雪都会
「今年は北の方だけではなく、日本全体が強い寒気に覆われます。東京も大雪になりそうです。
みなさん、外に出る時は防寒具を忘れず、風邪をひかないように気をつけて下さい。」
新人アナウンサーが多少かみながら一生懸命原稿を読む姿をテレビ越しに見つめながら、
新宿のいかにも高そうな高層ビルに住む情報屋、折原臨也は呆れ顔で外を見た。
「波江さん、寒くなるらしいから、明日から休みね。お疲れさん。また1月からよろしく。」
無言で鞄を肩に掛け、ドアを閉める波江を目の端に入れて、臨也はテレビを消した。
キッチンを覗くと、さっき波江が作ったものらしき珈琲が、白いか細い息の様な煙を
ゆらゆらと立ち昇らせて置いてあった。
微かに香ばしい香りのするその珈琲を両手で包みこみ、さっき波江の出て行った扉に
向かって微笑む。ただの作り笑いだ。見ていて気持ちいいものではない。
そっと、窓に近づき、真っ白に染まった都会の景色を目にやった。
寒い寒いと、駅から出てきたサラリーマンが手に息をかけながら足早にその場を
通り過ぎていく。こんな大雪を見たのは久々だった。
様々な考えを張り巡らしながら、臨也は飲み終わった珈琲カップを流し台に置いた。
暖房の効いているこの部屋は暖かいが、外に出たら世界が反転した様になる。いつもの
黒いファーのついたコートを深々と羽織い、更にはフードまで被って、臨也は真冬の
東京へ出かけた。
***
――――池袋東口マクドナルドにて
「静雄、お前寒くないのか?」
「そうでもないっすよ。店内暖かいですし。」
首につけていたリボンネクタイのホックを外し、右手に持っていたバニラシェイクを
飲む平和島静雄に、その目の前に座っていた田中トムは問いかけた。
「そういう問題じゃないだろ。外出る時の話だよ。そんな寒々しい格好して。」
「此処にいる時よりは寒いけど、別に『寒い』を連呼するくらい寒くはないですし。」
あまり話がかみ合ってない気もするが、それをトムが気に掛けている様子もない。彼らの
日常はいつもこうなのだ。常人から見たら、異様な気もするがそれはまた人それぞれである。
「にしても。」
「ん?」
「最近ノミ蟲の奴見かけないですね。寒いのか冬眠してるのかしらねぇけど、どうも
日頃のストレスが溜まってイライラしちまって。」
「へぇ、静雄から臨也の話を持ちかけるのは、久々だな。というか一度もなかった
気もするけど。」
「そうっスか?」
「イライラするからってあんまり静雄も話してないし、俺も静雄がイライラすんのは
困るし。だからあんまりそいつの話してなかったけど。」
「そうっすね。」
「今日は機嫌良さそうってのは図星か。なんかいい事あったのか?」
「別に、ないんですけど。ブクロに雪がこんなに積もるってあんまり無いから、ちょっと
餓鬼っぽいですけど、嬉しくって。」
「成程、そういうことか。」
淡々と会話を続ける二人に、何の変わりもなく、いつもより人から受ける異常な視線も
少なかった。たった一人を除いて、は。
「いつあんなに人間らしくなったんだか。」
ただでさえ寒い外気を、余計凍らすような静けさ纏う声が聞こえた。店外からの為、静雄やトムには聞こえていないようだが、声の主は完全に二人を凝視している。
「…くせぇ。」
「ん、え?どうした静雄?」
一気に顔を引き攣らせた静雄に、トムはポカンと呆けた顔をした。静雄はイライラしだしたのか、手に持っていたシェイクをぐしゃり、と潰すと立ち上がった。
「なんっかイライラすんだよな。無駄に、誰か殴りたいっつーか。」
「近くに、その、あいつがいんのか?」
「そんな気がするだけっす。いるかは分んないけど、なんか、くせぇ。」
「会計済ましといてやっから、殴りに行ったらどうだ?」
「すみません。一回殴ってきます。」
とう言ったのち、静雄は沸騰し始めた怒りを抑えながら、外に出た。
「セーフ…か。」
トムは帰ってくるまで気長に待とう、と考え、そのまま席で携帯を開いた。
「ああ゙?!くっそ、くせぇ、ノミ蟲くせぇ、冬眠してやがると思ってた俺が駄目だった
か、いぃや、あいつが悪い、全部あいつが、くっそおおおおぉおぉぉお゙!!」
独り言とは思えない程大きな声をあげながら、静雄は臨也を探すべく池袋を走っていた。
怒りが爆発しそうになったら、そこらへんの標識やらガードレールやらを抜き、それを
片手にまた走りだす。
そして、途中で少し立ち止まると、自分の右側にひらけていた暗い路地裏に目を通した。
ひゅう、と細い風が路地裏を吹き抜ける。
静雄はピキリ、と標識を握る力を強くすると、路地裏に向かってまた走り始めた。
「やぁ、シズちゃん。」
唐突な背後からの声。爽やかで、水面を滑る風のような声、だが少し奥へ踏み込めば、
何処か黒い感じがした。
静雄の怒りが低い沸点に達する。
「おうよ、やっと見つかったなぁ、いぃぃぃぃざあぁぁぁやああぁぁぁぁ!!!!」
怒涛の様に叫ぶ静雄に軽蔑的な視線を送り、臨也は服の袖付近から掌に滑らせた自信愛用
のバタフライナイフを静雄に向ける。
「見つけるの早いね。流石は化け物だ。こんなんじゃ、いつか俺のパルクールも追いつ
かなくなっちゃうな。ねぇ?シズちゃん。」
にっこりと憎たらしく笑う臨也に、静雄は怒りを抑えられず手に持っていた道路標識を
目の前にいる臨也に投げつける。
実に素早く、蛇足の無い動き。
「あーぶなーい。」
だが、それをも臨也はするりと横に飛んで避け、獣のような目で此方を見る男を嘲笑する。
楽しそうに、楽しそうに、だがそれは「楽しい」という言葉を具現化した笑みではなく、
ただ相手を不快にさせるだけの「嘲り」として相手に捉えられる。
「折角、ずっと会ってなかったから平和に過ごしてたのによォ。なぁにこんな時になって
改めてノコノコとやってきやがったんだぁ?」
「君の口から『平和』って言葉が出るのはジョークにしか聞こえないよ?シズちゃん。
ていうか今気付いたけどさぁ、何なのその格好。寒いとか感じないわけ?」
「あぁ?どれだけ相手に寒そうだとか思われても、自分が寒くなければ問題ねぇだろ?
つーか、何だ、いきなり人の体調気遣うような気持ち悪ぃことすんな。ノミはノミとして
冬眠場所で裸で震えてりゃいいんだ。」
「言ってる意味が分からないけどツッコまないでおくよ。てか、何でそこで冬眠とノミと
俺以外で裸っていう単語が出てくるのかな、まさかそういう想像しちゃったの?
やぁだなぁ、シズちゃんの変態。」
余裕気な笑みを浮かべて、静雄より上の何処かの家のベランダの淵から話しかけてくる
臨也に、周りにあった持ちやすそうなものを投げつけて、静雄は動きを止めた。
みなさん、外に出る時は防寒具を忘れず、風邪をひかないように気をつけて下さい。」
新人アナウンサーが多少かみながら一生懸命原稿を読む姿をテレビ越しに見つめながら、
新宿のいかにも高そうな高層ビルに住む情報屋、折原臨也は呆れ顔で外を見た。
「波江さん、寒くなるらしいから、明日から休みね。お疲れさん。また1月からよろしく。」
無言で鞄を肩に掛け、ドアを閉める波江を目の端に入れて、臨也はテレビを消した。
キッチンを覗くと、さっき波江が作ったものらしき珈琲が、白いか細い息の様な煙を
ゆらゆらと立ち昇らせて置いてあった。
微かに香ばしい香りのするその珈琲を両手で包みこみ、さっき波江の出て行った扉に
向かって微笑む。ただの作り笑いだ。見ていて気持ちいいものではない。
そっと、窓に近づき、真っ白に染まった都会の景色を目にやった。
寒い寒いと、駅から出てきたサラリーマンが手に息をかけながら足早にその場を
通り過ぎていく。こんな大雪を見たのは久々だった。
様々な考えを張り巡らしながら、臨也は飲み終わった珈琲カップを流し台に置いた。
暖房の効いているこの部屋は暖かいが、外に出たら世界が反転した様になる。いつもの
黒いファーのついたコートを深々と羽織い、更にはフードまで被って、臨也は真冬の
東京へ出かけた。
***
――――池袋東口マクドナルドにて
「静雄、お前寒くないのか?」
「そうでもないっすよ。店内暖かいですし。」
首につけていたリボンネクタイのホックを外し、右手に持っていたバニラシェイクを
飲む平和島静雄に、その目の前に座っていた田中トムは問いかけた。
「そういう問題じゃないだろ。外出る時の話だよ。そんな寒々しい格好して。」
「此処にいる時よりは寒いけど、別に『寒い』を連呼するくらい寒くはないですし。」
あまり話がかみ合ってない気もするが、それをトムが気に掛けている様子もない。彼らの
日常はいつもこうなのだ。常人から見たら、異様な気もするがそれはまた人それぞれである。
「にしても。」
「ん?」
「最近ノミ蟲の奴見かけないですね。寒いのか冬眠してるのかしらねぇけど、どうも
日頃のストレスが溜まってイライラしちまって。」
「へぇ、静雄から臨也の話を持ちかけるのは、久々だな。というか一度もなかった
気もするけど。」
「そうっスか?」
「イライラするからってあんまり静雄も話してないし、俺も静雄がイライラすんのは
困るし。だからあんまりそいつの話してなかったけど。」
「そうっすね。」
「今日は機嫌良さそうってのは図星か。なんかいい事あったのか?」
「別に、ないんですけど。ブクロに雪がこんなに積もるってあんまり無いから、ちょっと
餓鬼っぽいですけど、嬉しくって。」
「成程、そういうことか。」
淡々と会話を続ける二人に、何の変わりもなく、いつもより人から受ける異常な視線も
少なかった。たった一人を除いて、は。
「いつあんなに人間らしくなったんだか。」
ただでさえ寒い外気を、余計凍らすような静けさ纏う声が聞こえた。店外からの為、静雄やトムには聞こえていないようだが、声の主は完全に二人を凝視している。
「…くせぇ。」
「ん、え?どうした静雄?」
一気に顔を引き攣らせた静雄に、トムはポカンと呆けた顔をした。静雄はイライラしだしたのか、手に持っていたシェイクをぐしゃり、と潰すと立ち上がった。
「なんっかイライラすんだよな。無駄に、誰か殴りたいっつーか。」
「近くに、その、あいつがいんのか?」
「そんな気がするだけっす。いるかは分んないけど、なんか、くせぇ。」
「会計済ましといてやっから、殴りに行ったらどうだ?」
「すみません。一回殴ってきます。」
とう言ったのち、静雄は沸騰し始めた怒りを抑えながら、外に出た。
「セーフ…か。」
トムは帰ってくるまで気長に待とう、と考え、そのまま席で携帯を開いた。
「ああ゙?!くっそ、くせぇ、ノミ蟲くせぇ、冬眠してやがると思ってた俺が駄目だった
か、いぃや、あいつが悪い、全部あいつが、くっそおおおおぉおぉぉお゙!!」
独り言とは思えない程大きな声をあげながら、静雄は臨也を探すべく池袋を走っていた。
怒りが爆発しそうになったら、そこらへんの標識やらガードレールやらを抜き、それを
片手にまた走りだす。
そして、途中で少し立ち止まると、自分の右側にひらけていた暗い路地裏に目を通した。
ひゅう、と細い風が路地裏を吹き抜ける。
静雄はピキリ、と標識を握る力を強くすると、路地裏に向かってまた走り始めた。
「やぁ、シズちゃん。」
唐突な背後からの声。爽やかで、水面を滑る風のような声、だが少し奥へ踏み込めば、
何処か黒い感じがした。
静雄の怒りが低い沸点に達する。
「おうよ、やっと見つかったなぁ、いぃぃぃぃざあぁぁぁやああぁぁぁぁ!!!!」
怒涛の様に叫ぶ静雄に軽蔑的な視線を送り、臨也は服の袖付近から掌に滑らせた自信愛用
のバタフライナイフを静雄に向ける。
「見つけるの早いね。流石は化け物だ。こんなんじゃ、いつか俺のパルクールも追いつ
かなくなっちゃうな。ねぇ?シズちゃん。」
にっこりと憎たらしく笑う臨也に、静雄は怒りを抑えられず手に持っていた道路標識を
目の前にいる臨也に投げつける。
実に素早く、蛇足の無い動き。
「あーぶなーい。」
だが、それをも臨也はするりと横に飛んで避け、獣のような目で此方を見る男を嘲笑する。
楽しそうに、楽しそうに、だがそれは「楽しい」という言葉を具現化した笑みではなく、
ただ相手を不快にさせるだけの「嘲り」として相手に捉えられる。
「折角、ずっと会ってなかったから平和に過ごしてたのによォ。なぁにこんな時になって
改めてノコノコとやってきやがったんだぁ?」
「君の口から『平和』って言葉が出るのはジョークにしか聞こえないよ?シズちゃん。
ていうか今気付いたけどさぁ、何なのその格好。寒いとか感じないわけ?」
「あぁ?どれだけ相手に寒そうだとか思われても、自分が寒くなければ問題ねぇだろ?
つーか、何だ、いきなり人の体調気遣うような気持ち悪ぃことすんな。ノミはノミとして
冬眠場所で裸で震えてりゃいいんだ。」
「言ってる意味が分からないけどツッコまないでおくよ。てか、何でそこで冬眠とノミと
俺以外で裸っていう単語が出てくるのかな、まさかそういう想像しちゃったの?
やぁだなぁ、シズちゃんの変態。」
余裕気な笑みを浮かべて、静雄より上の何処かの家のベランダの淵から話しかけてくる
臨也に、周りにあった持ちやすそうなものを投げつけて、静雄は動きを止めた。