鼓動の滴2
案の定、三年生にとっては負ければ最後になる公式試合にも、駆は選手登録さえされないらしい。
国松が、監督に進言したが素気無く却下された。
理由はもちろん、弱点の左と、精神力の弱さ。
肝心の場面で役に立たない、と言い切られた。
頑固親父の頭は、想像以上に固かったのである。
期待を込めて、陰からこっそり固唾をのんで見守っていた奈々は「あの頑固おやじ~」と今にも飛び出して行きそうな勢いだ。
そんなとき、
「セブン、ボール取ってー」
噂の当事者が、なんとも呑気な声で近づいてきた。
コロコロと転がってくる罪のないボールに、奈々の八つ当たりが炸裂した事は言うまでもない。
見事なボールコントロールは、こんな時も遺憾なく発揮された。
頑固親父の石頭を、ものの見事に直撃する。
そして恐ろしい形相で振り返った監督の目の前に、いかにもボールを拾いに来た哀れな駆の姿があったのである。
身に覚えのない痛烈な報復を受けて、駆にとってはまさに泣きっ面に蜂のような事件であったが、この日を境に一年生の駆を見る目が変わっていった。
それは祐介のフォローのお陰だったが、監督以外のチームメイトに駆が認められるきっかけとなったのである。
その夜、グレイマスク=奈々が、自分と同じ高校に行くと言ってくれた。
駆は、新たな気持ちでサッカーをするためにも鎌学を出ることをきめていたのだ。
奈々の真意は知らないが、ともかく新たな道への道連れが少なからず好意を寄せている少女で、嬉しくないはずはなかった。
なんだかとても幸先がいい。
これで試合にも出られたらもっといいんだけど、などと、調子のいいことを思いながら、単純な駆はとても上機嫌になった。
実はこの頃から、駆は再び傑の声を聞くようになっていた。
入院していた頃よりも、それはずっと確信に近い感覚となって・・・・・・
夢の中ではもちろん、最近では白昼夢のように不意に傑の声を聞くときがある。
とは言っても、それははっきりとした言葉というより、ぼんやりとそう感じているんだな、とわかる程度のものだ。
あきらかに自分なら考えないようなことを、ふと思ったり考えたりすることがある。
はじめはよくわからなかったが、それがもしかしたら傑が感じているのではないかと思ったのだ。
事故の後、駆の体調に神経質になっている両親に、こんなことが言える筈もなく、カウンセラーの峰にさえ打ち明けていない。
日ごとはっきりしてくる兄の意識。
しかし、始めの頃こそ混乱していた駆だが、元来の大雑把な性格が幸いしてかそれほど深刻には受け止めてはいなかった。
夢で逢う傑はいつも穏やかで、意識で触れる兄の思考はどこまでも駆に優しかった。
はっきり言うと、駆も本当の意味で傑の存在を信じていたわけではなかったのかもしれない。
ただ、肉体の一部を共有しているのだから、そんなこともあるのかもしれないな、と勝手に解釈していただけだった。
けれど、運命の日は唐突にやってきたのである。
いつものように、駆は傑の夢を見ていた。
とりとめのない会話や、小さな頃の思い出話し。
起きたら、そのほとんどを忘れてしまうようなぼんやりとした、いつもの夢。
だが、今日は様子が違った。
はっきりとわかる。
これは夢だと。
駆は、夢の中で自分が夢の中にいる事を確信した。
確認するように、掌をひらひらと動かしてみる。
夢だとわかっていてもちゃんと体があるように感じた。
どうやら夢の中でまでサッカーのユニフォームを着ているようだ。
ゼッケンを貰ってないところまでリアルな演出だ。
思わず苦笑していると、
「駆!」
と、よく知った声が、自分の名前を呼んだ。
もう、随分と聞いてない・・・、オレを呼ぶ声。
姿を確認するまでもない。
一気に目頭が熱くなる。
「に、兄ちゃ・・・ん?」
つぎつぎに溢れる涙でぼやける視界。
そこには間違いようのない人物が立っていた。
「なんて顔してんだ、お前は。だいたい、なんでいきなり泣いてるんだよ?」
当たり前のように兄の顔がそこにあった。
予想通りいつものユニフォーム姿だ。
しかも十番のゼッケンが燦然と輝いている。
「だって、だって・・・久しぶりで、オレ」
「久しぶり?ああ、やっぱりそうか!」
「・・・え?」
「そうだと思った、お前、ずっとはっきりと意識がなかったんだな?」
納得したとばかりの兄に、駆はワケもわからず呆然とする。
「意識?なんのこと」
「今までだよ、オレ達ずっと前から会ってるだぜ?」
「や、うん、兄ちゃんに会ってたような気はするけど、でもこんな風に話したのは初めてだから・・・・・・」
「初めてなものか。オレは最初から普通に会話してたぞ。なのにお前ときたら、時々トンチンカンなことを言い出したりしてな、絶対に寝ぼけてるなあとは思ってたけど」
楽しそうに笑う傑に、まるで鳩が豆鉄砲でも食らったかのように、駆はその様子を凝視していた。
「なんだ?またそんな顔をして」
「いや、なんか・・・・・・これって夢だよね?めちゃくちゃはっきりしてて、なんというかすごく変な感じ。本当に兄ちゃんと話ししてるみたいだ」
「おいおい、まだ寝てるのか?あ、そうか実際には寝てるんだったか。って、そうじゃなくて、お前は正真正銘オレと話しをしてるんだよ」
んー、どうやって話すべきか、と前置きをして傑が続ける。
「ま、オレもまだ信じられないんだが、こうしてオレの・・・、逢沢傑の意識はちゃんとお前の中に存在するんだ」
「オレ・・・・・・」
「ん?」
「オレ、頭がおかしくなったかも」
「・・・・・・駆?」
「兄ちゃんが、自分が兄ちゃんだって言ってる」
これって、オレの想像?夢だから、願望?
とかなんとか言いながら、駆はオタオタと動揺している。
そりゃ、オレの中に兄ちゃんの心臓があるんだから、兄ちゃんの僅かな意識や気持ちの欠片みたいなものを受け継いでも、ちっともおかしいことじゃない。
でも、これは違うよね?
欠片どころか、意識の本体だもん、親玉だよーっ
これを現実として受け止めるには、駆はとても平凡でありすぎた。
「そうか、夢だ!」
ぽん、と手を叩く。
「ね、兄ちゃん!これ夢だったよ、そういえば」
「まあ、これは確かに夢だけどな」
じたばたと往生際悪く現実逃避しようとする弟を、傑はしばらく観察したあと、にーっこりと笑った。
世間一般には、普通の微笑みにしか見えなかったかもしれない。
けれど駆は知っていた。
この兄の顔は、とてつもなく状況を楽しんでいる時の笑顔だった。
自分の夢な筈なのに、
駆には兄が何を考えているのか、まったくもってわからなかった。
<つづく>