黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~
アダルト―LEAVE←TRAPED―
体育の時間だった。
グランドを五周、その後ラジオ体操とサーキットを三回。そうして準備運動をしているうちに、四角い顔に柔道耳の体育教師がやってきて、授業の内容を告げる。
本日は、予想通り――実にめでたいことに――長距離走だった。
それもこれも。ジャージ姿の皆守甲太郎はため息をついた。
「ったく、くだらねぇ……。何が長距離だ。ようは先公が何もしなくていいっつーだけだろ」
実際、サボるなとだけ言い残した体育教師は、さっさとグランドから退散していた。それでも皆、それなりに走り始めるのは、あの体育教師が不意打ちで戻ってくることがあるからだ。
半分歩きながら、いかに体育の授業なるものが無駄かを力説する。根拠は、人間の尊厳から世界情勢、日本の教育問題まで多岐に及んだ。
そんな演説をぶちかます理由は簡単だ。ささやかな意趣返し(いやがらせ)だった。
秋に野外と揃った好条件。少し時期が早い気もするが、これは、くる。授業の内容はきっとアレだ。陸上。それも、長距離と称して、グランドを授業時間中ぐるぐるだ。
やってられるかとばかりに、サボりを決め込もうとしていたところ、襟首をつかまれて更衣室に連れ込まれた。そのためだ。
「って、おい。御子神?」
たっぷりと演説をしおわったところで、観客のはずの相手がいないことに気づく。確かに、さっきまで傍らにいたはずなのに。
皆守がいたのは、最後尾の集団だった。走り始めたばかりだというのに死にそうな顔をしているのやら、あきらかに手を抜いているのやら。個性豊かな集団だ。
転ずれば、少し前に、普通に走る集団がいる。さらに前には、走りたい集団が。
一部、妙に熱血しているのは陸上部か何かだろうか? とはいえ、それらの例外を除けば、やはりというべきか、平均集団がもっとも多かった。
何も言わず先に行ったのだろうかと、先を走るクラスメイトの姿を確かめる。まさかと思いながら、順に早い方の人間に視線を移す。
目指す姿は、先頭をぶっちぎりで走る陸上部の近くにあった。だが、そこにいる理由は、熱心に長距離走の鍛錬を行っているためではない。
御子神京也、捜し求めた相手は、たまたまその辺りにいたに過ぎなかった。彼はいきなり周回遅れになっていた。先頭の熱血連中が、つぎつぎとそこを通過していく。
五人ほどが行ったところで、京也は足を止めた。
その様子を見、皆守は眉を寄せた。そして、ペースをあげ、京也のもとに向かう。
「……御子神?」
皆守がたどりついても、彼はそこを動かなかった。両の膝をてのひらで覆い、ぜぇぜぇと息を吐いている。
「どうしたんだ?」
「……むり……」
秒針が何週かしそうな間をおいて、小さな応えが返ってきた。
「は?」
「……むり……走る……」
皆守が近くにきて気が緩んだか、それとも返答で力を使い果たしたか。京也はぐったりとグランドに座り込んだ。
「……はぁ」
今にも死にそうな態(てい)の京也を見下ろし、皆守は、間の抜けた声を漏らした。無意識のうちに、てのひらがアロマを求めた。だが、体育の授業のために着替えたTシャツ短パンではそんなものはない。
「保健室、いくか?」
「……い……休め……なおる……体力……」
放っといてくれとばかりに、ひらひらと手が振られる。
「つっても、なぁ……」
「そこ! 何をサボっている!」
「そらきた」
立ち去ったはずの体育教師のダミ声に、皆守は目を細めた。
「せんせー、御子神が気分が悪くなったっつってんすけどー」
大またで近寄ってくる相手に、短パンのポケットに手をつっこんだまま、わざとらしい口調で、ゆっくりと告げる。
「何? おい、御子神、どうした」
「……」
息も絶え絶えという風情で、京也は首を横にふる。
「保健室、つれてきましょーか?」
京也は首を横に振っている。
四角いあごに手を当て、体育教師は唸った。
「仕方がないな。保健委員……は、まあいい、つれてけ。連れて行ったら戻って来い」
「うーっす」
適当な返事をしながら、京也に肩を貸して立たせる。あううだの、何だの情けない声をあげているのをひっぱり、保健室に向かう。
「……年かな」
「バーカ」
靴をはきかえながら呟かれた言葉に、面白そうに皆守は目を細めた。
「いや、マジ」
やけに真剣な声だった。引きずるようにして保健室につれていくと、ありがたくも主は留守で、一足お先にサボりを決め込んでいた夕薙がヒマそうにしていた。
大丈夫かと覗き込む彼に京也を押し付け、皆守は保健室を立ち去る。
もちろん、体育の授業に戻るためではない。
その日の午後、校内で皆守甲太郎の姿を見たものは、誰一人としていなかったらしい。
作品名:黄龍妖魔学園紀 ~いめくらもーどv~ 作家名:東明