傷のない鍵
2.
凌牙は、遊馬の話に耳を傾けつつ、遊馬の胸の鍵に目をやった。
遊馬はこれを鍵だと言い張るが、凌牙にはどうやっても魚の骨に見えてしょうがない。頭も尻尾もない、金色の魚の骨だ。これで開けられる錠前があるならさっさと持って来い、と凌牙は考えている。
「でさあ、シャーク、」
何の気なしに鍵を見つめていた凌牙だったが、ちょうどその時遊馬が身体を少し揺らし、角度を変えた鍵が日光を反射した。強烈な金の光がさっと目の中に飛び込み、思わず凌牙は目をすがめた。
「シャーク?」
遊馬が更に近くに寄ってくる。それに釣られて皇の鍵もゆらゆら揺れる。凌牙はくらむ目を擦ると、胸に下がる鍵を無造作に片手で引っつかんだ。
「一体どうしたんだよ、シャーク」
凌牙に鍵をつかまれているこの状況に、遊馬が首をかしげて問いかける。凌牙が返答に困っていると、遊馬は誰かに呼ばれたかのように右隣に顔を向けた。
「……え? ……大丈夫だって。シャークはもうそんなことしないって。それよりさ、さっきのデュエルすごかったんだぜ! お前も一緒に観てりゃよかったのに」
――九十九遊馬には、デュエリストの幽霊が憑いている。
この学校で、まことしやかに囁かれる噂話だ。デュエリストの幽霊が遊馬にデュエルを教えたおかげで、遊馬はデュエルに勝てるようになったのだ、と。
幽霊なんぞ、全くと言っていいほど信じていなかったが、現に遊馬が見えない誰かと会話しているのを凌牙は幾度となく目撃している。タッグデュエルの途中でいきなりイカサマについて説明し出したこともあった。
今も近くにいるであろう「幽霊」が何を話しているのか、凌牙には全く聞こえない。しかし、遊馬に何を言ったのかはうすうす理解していた。凌牙に鍵を軽々しく触らせるな、とでも言ったのだろう。
イカサマを知らない幽霊でも、鍵をつかむ凌牙を警戒することができる。なのに、遊馬は無防備のまま、鍵を取り返そうともしない。以前に凌牙が鍵に何をしたのか、彼もよく覚えているはずなのに。
遊馬はそこまで凌牙のことを信頼しているのか。……それとも、あの日の出来事は、遊馬にとっては過ぎたことだとでもいうのか。
凌牙は、力任せに鍵をぐいっと引っ張った。
「ちょっ、痛っ、痛えよ! 首、首絞まってるからぁ」
鍵の紐が首に食い込み、遊馬が痛い痛いと喚き出した。そのままだとまともな会話になりそうもないので、とりあえず凌牙は引っ張る力を緩めてやる。
「けほけほっ。いきなり何すんだよ。酷えよ、シャーク」
「おい、遊馬」
「ん?」
「これ……一つきり、なんだよな?」
この問いを発するのには相当勇気が要ったのだが。
「そうだよ」
凌牙の思いを知ってか知らずか、遊馬はあっさりと首を縦に振った。
しばらくの間、凌牙は鍵を持ったまま押し黙っていた。手の中に鍵の重みがずっしりかかる。どうにも耐えきれなくなった凌牙は、鍵をぱっと離すと、弾みをつけて給水塔から飛び下りた。
「シャーク!」
「――帰る」
遊馬を一度として振り返ろうとしない凌牙だったが、
「……そっか。じゃ、また明日な、シャーク!」
明日? 明日も凌牙が学校に来るとは限らないというのに。遊馬だって、それを知っているはずなのだ。
凌牙は、肯定も否定も返さず足早に屋上から立ち去った。
階段を一階分、よろめきながらも何とか降り切って、凌牙は手近な壁にすがりつく。
この時間帯にここに来る生徒は少なく、人気は全く感じられない。だが、早くここを立ち去らねばならない。いつ誰が来るか分からない。それに、屋上から遊馬が降りて来てしまうかもしれないのだ。
それが分かっていながら、どうしても脚の力が抜けてしまう。凌牙は、壁に寄りかかるようにその場に座り込んだ。
――遊馬は、凌牙を自分の「仲間」だと見なしている。だが、凌牙には、突然降って湧いた「仲間」をどう扱えばいいのか分からない。
彼が、取り巻きのように見返りを求めたなら。あるいは、壊した鍵の贖いをただ願ったなら、これほどまでに悩まずに済んだ。だが、鍵はいつの間にか直っていた。遊馬は、凌牙のしたことを恨み続けてはくれなかった。鍵にも遊馬にも、傷は何一つ残せない。
鍵をもう一度壊してしまえば。そうすれば、この不可解な感情から逃れられるかもしれない。遊馬とも永遠に関わらずに済むかもしれない。
しかし、そんな機会が凌牙に訪れることは、二度とない。
かつていとも容易く壊せた鍵は、凌牙の心の中で強固な存在と化してしまっていた。踏みつけようとも手折ろうとも壊せないくらいに。
(END)
2011/9/2