傷のない鍵
１．
凌牙の召喚したエアロ・シャークが、勢い余って給水タンクを突き破った。大音響と共に大量の水しぶきが屋上にいたデュエリスト二人に降りかかる。
「ひゃはははっ、何だこれ！ 冷てえっ！」
頭から水を引っ被り、遊馬が素っ頓狂な声を上げた。瞬く間にびしょ濡れになる髪と制服に、冷たいと言っては声高く笑う。
虹のかかる水しぶきの合間を悠々と泳ぐエアロ・シャーク。相手フィールドには、ガガガマジシャンの服の裾に急いで潜り込もうとするベビー・トラゴン。彼らの主はその後ろで右へ左へと笑いながら駆け回っている。
はしゃぐ遊馬の胸に、水滴を弾いてきらきらと光るものがある。その金色の光から逃れるように、凌牙はそっと目を伏せた。
それは、凌牙が初めて遊馬に対面した日からずっとそこにあった。遊馬がいつも身につけている「皇の鍵」は。
凌牙に「大事なもの」を問われて、遊馬はすぐさま鍵に目を向けた。彼のあからさまな反応はもちろん、一点の傷も曇りもないそれは、普段から大事にされているということを雄弁に物語っていた。
だから、凌牙はそれを壊した。遊馬から鍵を奪い取り、目の前で力いっぱい踏みつけて壊し、かけらは適当にそこら辺に投げ捨てた。あの日の遊馬の表情と言葉にならない声は、凌牙に一種の爽快感をもたらした。遊馬が鍵の残骸を性懲りもなく身に着けていた時には、そんな物にすがる彼を笑ってやったのだった。
そう、あの鍵は確かに真っ二つに壊れたのだ。なのに、デュエルの最中、鍵は元通りに直っていた。凌牙が二度目に触れた時、鍵に傷は一つも残っていなかった。接着剤で繋いだ跡も、工具で溶接した跡もなく。鍵を握り締めた凌牙の手は、それが確かに同一のものであると告げていた。
紆余曲折あって、凌牙が遊馬の「仲間」になった後も、鍵は何食わぬ顔で遊馬の胸を飾り続けている。
デュエルを終えて、凌牙と遊馬は二人して給水塔に腰かけていた。
「いやー、すごかったなさっきのデュエル！ 水がばーって降ってさあ！」
凌牙の右に座っている遊馬は、先ほどのデュエルの興奮を抑えきれない様子で、脚をぶらぶらさせながらカード片手に凌牙に熱く語りかけている。
この給水タンクは、デュエルでエアロ・シャークに盛大に破壊された。その痕跡は、今では一ミリたりと残っていない。ずぶ濡れになって透けていた二人のシャツも、元の通りにさらさらと乾いている。周辺がどんなに破壊されようが、デュエルが終了すると全て修復されるのがARビジョンの便利なところであり、また何とも味気ないところでもある。
――陸王・海王の一件以来、「居場所」をなくした凌牙は再び学校に通い始めた。……とは言っても飛び飛びで、だが。しかし、遊馬は一体どうやって嗅ぎつけてくるのか、凌牙が登校してきた日には毎回凌牙の前に現れる。
つい先日には、昼食時間に自主的に早退しようとしていた凌牙のところに来て、
「シャーク！ 一緒にメシ食おーぜ！」
と言って、凌牙の返答を待たずに腕をつかんで引っ張って行った。強引そうで意外と丁重な扱いに少々驚いていた凌牙だったが、自分たちの行先を知るや否や顔を引きつらせた。遊馬は凌牙を、一年の教室にまで連れて行こうとしていたのだ。
権威が失墜したとはいえ、この学校では凌牙は未だに札付きの不良だ。そんな生徒が一年生になす術もなく引きずられていく光景は、どうやっても周囲の注目を集めてしまう。
赤やピンクの制服連中が、恐々としかし興味しんしんで凌牙を見ている。凌牙がじろりとにらみつけると、彼らは慌てて目をそらす。中には、同級生の陰に身を隠す者もいた。それでもしっかり目は凌牙たちの方を向いている。
彼らは凌牙にとっては取るに足らない雑魚でしかないが、それでも彼らの視線は不愉快だった。これでは体のいい見せ物だ。凌牙には、自分の顔が見る見るうちに赤らむのが分かった。
教室内に連れ込まれる数歩手前で、とうとう凌牙は遊馬の手を振り払った。背後で呼んでいる遊馬に構わずその場を去り、結局は残り半日の間街中を当て所もなくさまようことになった。
そんな形ではね退けてもなお、遊馬は何事もなかったかのように凌牙に会いに来るのだった。――流石に、一年の教室に引きずって行くのだけは止めてくれたが。
――こいつは、オレに何を望んでるんだ？
凌牙は真剣に悩んでいた。
これまでは、取り巻き連中が凌牙からの見返りを求めて凌牙の傍にいた。さながら、餌のおこぼれにあずかろうと鮫にしがみ付く小判鮫だ。
しかし、遊馬は彼らとは全く違う。好き好んで凌牙に引っ付いてはいるが、凌牙からの見返りを一切求めはしない。小判鮫でも雑魚でもない、今までに付き合ったことのないタイプの人間だ。そんな彼をどう扱うべきか、凌牙には見当もつかなかった。
試しに、面と向かって遊馬に問うてみると。
「えー、見返り？ そんなの、オレにはよく分かんねえし。仲間って、そういうもんじゃねえだろ？ ――どうしても言わなきゃ駄目？ だったらオレは、シャークとデュエルしたいかな、うん」
なので、凌牙は遊馬とのデュエルを可能な限り受けて立つことにした。
凌牙の召喚したエアロ・シャークが、勢い余って給水タンクを突き破った。大音響と共に大量の水しぶきが屋上にいたデュエリスト二人に降りかかる。
「ひゃはははっ、何だこれ！ 冷てえっ！」
頭から水を引っ被り、遊馬が素っ頓狂な声を上げた。瞬く間にびしょ濡れになる髪と制服に、冷たいと言っては声高く笑う。
虹のかかる水しぶきの合間を悠々と泳ぐエアロ・シャーク。相手フィールドには、ガガガマジシャンの服の裾に急いで潜り込もうとするベビー・トラゴン。彼らの主はその後ろで右へ左へと笑いながら駆け回っている。
はしゃぐ遊馬の胸に、水滴を弾いてきらきらと光るものがある。その金色の光から逃れるように、凌牙はそっと目を伏せた。
それは、凌牙が初めて遊馬に対面した日からずっとそこにあった。遊馬がいつも身につけている「皇の鍵」は。
凌牙に「大事なもの」を問われて、遊馬はすぐさま鍵に目を向けた。彼のあからさまな反応はもちろん、一点の傷も曇りもないそれは、普段から大事にされているということを雄弁に物語っていた。
だから、凌牙はそれを壊した。遊馬から鍵を奪い取り、目の前で力いっぱい踏みつけて壊し、かけらは適当にそこら辺に投げ捨てた。あの日の遊馬の表情と言葉にならない声は、凌牙に一種の爽快感をもたらした。遊馬が鍵の残骸を性懲りもなく身に着けていた時には、そんな物にすがる彼を笑ってやったのだった。
そう、あの鍵は確かに真っ二つに壊れたのだ。なのに、デュエルの最中、鍵は元通りに直っていた。凌牙が二度目に触れた時、鍵に傷は一つも残っていなかった。接着剤で繋いだ跡も、工具で溶接した跡もなく。鍵を握り締めた凌牙の手は、それが確かに同一のものであると告げていた。
紆余曲折あって、凌牙が遊馬の「仲間」になった後も、鍵は何食わぬ顔で遊馬の胸を飾り続けている。
デュエルを終えて、凌牙と遊馬は二人して給水塔に腰かけていた。
「いやー、すごかったなさっきのデュエル！ 水がばーって降ってさあ！」
凌牙の右に座っている遊馬は、先ほどのデュエルの興奮を抑えきれない様子で、脚をぶらぶらさせながらカード片手に凌牙に熱く語りかけている。
この給水タンクは、デュエルでエアロ・シャークに盛大に破壊された。その痕跡は、今では一ミリたりと残っていない。ずぶ濡れになって透けていた二人のシャツも、元の通りにさらさらと乾いている。周辺がどんなに破壊されようが、デュエルが終了すると全て修復されるのがARビジョンの便利なところであり、また何とも味気ないところでもある。
――陸王・海王の一件以来、「居場所」をなくした凌牙は再び学校に通い始めた。……とは言っても飛び飛びで、だが。しかし、遊馬は一体どうやって嗅ぎつけてくるのか、凌牙が登校してきた日には毎回凌牙の前に現れる。
つい先日には、昼食時間に自主的に早退しようとしていた凌牙のところに来て、
「シャーク！ 一緒にメシ食おーぜ！」
と言って、凌牙の返答を待たずに腕をつかんで引っ張って行った。強引そうで意外と丁重な扱いに少々驚いていた凌牙だったが、自分たちの行先を知るや否や顔を引きつらせた。遊馬は凌牙を、一年の教室にまで連れて行こうとしていたのだ。
権威が失墜したとはいえ、この学校では凌牙は未だに札付きの不良だ。そんな生徒が一年生になす術もなく引きずられていく光景は、どうやっても周囲の注目を集めてしまう。
赤やピンクの制服連中が、恐々としかし興味しんしんで凌牙を見ている。凌牙がじろりとにらみつけると、彼らは慌てて目をそらす。中には、同級生の陰に身を隠す者もいた。それでもしっかり目は凌牙たちの方を向いている。
彼らは凌牙にとっては取るに足らない雑魚でしかないが、それでも彼らの視線は不愉快だった。これでは体のいい見せ物だ。凌牙には、自分の顔が見る見るうちに赤らむのが分かった。
教室内に連れ込まれる数歩手前で、とうとう凌牙は遊馬の手を振り払った。背後で呼んでいる遊馬に構わずその場を去り、結局は残り半日の間街中を当て所もなくさまようことになった。
そんな形ではね退けてもなお、遊馬は何事もなかったかのように凌牙に会いに来るのだった。――流石に、一年の教室に引きずって行くのだけは止めてくれたが。
――こいつは、オレに何を望んでるんだ？
凌牙は真剣に悩んでいた。
これまでは、取り巻き連中が凌牙からの見返りを求めて凌牙の傍にいた。さながら、餌のおこぼれにあずかろうと鮫にしがみ付く小判鮫だ。
しかし、遊馬は彼らとは全く違う。好き好んで凌牙に引っ付いてはいるが、凌牙からの見返りを一切求めはしない。小判鮫でも雑魚でもない、今までに付き合ったことのないタイプの人間だ。そんな彼をどう扱うべきか、凌牙には見当もつかなかった。
試しに、面と向かって遊馬に問うてみると。
「えー、見返り？ そんなの、オレにはよく分かんねえし。仲間って、そういうもんじゃねえだろ？ ――どうしても言わなきゃ駄目？ だったらオレは、シャークとデュエルしたいかな、うん」
なので、凌牙は遊馬とのデュエルを可能な限り受けて立つことにした。