炎の烙印-前篇-
炎が嫌いだった。
別に怖いとかではない。嫌いなのだ。
ライターの火も、蝋燭の火もそれこそ、焚火の大きな火であっても怖いと思ったことはない。
ただ、大嫌いだった。
その炎の中で、大切なものを奪われたからだ。
じっと炎を見つめていると、なぜか記憶の奥底がじりじりと灼かれるようなもどかしい気分になる。
事件はもう解決したはずなのに。
普段はもう事件の事は忘れていられるのに、なぜか炎をみると嫌な気分になる。
その理由がわからない。
だから、余計にじりじりと焼け付くようなもどかしさがある。
事件は終わったはずなのに。
もう解放されてもいいはずなのに。
・・・・・・僕は、今でも炎が嫌いだった。
ジェイク一派が起こしたテロから約10か月、今やタイガー&バーナビーの人気は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。人気、ポイント共に低迷していたワイルドタイガーも4位という好成績をあげ、かつては崖っぷちと言われた面影もない。
まるでアイドルのようにTVやラジオ、取材やイベントにと引っ張りだこだ。
むろんヒーローという仕事に心血を注いできたベテランヒーロー虎徹にとって、これはあまり喜ばしいことではなかったが、常に復習という昏い枷に縛られていた相棒が楽しそうに仕事をしている様は見ていて嬉しかった。
あとはウロボロスを追い詰めそれを根絶すること。
まだ完全に終わったわけではないが、当初の敵としてのジェイクが死んだことでバーナビーのキリキリと張り詰めた緊張はほぐれたようだった。
「つ、疲れた・・・・・・」
TV収録と2本の雑誌取材、ヒーローの出動を挟んで、グラビアの撮影。
人気絶頂バディの本日のお仕事の内容である。
只今の時間、23時45分。
今日の仕事を終え、ロッカールームに入った途端に虎徹は長椅子に縋りつくように座り込んだ。
会社はすでに閉まっているが、ヒーロー通用口から中に入ることはできる。
「虎徹さん、はやく着替えてください。外でロイズさんが待ってるんですよ」
「・・・・・・バニーちゃん元気だね」
「鍛え方が違いますから。というか、若さがちがいますから、かな」
「かわいくない~」
「はいはい、僕はもう終わりましたよ。ほら!早くしてください」
自分の荷物をさっさとかたずけ、ロッカーを閉めたバーナビーは、いつまでもぐだぐだしている虎徹が散らかした着替えをテキパキとバックに詰めた。
「あ、そうだ。明日の予定、ちゃんとわかってますか?」
そう言って、バーナビーはロッカールームから虎徹を追い出しつつ、手帳を広げて見せた。
待っていたロイズが戸締り等を済ませるとのを見届けて、二人は会社を後にした。いつものバイクの横に乗り込んだ虎徹が、先程渡された手帳をみて顔をゆがませている。
「なにこのハードスケジュール・・・・・・おじさんを過労死させるつもりなの?」
「僕はそのほかに2つ仕事がありますよ」
さすがのバーナビーも溜息まじりに言って、バイクを発進させる。
忙しいけれど、充実した毎日。
結成当初、ギスギスとして一向にうまくいかなかった相棒との邂逅。
ぶつぶつと文句を言いながらも、じつは虎徹は仕事に追われる生活を楽しんでいた。
必要とされている。
もともとヒーローとして人の為に尽くすことを生きがいとしてきたこの男にとって、信頼され頼られていると感じることは何にもまして幸せなことだった。
そして・・・・・・
根拠はないけれど、それがいつまでも続くと思っていた。
少なくとも、当分は続くはずだと疑わなかった。
まさかこのバディを、こんなに早く解散の危機に陥れるほどの大事件が待ち受けているとは、この時の二人はもちろん、誰一人として知る由はなかったのである。
今日も、午前様だった。
「虎徹さん、どうするんですか?帰るんだったら起きてくださいよ」
「む~・・・、眠い」
仕事帰りに、バーナビーのマンションに寄って買ってきた弁当を食べた。
これは、最近のお決まりコースだ。
バーナビーは外で一杯ひっかけるとかいうオヤジ臭いことはしないので、虎徹の方がそれに合わせている。
実際、虎徹もそんな元気はない。
とにかく連日、仕事仕事仕事・・・・・・
朝から晩まで分刻みでスケジュールが詰まっている。
バーナビーのマンションのほうが会社に近いので、必然的にそっちになだれ込むという塩梅だ。
別に一緒に食べる必要もないが、何度か酒を買いこんで一緒に飲んだりしているうちに、なんとなく夕食を一緒に取るようになった。
たまに、虎徹が手料理を披露するのもバーナビーは満更でもなさそうだった。
それで、そのあと虎徹は自宅に帰るのだが、いかんせん飲んでしまうとこのていたらくなのだ。
「泊まるにしても、シャワーくらい浴びてください」
シャワーから出てきたばかりのバーナビーが、タオルで頭を拭きながら虎徹の肩を揺する。
「うー・・・ん」
リビングに置いてあるお気に入りのイスに陣取り、まるで子供のように動くもんかと身を捩った。
今日は少し酒が過ぎたようだ。
完全に夢うつつである。
疲れているのか、瞼が小さく痙攣している。
「あなたはすこし頑張りすぎです」
手を抜けるところでちゃんと手を抜けない虎徹は、この頃めっきりお疲れモードだった。
何にでも一生懸命で、それが時に空回りぎみになってしまうが、それは彼の短所であり、また長所であった。
始めはその愚直さに大抵の人は呆れを覚えるが、やがて彼を知るにつれ、憎めないそんなひととなりに惚れる。
人気ならもちろんバーナビーの方がダントツだ。
だが、それは表面上のこと。
ヒーロー仲間で集まる時、彼の周りにはいつも人が集まった。
ブルーローズことカリーナが、虎徹に恋心を抱いているのはほとんど周知の事実である。
たぶん知らないのは、虎徹本人と、スカイハイことキースくらいである。人を惹き付ける何かが彼にはある。
バーナビーは起こすのを諦め、椅子の横に跪くと虎徹の俯いた顔を覗き込む。
額にかかる黒髪を、指でサラサラと弄ぶ。
一見、堅そうに見える髪の、艶々とした感触に驚いて何度か瞳を瞬く。
そっと、髪を掻きあげた。
ヒゲだし。
オジサンなんだけど・・・・・・
「・・・虎徹さん」
囁くような声。
バーナビーの表情が心なしか緩んでいく。
髪を触っていた指が、するすると頬を滑り耳のあたりに触れた。
一瞬ピクンと身じろぎした虎徹に、バーナビーは電流を流されたようにビクッと手をひっこめた。
そして、しばらくしてもう一度触れようとしたその時。
「おじさん、そんなに見詰められたらテレちゃうんですけど」
前触れもなく、瞼が上がり琥珀色の瞳とばちっと目があった。
「っわ!す、すみません」
それこそ身体ごと飛びのいたバーナビーを横目に、虎徹は鼻の頭を掻いて立ち上がる。
「じゃ・・・、シャワー借りるわ」
「あ、はい、どうぞ」
背中に視線を感じながらも、虎徹は勝手知ったる他人の家よろしくシャワールームに逃げ込んだ。
そう、逃げ込んだのだ。
シャワーのコックを捻りながら、虎徹はひどく困った顔になっていた。
「なんなんだろうな、あの態度」