紅魔驚
1章 驚符『始まりの紅い種』
キィ、と僅かに軋む木扉を開けて大きな紅い部屋へと魔法使い、パチュリー・ノーレッジは入った。
久しぶりに上がってきた紅魔館の一室を軽く見まわす。
床には高級そうな紅い絨毯が端から端まで敷き詰められており、壁には何を描いたかすらわからない絵画や無駄に重そうなわけのわからないものが吊るされていたりする。
部屋の所々にはもう何年、いやもう何百年経ったかわからないアンティークなども置かれている。これだけのもの塵・傷なく統一感を保っていられるのは、一重にメイド長のおかげであろう。
「何をしているの? あなたで最後よ、早く座りなさい」
幼いのに偉そうな声が部屋の真ん中にドンと置かれた長机の上座、そこに座るまるで十にも満たない幼児の姿が見えた。
しかし、すぐには幼児の意図には従わず窓へと視線を向ける。
やはり塵・汚れ一つない遮光性の紅いカーテンが全ての窓を覆い完全に光を遮断している。普段は外の光なんて届きようのない薄暗い地下の大図書館に引きこもっている身としては、半年ぶりの上階は少々明るすぎるほどであるが・・・。
「わたしのことはよっぽどのことがない限り呼ばないでと言ったはずだけど。ただでさえ身体が弱いんだからレミィ、あなたが来ればいいのよ」
「あんなカビ臭い所でずっといるから身体が弱るんでしょ。たまには換気しなさい、ってそんなことはどうでもいいの! よっぽどのことがあったから呼んだのよ!」
「そうでしょうね。でなきゃ、こんな朝から全員を一カ所になんか集めないものね」
「っ、わかってるなら―――」
「まぁまぁ、お嬢様。パチュリー様も来られたことですし、そろそろお話を進めてはどうでしょう?」
絶妙なところで、パチュリーにレミィと呼ばれた幼児の後ろに控えたメイド長、十六夜咲夜が話の進行を促す。
それを「ふん」っと鼻を鳴らすだけで紅魔館の主、レミリア・スカーレットは答えた。
咲夜の方をチラッと見るが、にこやかな笑みだけで何も語ろうとはしない。
珍しく咲夜も今回のレミィの「思いつき」を知らないようだ。まあ、レミィの突然かつ突拍子もない「思いつきは」今に始まったことではないので別段取り上げてどうこう言ううつもりはないが・・・、今回は門番の紅美鈴や妖精メイド達まで集めていることに違和感があった。
私が席に着くと、レミィはこれで全員そろったとでもいうように軽く頷くような仕草の後、語りだそうとして、
「あ、あの・・・」
突然の横やりに、邪魔をされたレミィだけではなく小悪魔やメイド達までその声の発生源へと目を向けた。
急な視線の集中砲火に声の主である美鈴はしばらく短音しか発せられなくなるが、主人のレミリアに睨まれ息すら怪しくなる。決して鋭いものではなかったが、その場のあまりの重圧に声も出せない。
「お嬢様、紅茶が冷めてしまってますね。今新しいのをお持ちいたします」
レミリアの後ろに静かに控えていた咲夜がその場の空気を裂くようにして、急にレミリアの前のマグカップを持ってすうっと消えた。と思った瞬間。
―――カチャッ。
陶器の心地よい音が前から響いてきた。見ると白いマグカップから湯気が薄く立ち上り、落ち着いた香りが漂ってくる。淹れたての紅茶は透きとおったという表現がしっくりくるような綺麗な紅茶色。卓上にはちゃんとお茶請けのお菓子まで出ている。
「咲夜、能力を無駄に使うなといつもいっているでしょ」
「申しわけありません」
即答するものの口元が完全に笑っている。これは聞く気がないと諦めたのか、今出されたばかりの紅茶に口をつける。
顔から察するに、味は満足いくものだったらしい。いくぶんか眼の力が弱まっている。
わたしも普段飲むのは紅茶だが、図書館に引きこもっているため入れるのは小悪魔であることが多い。
「確かに、これはおいしいわね」
口の中で呟くように言った言葉が聞こえたのか。小悪魔が申し訳なさそうに頭を下げている。
「あなたが悪いわけじゃないわ。ただ、そこのメイド長が優秀すぎるだけよ」
それに当然とばかりに小さな胸を張る。
「当然でしょ。咲夜は私のメイドよ。完全で瀟洒、私に仕えるのにふさわしい最高のメイドよ」
レミィは随分と得意げな様子だけどおそらくその行動の全てを理解してはいないだろう。
普段の咲夜ならあの場合、何も言わずベストなタイミングで新しい紅茶を用意しただろう。しかし、わざわざ声をかけてから行動したのは美鈴への注目をそらすとともに本人に落ち着く暇を与えるためだったのだろう。
現に美鈴は「助かりました~、咲夜さん」と言うかのように無言で咲夜に対して頭を下げている。
それに対しても軽くほほ笑むようにして答え。レミィに、
「お嬢様、美鈴から何かあるようです」
「なぁに? 早くいいなさい」
先とは違って、いくぶんかゆるんだ感じでの問いかけとなっていた。
「あ、あのですね。妹様の姿だけが見えないような気がするのですが・・・」
その発現だけで、妖精メイド全員の間で「ピシリッ」という音が聞こえたような気がした。もちろんそれは比喩であるが、実際そこの空気が固まったのは事実だ。
それだけ「妹様」という単語が、このメイド達にとって強い意味を持つ言葉であることが明白であった。
だが、それに対してレミィの反応はそれほど気に留めるようなことではなかったようでそっけないものだった。
「ああ、フラン? あの子のことはいいわ。どうせ今回のことには関係ないから」
「そ、そうですか」
美鈴はそれっきり反論はしなかった。まあ、反論するだけ無意味だが。
しかし、余計なことで時間を取られたくない。そろそろ図書館に戻って研究の続きもしたいし用件だけでも聞いて、後は咲夜にでも任せよう。
「で、夜の王たる吸血鬼のあなたがこんな朝日眩しい時間から何の用なの?」
「あ、あ~。それ? それね・・・」
「?」
レミィは急に話題を戻されたことへの驚きなのか、挙動不審気味になって様子がおかしい。心なしか顔も赤い気がする。いつもの自信に満ちたものではなく、どこか恥ずかしがるように指や足を左右でこすり合わせたりなんてしていた。
これにはさすがに私も驚いた。普段から年(見た目)相応の言動で周りを困らせることは多々あったが、こんなレミィを見るのは初めてだ。これではまるで、いやそれはさすがに早合点が過ぎるか・・・。
しかし、この異常事態にも動じず静かに立つ咲夜を見る。少なくとも咲夜なら私の思いつかない正確な対処ができるであろうという期待のもとであったが・・・。
つぅ――――――。
完全で瀟洒なメイド長、十六夜咲夜は主の異常行動を前にして静かに鼻血を垂らしていた。よくよく見れば、笑顔もどこかいつもの余裕からのものではなく至福といった感じではないか?
咲夜は頼りにならないということが判明した以上、自分が話の続きを促さねばならないと察し、
「で、いったい何なの? 用事がないのなら早々に私は戻らせてもらうけど」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! パチェ! い、今から話すから」