもない。……うん、ナカジはそれで良いんだよ。ロックが凄く好きで、好きだから自分で歌って、演奏して、それでいつか」
“NO ROCK,NO LIFE.”を地でゆく彼が微笑ましいと、改めて思っただけだ。そう、ロックを排除したなら、ナカジじゃない。ならば、彼は彼らしくその道を貫き続ければ良い。この夜の新曲でさえも、未来へのワンステップに過ぎないのだろうから。
「日本中で……ううん、世界中でナカジのロックが流れるようになるんだって、俺、信じてるから――…」
今は、ハンドルの下で揺れる籠の中を満たすだけのインディーズ・ロッカー達はいずれ、この籠よりも大きな器を自分達の音で満たそうという野望を胸に秘めている。電話の相手の彼も、その例外ではない。
少しでも多くの人々に聴いてもらいたいと望むからこそ、小さなローカルFM番組ですら利用するのだ。例え、狭い範囲でしか流れない番組だとしても、自分の身近にいる人間の何倍もの聴衆に唄を届かせることは出来る。ナカジで言えば、いつも側にいる自分以外の見知らぬ誰かに響かせて、実際にファンも多数獲得している。
自分しか知らなかったナカジが、ナカジの唄が、大勢の知るところとなって皆で共有するものになる。それは彼にとってはとても喜ばしいことで、タローにとっては少し、寂しいことだった。独り占めしていた宝物が、横から伸ばされた手に掻っ攫われたかのような寂しさ。
作品名:HOLD ME NIGHT 作家名:桝宮サナコ